We Believe In Music Since 1969

We Believe In Music アルファの名のもとに

創立50周年を期に、アルファがソニーの子会社として再出発することになりとても喜んでいます。ソニーの若い皆さんの力でアルファが再生されていくのを、OBの一人として応援していきたいと考えています。

1970年代から1980年代にかけて、アルファに集まったアーティスト達は20世紀後半の日本のポピュラー音楽界を代表する天才でした。彼らが創り出した音楽的な言語は、今日の日本のポピュラー音楽の標準語になりました。そして彼らの音楽は、数十年後の今でも、日本のみならず、欧米やアジアなどの世界中の若い人々に愛されています。彼らの音楽は、20世紀日本の文化遺産と言えるでしょう。

よくこれだけ才能のある歌手、演奏家、作詞・作曲家、編曲家、録音エンジニア、制作者が同じ時期に、芝浦にあったアルファのSTUDIO Aや、音羽のLDKスタジオに集まったものだと今になって驚いています。皆が作った作品が世代を超えて聞かれ続けているのは嬉しいことです。一所懸命、心を込めて作られた作品はやはり残るのです。魂が入っていますから。

アルファの音楽が、今ますます魅力的に聞こえる理由は、録音のほとんどがアナログ録音だったからだと思います。YMOですらアナログ録音機で録ってからデジタル録音機にコピーしていました。ヴォーカルのピッチ・コントロールは一切ありません。リズム・セクションとヴォーカルが同時に演奏し、歌手やミュージシャン同士が、お互いの演奏を聞きあいながら録音をしていました。ドラマーの林立夫は歌詞を聞きながら、歌詞にあわせて自分のリズムやフレーズを考えていたそうです。ですから音に感情がこもっている。血の通った人間の心臓の鼓動や、肌のぬくもりが音楽から感じられるのです。今、音楽はストリーミングなど、デジタルで聞かれる事が多いのですが、アルファの音源をビニールのLPレコード、アナログでぜひ一度聞いて頂きたいと思います。

アルファのモットーはWe Believe in Musicでした。音楽至上主義ということです。この伝統を継いだ新しいアーティストによるアルファの音楽がいつか生まれることを期待しています。

2020年5月7日
新型コロナウイルスで外出禁止中のロサンゼルスで
村井 邦彦(作曲家・アルファミュージック創業者)

【村井邦彦プロフィール】1945年生まれ。作曲家・プロデューサー。1960年代後半、慶應義塾大学在学中より本格的に作曲を始め、森山良子、タイガース他多くのアーティストに作品を提供する。1969年に音楽出版社アルファミュージックを創業、1977年にはアルファレコードを創業し、プロデューサーとして赤い鳥、ガロ、荒井由実(現・松任谷由実)、吉田美奈子、カシオペアなどを世に送り出した。細野晴臣、坂本龍一、高橋幸宏のイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)は世界的な成功をおさめた。作曲家としての代表作は「翼をください」、「虹と雪のバラード」(札幌オリンピックの歌)など。1992年から米国ロサンゼルス在住

NEWS ニュース

2020.05.29全世界配信第2弾リリース決定

今回は小坂忠、サーカス、ブレッド&バターをラインナップ。配信タイトルは「RELEASE」に掲載しています。連載企画「今月の推薦盤」と併せてお楽しみください。

2020.05.29アルファ創業者 村井邦彦からのメッセージを掲載。連載企画もスタート。

アルファ創業者である村井邦彦からのメッセージが届きました。「We Believe in Music-アルファの名のもとに-」をご覧ください。また「アルファ考現学」や「今月の推薦盤」等、連載企画がスタート。毎月2回(1日と15日)、新たなコンテンツを追加していきます。coming soonのコーナー含め、今後の企画にもご期待ください。

※なお、5月下旬を予定しておりましたオフィシャルサイトの「正式オープン」ですが、コロナ禍の影響もあり、今夏に延期することとなりました。それまでは、リリース情報と連載企画を中心にお届けしていきます。

2020.04.24リリース第1弾は日本が世界に誇る「シティ・ポップ」の全世界配信

海外でとりわけ人気が高く、全世界的「シティ・ポップブーム」の火付け役となった吉田美奈子、ハイ・ファイ・セット、佐藤博のアルファミュージック時代のアルバム。世界中のミュージック・ラヴァ—から配信を熱望されていた日本のシティ・ポップの名曲を本日より全世界配信いたします。配信タイトルは「RELEASE」に掲載しています。連載企画「今月の推薦盤」と併せてお楽しみください。

2020.04.24アルファミュージック創立50周年プロジェクト “ALFA50”始動

創立50年を機にソニー・ミュージックグループで再出発したアルファミュージックは、今年度“ALFA50”プロジェクトを始動することとなりました。その第1弾として、2020年4月24日より全世界配信ストリーミングサービスを開始。海外音楽ファンの間で人気を集めているシティ・ポップを皮切りに、アルファミュージックが権利を持つ全ての音源を世界に配信していけるよう準備を進めております。

全世界配信リリースを機に、アルファミュージック史上初となるオフィシャルサイトをプレオープンいたしました。今後のリリース情報だけでなく、アルファミュージックのカタログのご紹介など、さまざまな企画を予定しております。

正式なオープンは5月下旬頃の予定。詳しくは改めて当サイトにてお知らせいたします。また、プレオープン期間中は、リリース情報等を中心にお届けして参ります。今後の“ALFA50”の動きに、是非ご注目ください。

RELEASE リリース

May. 2020

小坂 忠

  • 「 HORO2010 」(2010年)
  • 「 ほうろう 」(2015年)

※下記サイトより、ストリーミング配信、ダウンロード配信をご利用いただけます

ブレッド & バター

  • 「 Pacific 」( 2005年)
  • 「 Monday Morning 」(2005年)
  • 「 Late Late Summer 」(2005年)

※下記サイトより、ストリーミング配信、ダウンロード配信をご利用いただけます

サーカス

  • 「 ニュー・ホライズン 」(2013年)
  • 「 サーカス1 」(2013年)
  • 「 サーカス  アルファミュージック編
    1978~1980 」(2005年)

※下記サイトより、ストリーミング配信、ダウンロード配信をご利用いただけます

今月の推薦盤Text:高岡洋詞

アルファミュージック創立50周年記念の「ALFA50」第2弾配信は、小坂忠、ブレッド&バター、サーカスの3組。先月の配信分と同様、AOR的なアーバン・サウンドに彩られ、シティ・ポップの文脈で再評価されている/されそうなアーティスト/作品が揃った。駆け足でそれぞれを紹介しつつ、配信作品の中から1枚ずつ選んでコメントしていこう。

小坂忠

小坂忠は1947年、東京都練馬区生まれ。大学時代に結成したバンドを母体としたザ・フローラルで68年にデビュー。ザ・モンキーズの来日公演で前座を務めるなどプッシュされるが、シングル2枚を残して解散。翌年にはベースとドラムスが細野晴臣と松本隆に交替したエイプリル・フールを結成、これもアルバム1枚を残して解散。日本初のロック・ミュージカル『ヘアー』出演を経て、アルファ・レコードの前身、マッシュルーム・レーベルの第1弾アーティストとして、71年にアルバム『ありがとう』でソロ・デビューした。72年にはフォー・ジョー・ハーフ(駒沢裕城、松任谷正隆、後藤次利、林立夫)を率いてのライヴ盤『もっともっと』、翌年『はずかしそうに』と順調にリリースを重ね、75年に畢生の名作『ほうろう』を発表した。

76年にクリスチャンになり、78年には日本初のゴスペル・レーベル、ミクタム・レコードを設立。91年には牧師に就任し、ゴスペル、ポップ両方のフィールドで活動している。2009年には集大成的な10枚組ボックス・セット『Chu's Garden』をリリース、その制作過程で『ほうろう』の16chマスターが見つかったのをきっかけに、歌を吹き込み直した『HORO2010』を2010年に発表。2017年に癌が発見されて入退院と手術を繰り返し、現在も治療生活を続けているが、翌年には鈴木茂、小原礼、Dr.kyOn、屋敷豪太、斎藤有太、Asiahとともに『ほうろう』再現コンサートを開催、同公演の模様を収めたライヴ・アルバム『HORO 2018 SPECIAL LIVE』をリリースした。

『ほうろう』

75年1月にマッシュルーム・レーベルからリリースされた4枚目のソロ・アルバムにして、日本のロック史に残る極めつきの名盤。鈴木茂、細野晴臣、林立夫、松任谷正隆のティン・パン・アレイに加え、矢野顕子、吉田美奈子、山下達郎、大貫妙子、矢野誠、松本隆(作詞のみ)のバックアップを得て、唯一無二のソウルフルな歌声を聴かせてくれる。本人は歌に不満があったそうで、それが『HORO2010』での再録につながるわけだが、一リスナーとしてはジェームス・テイラーからアル・グリーンまで数々の名シンガーのイメージが彷彿とする艶やかな歌に聴き惚れるばかりだ。

細野晴臣が5曲(「ほうろう」「ボン・ボヤージ波止場」「しらけちまうぜ」「流星都市」「ふうらい坊」)、鈴木茂(「氷雨月のスケッチ」)と矢野顕子(「つるべ糸」)が1曲ずつ、そして小坂自身が2曲(「機関車」「ゆうがたラブ」)を作曲。「氷雨月のスケッチ」と「ふうらい坊」ははっぴいえんど、「流星都市」はエイプリル・フールの曲をアップデートさせたものだ。「ほうろう」「ふうらい坊」の重いファンキーさには度肝を抜かれるし、フィリー調の「しらけちまうぜ」、サザン・ソウルな「機関車」、アーバンな「ゆうがたラブ」「氷雨月のスケッチ」「流星都市」、ノスタルジックなワルツ「つるべ糸」と、楽曲の質と幅、アレンジ、演奏、歌詞、曲順まで、どこをとっても完璧。神がかり的である。隙間の多いアンサンブルはシティ・ポップ全盛のいま聴いてもまったく古びたところがなく、日本のファンク/R&Bサウンドのひとつの雛型といえる。

ブレッド&バター

神奈川県茅ヶ崎市出身の岩沢幸矢(さつや、1943年生まれ)と二弓(ふゆみ、1949年生まれ)の兄弟デュオ、ブレッド&バターは加山雄三から連なる“湘南サウンド”の立役者である。大学卒業前にアメリカを旅した幸矢はサイモン&ガーファンクルに影響を受け、兄弟でフォーク・ロックをやろうと二弓を誘ってブレッド&バターを結成、1969年にフィリップスから「傷だらけの軽井沢」でデビューした。73年には日本コロムビアからファースト・アルバム『IMAGES』を発表(前年に岸部シロ―との共演作『Moonlight』がある)、『Barbecue』(74年)、『MAHAE(真南風)』(75年)とリリースを重ねていくが、二人はここで一度、やりたいことはやりきったと音楽活動から離れる。

閑話休題。デビューから遡ること4年、上原謙と加山雄三の父子が岩倉具憲(岩倉具視の曽孫)らと経営する“パシフィックホテル茅ヶ崎”が1965年に竣工した。芸能人や作家、政財界の名士が集い、現在まで続く湘南文化のルーツになった場所で、幸矢は学生時代にアルバイトをしていたこともある。ホテルは70年に経営破綻して岩倉具憲の邸宅も抵当に入るが、すぐには買い手がつかず、当面、娘の瑞江(のちに婦人服ブランド“スポーティフ”を立ち上げる)が住むことになる。彼女は親交の深かった岩沢兄弟と音楽仲間たちを呼び寄せ、コミューン的な共同生活を始めた。その旧岩倉邸のガレージを改造して岩沢兄弟が始めたのが、もうひとつのブレバタ「Café Bread & Butter」である。ここにかまやつひろし、南佳孝、荒井由実、鈴木茂といったミュージシャンたちが集い、パシフィックホテルの磁場を継承する文化的中心地となった。

79年に岩倉邸が開け渡されるとカフェも閉店、ブレバタはアルファレコードから再デビューする。ユーミンや細野晴臣、佐藤博、松原正樹らとともに作り上げた『Late Late Summer』(79年)、『MONDAY MORNING』(80年)、『Pacific』(81年)の3枚で垢抜けてポップなブレバタ流湘南サウンドを確立させていく。目下の最新作『ブレッド&バター LIVE BEST 2015』まで、幅広い世代のミュージシャンと交流しながら30枚以上のアルバムを発表し、ユニークな存在感を発揮し続けている。

『Late Late Summer』

79年6月に発売したアルファ移籍第1弾、通算4枚目(『Moonlight』を除く)のアルバム。夏と海のイメージが強いアーバン・リゾート・ポップ路線を確立させた『MONDAY MORNING』と迷ったが、活動休止前のフォーク・ロック・スタイルの痕跡が残った本作の趣深さはやはり格別だ。

細野晴臣が10曲中9曲のリズム・アレンジに関わり、演奏でも大活躍。坂本龍一、佐藤博、鈴木茂、松原正樹、椎名和夫、小原礼、林立夫、高橋幸宏、浜口茂外也も加わったソリッドな演奏に支えられて、二人の歌声が曲によって入れ替わりながら心地よく響く。幸矢曲「タバコロード20」「別れのあとの憩い」「ゆううつ」「JULIANNE」のフォークっぽい人懐っこさも、二弓曲「忘れ得ぬ貴女」「渚に行こう」「SUMMER BLUE」の洒脱さもいずれ劣らず魅力的で、中でも「SUMMER BLUE」のファンキーさは特筆もの。ユーミンが呉田軽穂名義で書き下ろした「あの頃のまま」、筒美京平メロディに凄みさえ感じる「青い地平線 -Blue Horizon-」がいいスパイスになっている。ポール・サイモンの "50 Ways to Leave Your Lover" を下敷きにした細野作「THE LAST LETTER」は林立夫の名演。

余談だが、本作にはスティーヴィー・ワンダーが書き下ろした曲が入る予定だった。レコーディングも終わっていたが、スティーヴィーのスタッフが「いい曲だからあげるのはもったいない」と言い出してお蔵入りになったそうだ。それが5年後の84年にスティーヴィー自ら歌って全米1位になった "I Just Called To Say I Love You" で、同曲の盗作疑惑が持ち上がったときに彼を救ったのがブレバタに送ったデモだった……というのはすごい話だ。二人は84年にあらためて「特別な気持ちで(I Just Called To Say I Love You)」として同曲をカヴァーしている。

サーカス

サーカスは1977年の結成以来、40年以上にわたって活動を続ける男女混声4人組コーラス・グループ。何度かのメンバー・チェンジを経ているが、もっともよく知られるのは叶正子と従姉妹の卯月節子に正子の弟である高(たかし)と央介(おうすけ)が加わった、全員が血縁者というユニークなラインアップだろう。ちなみに叶正子は「ヤマハのキャンディーズ」と称された女性3人組ピーマンのメンバーとして74年にデビューしている。

結成時のメンバーは正子と卯月にすが健と茂村泰彦を加えた4人組で、徳間音工からシングル「月夜の晩には」でデビューするも、バンド志向の強かった男性メンバー2人が早々に脱退してしまった。急きょ正子の弟2人を迎えて再結成、78年にアルファに移籍して「Mr. サマータイム」で再デビューしたが、同曲がカネボウのCMに起用されてオリコンのシングル・チャートで週間1位、年間8位の大ヒットに。翌年の4枚目(通算では5枚目)のシングル「アメリカン・フィーリング」もJALのCMソングとしてオリコン週間5位のヒットとなり、2年連続で『NHK紅白歌合戦』に出場した。

84年に卯月節子が結婚、叶央介はソロ活動のため脱退し、オーディションで選ばれた原順子と嶋田徹が加入。さらに88年には嶋田が脱けて叶央介が復帰。91年に央介と原順子が結婚し、再びメンバー全員が親族になった。2013年に叶央介と原順子が2人のユニットJ&O(のちに2VOICEに改称)に専念するためグループを離れ、高の長女である叶ありさと吉村勇一が加わる。現在は正子(唯一のオリジナル・メンバー)、叶高(リーダー)、ありさ、吉村の4人組で元気に活躍中である。 

『ニュー・ホライズン』

79年5月に発売されたセカンド・アルバム。ファースト『サーカス1』は「Mr. サマータイム」(ミシェル・フュガン)を筆頭に全曲カバーだったが、こちらは小田裕一郎作曲「アメリカン・フィーリング」が受け入れられたことに自信を得てか、オリジナルで固めた意欲作。前作で全編曲を担当した前田憲男は「もっとエメラルド」のみで、坂本龍一(3曲)、佐藤博(3曲)、鈴木茂(2曲)、小川よしあき(2曲)がアレンジとキーボード(鈴木はギター)を担当し、他に松原正樹、杉本喜代志、細野晴臣、小原礼、岡沢章、高水健司、村上秀一、高橋幸宏、斉藤ノブ、浜口茂外也、数原晋、新井英治、ジェイク・コンセプションといった当時の売れっ子たちがバックを固めている。

ラヴ・アンリミテッド・オーケストラが彷彿とする小川よしあき(『岸辺のアルバム』の音楽で知られる)作「ムーヴィング」からキレキレ。デビュー前の山本達彦の「思い出のサーフ・シティー」(高と央介が前面に出ている)、ハイ・ファイ・セット「メモランダム」でも知られる滝沢洋一の「サルバドール紀行」「六月の花嫁」「フライ・アウェイ」、佐藤健の「愛のキャンパス」「ヒッチハイク」に林哲司の「もっとエメラルド」など、「アメリカン・フィーリング」以外の曲も負けず劣らずの高クォリティ。コーラスも美しくかつ潑剌として、タイトルに満ちた覇気を裏切らない。

April. 2020

吉田美奈子

  • 「 愛は思うまま LET'S DO IT 」(1978年)
  • 「 MONOCHROME 」(1980年)
  • 「 MONSTERS IN TOWN 」(1981年)
  • 「 LIGHT'N UP 」(1982年)
  • 「 IN MOTION 」(1983年)

※下記サイトより、ストリーミング配信、ダウンロード配信をご利用いただけます

佐藤博

  • 「 Awakening 」(1982年)
  • 「 Awakening Special Edition 」(2014年)
  • 「 SAILING BLASTER 」(1984年)
  • 「 SOUND OF SCIENCE 」(1986年)
  • 「 FUTURE FILE 」 (1987年)
  • 「 AQUA 」(1988年)
  • 「 TOUCH THE HEART 」(1989年)
  • 「 Good Morning 」(1990年)
  • 「 Self Jam 」(1991年)
  • 「 HAPPY & LUCKY 」(1993年)

※下記サイトより、ストリーミング配信、ダウンロード配信をご利用いただけます

ハイ・ファイ・セット

  • 「 卒業写真 」(1975年)
  • 「 ファッショナブル・ラヴァー 」(1976年)
  • 「 ラブ・コレクション 」(1977年)
  • 「 ザ・ダイアリー 」(1977年)
  • 「 スウィング 」(1978年)
  • 「 ハイ・ファイ・ブレンド・パート1 」
    (1977年)
  • 「 ハイ・ファイ・ブレンド・パート2 」
    (1979年)
  • 「 ハイ・ファイ・ブレンド・パート3 」
    (1981年)
  • 「 GOLDEN☆BEST
    / ハイ・ファイ・セット 荒井由実・松任谷由実・杉真理作品集 」(一部除く)(2002年)
  • 「 CD & DVD THE BEST ハイ・ファイ・セット 」(DVD部分除く)(2005年)

※下記サイトより、ストリーミング配信、ダウンロード配信をご利用いただけます

今月の推薦盤Text:馬飼野元宏

4月24日からスタートした、アルファミュージック創立50周年プロジェクト『ALFA50』。その記念すべき第1回配信、吉田美奈子、佐藤博、ハイ・ファイ・セットの3組について、ここでご紹介したい。

この3組の共通項といえば、現在、世界的規模で人気が高まっている日本発のポップス「シティ・ポップ」の文脈で紹介されることが多いが、中でも吉田美奈子は山下達郎、大貫妙子とともに、このジャンルのレジェンド級の存在として海外でも人気が高い。そして、今も活動を続けている現在進行形のアーティストでもある。

吉田美奈子

吉田美奈子は1953年、埼玉県生まれ。実兄は東芝、RCA、CBSソニーなどレコード会社大手で活躍したレコーディング・エンジニアの吉田保。高校生の頃に、松本隆や細野晴臣と知り合い、楽曲づくりをはじめ、これを機にはっぴいえんど周辺のミュージシャンと交流をもちはじめる。ピアノ・デュオの「ぱふ」在籍を経て72年、大瀧詠一のソロ・ファースト・アルバムに収録された「指切り」にピアノとフルート演奏で参加し、プロ・デビューを果たす。翌73年9月には細野プロデュース、キャラメル・ママの全面参加によるファースト・アルバム『扉の冬』を発表。以降70年代中盤まではキャラメル・ママ人脈のアーティストとしてその名を知られ、シュガーベイブの山下達郎、大貫妙子らと組むことが多く、ことに山下の楽曲の作詞を数多く手がけ、彼らとともに荒井由実らの楽曲にコーラス参加したりと、積極的な活動でその名を知られるようになった。大瀧詠一が手がけた名曲「夢で逢えたら」の最初の歌唱者でもある。

デビュー当時は「和製ローラ・ニーロ」と呼ばれたように、内省的な作風をもつ、女性シンガー・ソングライターの草分けの1人でもあったが、70年代後半からは都会的なポップ・センスをもつアーティストへと変貌、78年にアルファに移籍してからは、80年のアルバム『MONOCHROME』以降、ファンク的な音作りへ傾倒していく。

『MONSTERS IN TOWN』

81年に発表された吉田美奈子の通算8枚目、アルファでの3作目となる『MONSTERS IN TOWN』は、前作からスタートしたファンク路線をさらに拡大していった内容で、彼女の圧巻の歌唱力、うねるようなメロディー・ラインが、それまでの日本のポップスにはなかった、洗練さとパワフルさを兼ね備えた独自の境地へ到達している。RCA時代から継続して、実兄の吉田保がエンジニアリングを担当し、ソニー六本木スタジオでレコーディングされた。

演奏メンバーは前作『MONOCHROME』から続けて参加の松木恒秀(g)、岡沢章(b)、渡嘉敷祐一(ds)、清水靖晃(sax)のほか、富樫春生(kb)、中西康晴(kb)、土方隆行(g)、坂田晃(sax)といった凄腕プレイヤーが勢ぞろいし、その音世界は限りなく広がりをみせ、ニューヨークの摩天楼を彷彿とさせるスケールの大きなシティ・ポップが誕生している。

吉田自身が出演した日立マクセルカセットテープのCM曲「BLACK EYE LADY」をはじめ、流麗なメロウ・バラード「LOVIN’YOU」などでは自身もピアノで参加、強力なファンク・チューン「MONSTERS STOMP」では当時人気だったアナログシンセのプロフェット5を駆使している。また、吉田の盟友である山下達郎も「MOMENT OF TWILIGHT」ではストリングス&フルートアレンジを、「KNOCK,KNOCK」などでホーンアレンジを施し、全体のサウンドに厚みと煌びやかさを加えた。

特筆すべきはすべての楽曲の作詞・作曲はもちろん、全曲のアレンジとプロデュースも吉田自身が手掛け、その結果歌とサウンドの一体感が、それ以前より格段に緻密さを増し、冒頭を飾る傑作「TOWN」にみられる、うねりまくるグルーヴの海が生まれているのである。「TOWN」は6分16秒もある大作ファンク・チューンで、この翌年に12インチシングルも発売され、現在でもDJユースの定番曲として知られる人気ナンバー。いっぽうでアカペラの「NIGHTS IN HER EYES」は、彼女のもつゴスペル感覚が最大限に発揮された最初のナンバーと呼べるだろう。このアルバムでの成功が、その翌年に半数の曲でニューヨーク録音を敢行したアルバム『LIGHT’N UP』へとつながる。デヴィッド・サンボーン、マイケル・ブレッカーら、この年に活動を休止したブレッカー・ブラザーズのメンバーを呼び寄せ、ファンク度数をさらに増しながらも、より洗練されたレトロ・フューチャー感覚も加味したこちらのアルバムも、是非この機会にあわせて聴いてほしい。

佐藤博

続いて佐藤博もアルファ在籍時の10作品が配信スタート。佐藤博は1947年京都市生まれで、70年頃からジャズ系のピアニストとして活動を開始。70年代前半はウエスト・ロード・ブルース・バンドをはじめとする関西ブルース系ロックや、オリジナル・ザ・ディラン、加川良らフォーク系アーティストの作品に演奏参加し、加川のアルバム『アウト・オブ・マインド』でともに参加した鈴木茂と知り合い、76年に鈴木に誘われ上京、ハックルバック結成に加わる。ハックルバックはもともと佐藤のほか田中章弘、林敏明が、石田長生と共に結成した「THIS」のメンバーでもあった。

大滝詠一をして「ラグタイムを弾かせたら日本一」といわしめた佐藤のピアノ・プレイは、キャラメル・ママから発展したティン・パン・アレーとその周辺アーティストたちに重用され、細野晴臣の『トロピカル・ダンディー』から『はらいそ』に至るトロピカル三部作や、西岡恭蔵『ろっかばいまいべいびい』、吉田美奈子『FLAPPER』(ここではサウンドプロデュースも担当)南佳孝『忘れられた夏』、山下達郎『SPACY』『GO AHEAD!』など数多くの作品にプレイヤーとして参加、自身も76年にアメリカで制作したファースト・ソロ・アルバム『SUPER MARKET』を発表した。2012年に急死するまで、現役トップ・クラスのピアニスト、キーボーディストとして膨大な作品に参加&楽曲提供を果たしている。いわばジャパニーズ・シティ・ポップの影の立役者の1人でもあるのだ。

『Awakening』

82年6月25日にリリースされた、佐藤博の通算4枚目、アルファ移籍第一弾となったアルバム。ティン・パン・ファミリーのピアニストとして活躍した70年代を経て、79年に渡米、アメリカで出会ったリン・ドラムLM-1を駆使して、多重録音のマルチ・サウンド・クリエイターとして開花したのが本作である。もともと宅録マニアだった佐藤にはうってつけの機材であり、自身の自由な音楽活動を体現できる新たな希望を胸に、帰国の途につき、発表した作品である。

ほとんどの楽曲は緩やかなミディアムもしくはスローなメロウ・ナンバーで、ほぼすべての曲を佐藤が作曲している。リン・ドラムとシンセを駆使したデジタルで無機質な音の空間が、どこか温かさを持って聞こえてくるのは、佐藤自身の朴訥とした歌い方と、本作でフィーチャーされた新人ウェンディ・マシューズによる透明感溢れるヴォーカルのため。2人のデュオによる「I CAN’T I WAIT」「YOU’RE MY BABY」などでその魅力が最大限に発揮されている。さらに、リンダ・キャリエールの未発表作に提供した「IT ISN’T EASY」は、ジャパニーズ・テイストを感じさせるメロディー・ラインが秀逸。ビートルズ「FROM ME TO YOU」のカヴァーも洗練度が高い。ゲスト・ミュージシャンには松木恒秀、鳥山雄司に加え、「SAY GOOD-BYE」と、初出では未収録だった「BLUE AND MOODY MUSIC」のウェンディ・ソロ・バージョンでは山下達郎がギタリストとして参加。そのクールかつメロウなサウンド・メイキングは、現在ではシティ・ポップの大定番アルバムとして最高の評価を得ている。レコーディング・エンジニアは小池光夫、東京田町のアルファ・スタジオAで収録され、デジタル・マスタリングが施されている。

ハイ・ファイ・セット

今回の配信アーティストのトリを飾るのは、アルファミュージックのシンボリック的な存在といえるコーラス・グループ、ハイ・ファイ・セット。メンバーは女性ヴォーカルの山本潤子をメインに、夫でもある山本俊彦、そして大川茂の3人。彼らは「翼をください」「竹田の子守唄」などで知られるコーラス・グループ「赤い鳥」のメンバーで、1974年9月に解散した後、翌月に結成された。グループ名は細野晴臣による。

赤い鳥は日本各地の子守唄や伝承歌などを採り上げ、美しいハーモニーを聴かせるかたわらで、ソフト・ロック的なサウンドもあわせもつグループであった。このうち都会的センスの新しいポップスを志向する3人が、解散後にハイ・ファイ・セットを結成したのである。デビュー曲は同じアルファ所属だった荒井由実の作詞・作曲による75年2月の「卒業写真」でユーミン自身のヴォーカルも同年6月のアルバム『コバルト・アワー』に収録されているが、もとはハイ・ファイ・セットが初出。2番の歌詞に登場する「ゆれる柳の下」とは、田町のアルファ・スタジオへ行く道に植えられていた柳をモデルにしているそうである。

77年にはモーリス・アルバートの「愛のフィーリング」になかにし礼が日本語詞をつけた「フィーリング」がチャート1位の大ヒットとなり、彼らは一躍人気グループとして注目を集めた。その後も、オールディーズのカヴァー「恋の日記」や、武満徹作曲による同名映画の主題歌「燃える秋」、スウィングに接近し和製マンハッタン・トランスファーを意識したアルバム『3 NOTES』などの意欲的な楽曲、アルバムを発表し、84年にはソニーに移籍、巧みなコーラス・ワークを極限まで高めた杉真理作曲の「素直になりたい」をヒットさせた。94年9月の解散まで、シングル26作、アルバム19作を発表している。

『ファッショナブル・ラヴァ―』

76年6月5日に発売されたハイ・ファイ・セットのセカンド・アルバムで、文字通りおしゃれで華やか、そして洗練された都会派のラブ・ソング集となっている。全10曲のうちメンバーの大川=山本俊彦によるタイトル・チューンを除いたすべての楽曲を荒井由実が作詞。作曲もユーミン自身のほか松任谷正隆、山本、かつて「赤い鳥」のメンバーでもあった渡辺俊幸が手がけており、全編曲は松任谷正隆。松任谷をはじめとするティン・パン・アレーのメンバーである細野晴臣、鈴木茂、林立夫が全面的にバッキングを担当していることもあり、前年に発売され同じくティン・パン・アレーが参加した荒井由実の3作目『コバルト・アワー』とは姉妹アルバムのような内容となっている。

ユーミン作詞・作曲作のなかでも「冷たい雨」はもともとバンバンに提供した楽曲で、ユーミンの作家出世作となった「『いちご白書』をもう一度」のB面に収録されたのが最初。ハイ・ファイ・セットのヴァージョンは松任谷正隆による印象的なピアノのイントロからして都会に降る雨の雰囲気を高めており、一層洗練されたサウンドが構築されている。山本潤子の透明感に溢れたヴォーカルがハイセンスな都会暮らしの女性の孤独を表現しており、それが一層際立つのがやはりユーミン作の「朝陽の中で微笑んで」で、クリスタルで神秘的な世界を現出させている。ほかにもシベリア鉄道の旅をイメージさせる「荒涼」や、アメリカ大陸横断を描いた「グランド・キャニオン」、メキシコを舞台にした「月にてらされて」など、海外へ目を向けた作品も多く、一方では「フェアウェル・パーティ」のような都会の大学生活を懐かしむ洒脱なナンバーもあり、これまでの日本のポップスには存在し得なかった、洋楽的センスに満ちたコーラス・ワークが楽しめる盤となっている。

彼らのこういった都会的なセンスの表現に関しては、プロデューサーでもあり、ファースト・アルバム『卒業写真』では作曲も手がけた村井邦彦の存在が大きい。『卒業写真』に収録された村井作曲の「エイジス・オブ・ロック・アンド・ロール」や「胸のぬくもり」を聴けば一目瞭然だが、フォーク全盛の時代においては驚嘆すべきポップ・センスである。シティ・ポップの始祖の1人ともいえるユーミンが作詞し村井が作曲、松任谷正隆が編曲した「スカイレストラン」と「土曜の夜は羽田に来るの」のカップリングは、その最高峰とも呼べるもの。このシングル盤はファーストとセカンドの合間にリリースされ、惜しくもオリジナル・アルバムには未収録だが、ベスト・アルバム『ハイ・ファイ・ブレンド・パート1』に収録されているので、こちらも是非楽しんでいただきたい。

アルファミュージック考現学 ALFA Music Modernology

ALFA RIGHT NOW〜ジャパニーズ・シティ・ポップの
世界的評価におけるALFAという場所

第一回「50年後のLAから」
Text:松永良平

あれは、そう。まだあの日から一年も経っていない。2019年6月12日、渋谷のライブハウス〈WWW〉で、LA出身の若きシンガー・ソングライター、ジェリー・ペーパーのライブを見ていた。

マイナー・レーベルから宅録的な作品をリリースしていた頃からすでに来日を重ねてきた知る人ぞ知るアーティストだったジェリーは、2018年にリリースしたアルバム『Like A Baby』が、マニアックな再発や現代的なダンス・ミュージックをリリースしているシカゴのレーベル〈ストーンズ・スロウ〉からリリースされ、一躍ちょっとした時の人となった。この日の東京公演も、アジア・ツアーの一環として組まれたものだった。

ライブの中盤、ジェリーは「日本のみんなのためにこの曲をプレイするよ」とMCした。バンドが演奏を始めた曲は、なんと佐藤博の「Say Goodbye」。

佐藤博『awakening』(1982年発表)

同曲が収録された『awakening』は、1982年6月にリリースされた、佐藤にとって4枚目のソロ・アルバムであり、アルファレコードと契約しての第一弾でもある。数年前からインターネットを中心に、このアルバムへの関心が世界的に高まっているという事実は知っていた。そのモダンかつ未来的なシティ・ポップ・サウンドは今でこそ再評価やソフトの再発(アナログ盤でも再リリースされた)が進んでいるが、当時の日本ではほとんど話題にならなかったというのも事実だった。

折しも、シアトルとLAに拠点を持つアメリカのリイシュー・レーベル〈ライト・イン・ジ・アティック〉から、ジャパニーズ・シティ・ポップのコンピレーション・アルバム『Pacific Breeze』がこの年の5月にワールドワイドでリリースされたばかりだった。ジェリーがあのコンピレーションをきっかけにその曲を知ったばかりで、日本に行く興奮も相まって選曲したと考えるのは不思議じゃない。

しかし、この日の客席は「Say Goodbye」のカバーで、ドッと盛り上がったわけではなかった。原曲も英語詞のため、佐藤のバージョンを知らない客層にとっては「これは誰の曲?」という大きな疑問符が浮かんでいたと思う。韓国や台湾、タイへと続いたアジア・ツアーでもジェリーは「Say Goodbye」を演奏し続けたんだろうか?それとも、その国ならではのシティ・ポップをカバーしていたんだろうか?

その答えは、半年後にアメリカで出た。2019年10月13日、LAから車で2時間ほど内陸に向かったレイク・ペリス保養地で行われた音楽フェス〈Desert Daze〉に居合わせたぼくは、再びジェリー・ペーパーのライブを見た。来日時とおなじメンバーで50分ほどのセット。その中盤だった。バンドが「Say Goodbye」のイントロを演奏し始めた。ジェリーは、この曲について特別に説明するMCもしていない。なのに、観客からは「わー!」という歓喜の声が上がったのだった。

世界的に有名な超巨大フェスに比べればマニアックな顔ぶれが集まっているフェスだが(台風のため出演キャンセルとなったが、日本から坂本慎太郎の出演も予定されていた)、とりわけジェリーの熱心なファンが集まっているというような環境ではない。おそらく、ここにいる彼らは当たり前のようにこの曲を知っているのだ。

その反応が日本で見たときよりもはるかにダイレクトだったことは、しばらくぼくに強い印象として残っていた。

この連載『ALFA RIGHT NOW』を始めるにあたって、自分には何ができるだろうと考えた。アルファの50年のヒストリーや、ここから生まれた素晴らしい作品、活動をしたアーティスト、スタッフなどについての掘り下げは、たぶん、ふさわしい方々がやったほうがいい。自分にできることは、カタログの全世界配信が始まる流れを受けた「これから」の話じゃないかと思う。

東京と南カリフォルニアで見たジェリー・ペーパーの「Say Goodbye」のカバーは、その起点のひとつになると思えた。ジェリー自身が日本びいきとはいえ、特別にアルファから生まれた作品について詳しいとは思わない。だが、もともと60年代のサイケデリック・ポップやケヴィン・エアーズなどを愛する宅録青年であった彼の耳をとらえた佐藤博の曲は、間違いなくアルファから生まれたものだ。それが、どういう経緯があって、誰がバトンのリレーに関わって、さらに「これから」誰にアルファの音楽とその精神を手渡していくのかを知りたいし、糸口を探したい。

まずは、その話のふりだしを、「アルファ」が生まれた50年前の東京ではなく、現在の「LA」に置いて話を進めていきたいと考えた。

ロサンゼルスには、アルファの創設者である村井邦彦が移住し、長く暮らしている。そして、先述した『Pacific Breeze』のリリースに深く関わった若いスタッフやコラボレーターたちもLA在住だ。

2018年10月に刊行された村井の著書『村井邦彦のLA日記』に、興味深い箇所がある。

濱田髙志主宰のフリーペーパー『月刊てりとりぃ』に連載された文章を時系列で収録したこの本の「2016年」にある「アルファレコードを“掘る”アメリカの若者たち」という一章だ。

その冒頭の一文を引用する。

今朝、息子のヒロ・ムライの紹介でマークとマットとヨースケが僕に会いにきた。

マークはラジオ局をやっていて、先端的なアートや音楽を取り上げている。ヒロのミュージックビデオを観る会や彼の描いた絵の展覧会などを一緒にやっているそうだ。

マットとヨースケは「Light in the Attic(屋根裏部屋の灯)」という1970~80年代の米・欧・日の埋もれたレコードの復刻版を発売する会社をやっている。(『村井邦彦のLA日記』270ページより)

村井邦彦『村井邦彦のLA日記』(立東舎刊)

この冒頭の短い文章に、重要な人物が何人も登場している。

まず、「ヒロ・ムライ」。この当時はまだLAを拠点にテレビやミュージックビデオの製作を行なっている新進気鋭の映像作家だった。現在では2019年のグラミー賞で最優秀レコード賞、楽曲賞を受賞したチャイルディッシュ・ガンビーノ(ドナルド・グローヴァー)「This Is America」のディレクターとして世界的な知名度を手にしている(「This Is America」も最優秀短編ミュージックビデオ賞を受賞している)。村井の文中にもあるように、マークとヒロ・ムライにもともと交友があったことが、この訪問のきっかけだった。ヒロ・ムライの父親が村井邦彦であるという事実の判明は、大変な驚きだったそうだ。

「マーク」とは、マーク・マクニール。彼がやっているラジオ局とは、インディペンデントのネット・ラジオ局〈dublab〉のこと。2018年末、細野晴臣の過去タイトルから5作品の全米リリースがライト・イン・ジ・アティックで実現した際には、村井が出演して細野との出会いや作品がアルファから生まれていった背景についてインタビューに答えている(現在もアーカイブが残されていて聴取可能)。

「マット」は、2002年にシアトルで誕生したライト・イン・ジ・アティックを設立した共同創設者、マット・サリヴァン。

そして「ヨースケ」は、ライト・イン・ジ・アティックで2018年以降に実現する日本関連のリリースのディレクションにあたって、もっとも重要な役割を果たした日本人スタッフ、北沢洋祐。1979年生まれで、日本人の両親のもとでLAで生まれ育った北沢だが、日本の音楽に興味を持ち始めたのは90年代の後半だったという。もともと60年代や70年代の音楽が好きだったという彼にとって、日本の音楽を深く知るきっかけとなった入り口は、60年代のグループ・サウンズ。やがて時代を追ってはっぴいえんどを知り、細野晴臣の重要性を知り、その後に細野を中心としたジャパニーズ・シティ・ポップの系譜へと探索の対象を広げていった。

ただし、ライト・イン・ジ・アティックに入社した時点で、すぐにジャパニーズ・ポップの仕事に取り掛かったわけではなかった。当初はアメリカのテレビや映画の権利をライセンスする仕事をしていたそうだ。

やがて、自身も後追いで知られざる過去の日本の音楽を紐解いていく興奮と、日本語が堪能で英語圏の人たちよりも一次情報にアクセスしやすいという利点、その両方が手伝って、日本の音楽の紹介が彼にとって大きなプロジェクトになっていった。

他にも、サンフランシスコを拠点とするインディー・フォーク・バンド、ヴェティヴァーを率いるアンディ・ケイビック、LAのラジオDJでミュージック・スーパーバイザーであるザック・カウウィーといった重要な人物がいるが(この連載でものちに登場することになるだろう)、2016年に村井邦彦家を訪れたのは、マーク、マット、ヨースケの3人だった。

そして、その訪問がひとつの転機となり、結実していったリリース・プロジェクトは以下の通り。

V.A.『Even a Tree Can Shed Tears : Japanese Folk & Rock 1969-1973』(2017年10月)

V.A.『Kankyō Ongaku: Japanese Ambient, Environmental & New Age Music 1980-1990』(2019年2月)

V.A.『Pacific Breeze: Japanese City Pop, AOR & Boogie 1976-1986』(2019年5月)

V.A.『Pacific Breeze: Japanese City Pop, AOR & Boogie 1972-1986』(2020年5月)

このうち、『Kankyō Ongaku』が2020年のグラミー賞で優秀ヒストリカル・アルバム部門にノミネートされた。惜しくも最優秀賞の受賞はならなかったが、そもそもこの部門で日本の作品が対象となったことも、80年代の音楽が対象となったことも、史上初の快挙だったという。

また、前述したように2018年の細野晴臣過去作品5タイトルや、昨年実現した金延幸子『み空』のCD、アナログでの北米リリースも、このチームによる重要な仕事だった。

とりわけ、日本のフォーク、環境音楽、シティ・ポップという順番で発売されたことも、世界のリスナーの関心の変化を絶妙にとらえたタイミングだった。

その見極めの良さに感心したことを、昨年、北沢にぼくが行った取材(ミュージック・マガジン増刊『シティ・ポップ 1973-2019』に掲載)で伝えると、彼の答えは意外なものだった。

「じつは3枚のコンピレーションは全部同時に進行していました」(北沢)

つまり、村井宅を訪問した時点で彼らはこのすべてのアイデアを持っていたことになる。だが、日本のレコード会社との交渉の難航など、いくつかの問題を抱えていたのも事実だった。

日本のフォーク・ロック(ソフト・ロック)、シティ・ポップ、環境音楽(エレクトリック・ミュージック)のすべてにまたがってカタログを残し続けていたのが、アルファレコードだった。そして、細野晴臣を「プロデューサー」として初めて契約した人物が村井邦彦だ。

この訪問によって、いくつかの運命の鍵が開いたことは間違いない。次回からは、ライト・イン・ジ・アティックのリリースに関わった人々の証言を記しつつ、アルファレコードのカタログや精神がそのなかでどう受け止められていたかをたどっていきたい。21世紀アルファの旅とでもいったところか。

今回の連載にあたって、北沢にもあらためて取材を申し込んだ(その内容は次回以降にあらためて掲載していきたい)。そのなかで彼が言った印象的なひとことがある。

シティ・ポップという言葉は英語では意味が通じない言葉だったが、今では海外でもひとつのジャンルを指す言葉として成立しているが、という僕の発言に対して

「『Pacific Breeze』にはシティ・ポップとは(曲単位では)思えないような曲も入ってるけど、これもシティ・ポップだと言われればまあそうかなと思えてくる。F.O.E.の『In My Jungle』みたいな曲は僕はちょっと違うかなとも思うけど、86年のあの曲を入れることでシティ・ポップのエヴォリューション(進化)も示せてるとも思う。サウンドのプロダクションやドラムのサウンドとかは時代によって変わっていくけど、そこに共通したものがあればシティ・ポップとしてOKかな」

サウンドは時代によって変わっていっても、そこを貫く「何か」があればいい。その「何か」は、アルファレコードのカタログについても言えることだろう。それをいろんな人たちと話して考えていくことが、この連載の主眼になるし、美学のバトンの継承にもなるはずだ。

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