We Believe In Music Since 1969

We Believe In Music アルファの名のもとに

創立50周年を期に、アルファがソニーの子会社として再出発することになりとても喜んでいます。ソニーの若い皆さんの力でアルファが再生されていくのを、OBの一人として応援していきたいと考えています。

1970年代から1980年代にかけて、アルファに集まったアーティスト達は20世紀後半の日本のポピュラー音楽界を代表する天才でした。彼らが創り出した音楽的な言語は、今日の日本のポピュラー音楽の標準語になりました。そして彼らの音楽は、数十年後の今でも、日本のみならず、欧米やアジアなどの世界中の若い人々に愛されています。彼らの音楽は、20世紀日本の文化遺産と言えるでしょう。

よくこれだけ才能のある歌手、演奏家、作詞・作曲家、編曲家、録音エンジニア、制作者が同じ時期に、芝浦にあったアルファのSTUDIO Aや、音羽のLDKスタジオに集まったものだと今になって驚いています。皆が作った作品が世代を超えて聞かれ続けているのは嬉しいことです。一所懸命、心を込めて作られた作品はやはり残るのです。魂が入っていますから。

アルファの音楽が、今ますます魅力的に聞こえる理由は、録音のほとんどがアナログ録音だったからだと思います。YMOですらアナログ録音機で録ってからデジタル録音機にコピーしていました。ヴォーカルのピッチ・コントロールは一切ありません。リズム・セクションとヴォーカルが同時に演奏し、歌手やミュージシャン同士が、お互いの演奏を聞きあいながら録音をしていました。ドラマーの林立夫は歌詞を聞きながら、歌詞にあわせて自分のリズムやフレーズを考えていたそうです。ですから音に感情がこもっている。血の通った人間の心臓の鼓動や、肌のぬくもりが音楽から感じられるのです。今、音楽はストリーミングなど、デジタルで聞かれる事が多いのですが、アルファの音源をビニールのLPレコード、アナログでぜひ一度聞いて頂きたいと思います。

アルファのモットーはWe Believe in Musicでした。音楽至上主義ということです。この伝統を継いだ新しいアーティストによるアルファの音楽がいつか生まれることを期待しています。

2020年5月7日
新型コロナウイルスで外出禁止中のロサンゼルスで
村井 邦彦(作曲家・アルファミュージック創業者)

【村井邦彦プロフィール】1945年生まれ。作曲家・プロデューサー。1960年代後半、慶應義塾大学在学中より本格的に作曲を始め、森山良子、タイガース他多くのアーティストに作品を提供する。1969年に音楽出版社アルファミュージックを創業、1977年にはアルファレコードを創業し、プロデューサーとして赤い鳥、ガロ、荒井由実(現・松任谷由実)、吉田美奈子、カシオペアなどを世に送り出した。細野晴臣、坂本龍一、高橋幸宏のイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)は世界的な成功をおさめた。作曲家としての代表作は「翼をください」、「虹と雪のバラード」(札幌オリンピックの歌)など。1992年から米国ロサンゼルス在住

NEWS ニュース

2020.11.20「アルファミュージック蒐集録」 「アルファミュージック紳士録」を更新

「オールタイム・ベスト」と「わたしのこの1曲」を紹介していく連載企画「アルファミュージック蒐集録」を更新。今回はピアニスト/作・編曲家の江草啓太氏に作品にまつわる思い出や魅力を綴っていただきました。
また、「アルファミュージック紳士録」では、前回に続いて有賀恒夫氏に貴重なお話を伺いました。(利き手:馬飼野元宏氏)。

2020.11.20全世界配信第9弾リリース決定

第9弾として本日より日向敏文の作品を配信スタート。ガモウユウイチ氏による「今月の推薦盤」と併せてお楽しみください。

2020.10.26ALFA MUSIC楽曲、CMオンエア情報

住友不動産CMで、吉田美奈子「ラムはお好き?」がオンエア中。
URL:http://www.sumitomo-rd.co.jp/corporate/video/

2020.10.23新連載「アルファミュージック紳士録」がスタート。「アルファミュージック蒐集録」も更新

新連載「アルファミュージック紳士録」では、アルファサウンドを支えたスタッフやミュージシャンをご紹介。
初回となる今回は、同社のハウス・プロデューサー/ディレクターとして多くの作品に関わった有賀恒夫氏にお話しを伺いました(聞き手:馬飼野元宏氏)。
また、「アルファ・オールタイム・ベスト」と「わたしのこの1曲」を紹介していく連載企画「アルファミュージック蒐集録」には作曲家のゲイリー芦屋氏が登場。
今回も興味深い記事が多く充実した内容となっています。是非ご覧ください。

2020.10.23全世界配信第8弾リリース決定

今回は、CASIOPEA、神保彰、向谷実がラインナップ。
ガモウユウイチ氏による「今月の推薦盤」と併せてお楽しみください。

2020.09.25「アルファミュージック蒐集録」「アルファミュージック考現学」を更新

連載企画「アルファミュージック蒐集録」では、音楽ライター / 編集者の馬飼野元宏氏が「アルファ・オールタイム・ベスト」と「わたしのこの1曲」を紹介。
「アルファミュージック考現学」では、松永良平氏による大好評の連載企画「ALFA RIGHT NOW」に、音楽プロデューサーの北沢洋祐氏が再び登場。
シリーズ第一章の最終回、大変興味深い内容となっています。是非ご覧ください。

2020.09.25全世界配信第6弾&第7弾リリース決定

第6弾として9月18日より立川ハジメ、ロジック・システムの作品を、また、第7弾として本日よりSOFT BALLETの作品を配信スタート。
大久達郎氏による「今月の推薦盤」と併せてお楽しみください。

2020.09.25ALFA MUSIC楽曲、CMオンエア情報

住友不動産CMで、吉田美奈子「頬に夜の灯」がオンエア中。
URL:http://www.sumitomo-rd.co.jp/corporate/video/

2020.08.28「アルファミュージック蒐集録」「アルファミュージック考現学」を更新

「アルファ・オールタイム・ベスト」と「わたしのこの1曲」を紹介していく連載企画「アルファミュージック蒐集録」
連載第3回は音楽プロデューサーの北沢洋祐氏が登場。
また、「アルファミュージック考現学」には、松永良平氏による「ALFA RIGHT NOW」連載第3回「マーク・“フロスティ”・マクニール(dublab)に聞く」を掲載。今月の連載企画も充実の内容です。是非ご覧ください。

2020.08.28全世界配信第4弾リリース決定

今回は、シーナ&ロケッツ、戸川純、立花ハジメ、MELON、大村憲司など個性豊かなアーティストがラインナップ。
星健一氏による「今月の推薦盤」と併せてお楽しみください。

2020.07.31「アルファミュージック蒐集録」を更新

「アルファ・オールタイム・ベスト」と「わたしのこの1曲」を紹介していく連載企画「アルファミュージック蒐集録」
連載第2回は映像プロデューサー/編集者の田中雄二氏に作品にまつわる思い出や魅力を綴っていただきました。

2020.07.31全世界配信第4弾リリース決定

今回は、山本達彦、桐ヶ谷仁、成田賢、朝比奈マリア、滝沢洋一の作品と、コンピレーションアルバム「ソフトロック・ドライヴィン*美しい星」をラインナップ。
「今月の推薦盤」と併せてお楽しみください。

2020.07.15連載企画「アルファミュージック考現学」を更新

「アルファミュージック考現学」内「ALFA RIGHT NOW」に、連載第2回「アンディ・ケイビック(Vetiver)に聞くシティ・ポップとALFA」を掲載しました。

2020.06.26新企画「アルファミュージック蒐集録」連載スタート

さまざまな分野で活躍中の方々が、アルファミュージックの名曲の中から好きな楽曲を選曲し「アルファ・オールタイム・ベスト」を作成。
特にその中で思い入れのある楽曲「私のこの1曲」について、作品にまつわる思い出や魅力を綴っていただきます。
連載第1回は音楽家の小西康陽氏です。

2020.06.26全世界配信第3弾リリース決定

今回は、初期アルファを支えたフォーク系グループ「赤い鳥」「ガロ」の作品をラインナップ。
配信タイトルは「RELEASE」に掲載。「今月の推薦盤」と併せてお楽しみください。

2020.05.29全世界配信第2弾リリース決定

今回は小坂忠、サーカス、ブレッド&バターをラインナップ。配信タイトルは「RELEASE」に掲載しています。連載企画「今月の推薦盤」と併せてお楽しみください。

2020.05.29アルファ創業者 村井邦彦からのメッセージを掲載。

アルファ創業者である村井邦彦からのメッセージと共に、「アルファ考現学」や「今月の推薦盤」等、連載企画がスタート。毎月新たなコンテンツを追加していきます。coming soonのコーナー含め、今後の企画にもご期待ください。

※なお、5月下旬を予定しておりましたオフィシャルサイトの「正式オープン」ですが、コロナ禍の影響もあり、今夏に延期することとなりました。それまでは、リリース情報と連載企画を中心にお届けしていきます。

2020.04.24リリース第1弾は日本が世界に誇る「シティ・ポップ」の全世界配信

海外でとりわけ人気が高く、全世界的「シティ・ポップブーム」の火付け役となった吉田美奈子、ハイ・ファイ・セット、佐藤博のアルファミュージック時代のアルバム。世界中のミュージック・ラヴァ—から配信を熱望されていた日本のシティ・ポップの名曲を本日より全世界配信いたします。配信タイトルは「RELEASE」に掲載しています。連載企画「今月の推薦盤」と併せてお楽しみください。

2020.04.24アルファミュージック創立50周年プロジェクト “ALFA50”始動

創立50年を機にソニー・ミュージックグループで再出発したアルファミュージックは、今年度“ALFA50”プロジェクトを始動することとなりました。その第1弾として、2020年4月24日より全世界配信ストリーミングサービスを開始。海外音楽ファンの間で人気を集めているシティ・ポップを皮切りに、アルファミュージックが権利を持つ全ての音源を世界に配信していけるよう準備を進めております。

全世界配信リリースを機に、アルファミュージック史上初となるオフィシャルサイトをプレオープンいたしました。今後のリリース情報だけでなく、アルファミュージックのカタログのご紹介など、さまざまな企画を予定しております。

正式なオープンは5月下旬頃の予定。詳しくは改めて当サイトにてお知らせいたします。また、プレオープン期間中は、リリース情報等を中心にお届けして参ります。今後の“ALFA50”の動きに、是非ご注目ください。

RELEASE リリース

November. 2020

日向 敏文

  • 「 東京ラブストーリー 」(1991年)
  • 「 オーガニック・スタイル 日向敏文 the BEST ~In the Twilight~ 」(2007年)
  • 「 ひとつぶの海 」(1986年)

※下記サイトより、ストリーミング配信、ダウンロード配信をご利用いただけます

今月の推薦盤Text:ガモウユウイチ

アルファミュージック創立50周年プロジェクト『ALFA50』11月の配信は、日向敏文のベスト盤を含むタイトルがラインナップ。テレビ・サントラ盤ブームの火付け役になったドラマ『東京ラブストーリー』のサウンドトラックやヒップホップ・ミュージシャンのTreFuegoが「90mh」(2019年)でサンプリングした「Reflections」を含む『ひとつぶの海』など、聴きどころ満載のラインナップが揃った。

日向敏文

1955年2月23日に東京都大田区に生まれた日向敏文は、学習院高等科を卒業後73年に渡英。サレー州ファーナムのオートバイ会社でアルバイトをしながら生活をする。74年にいったん帰国後、すぐに渡米。75年7月に、ウィスコンシン州アッシュランドのノースランド・カレッジに入学。キーボーディストとして、地元のブルース・バンドやビッグ・バンドに参加するなど、本格的に音楽活動を開始。76年8月には、マサチューセッツ州ボストンのバークリー音楽大学へ転校。78年8月には、ミネソタ州のミネソタ州立大学(University of Minnesota -Duluth)の外国人奨学金を獲得して、同校音楽部へ転校。以降4年間に渡って、クラシカル・ピアノを専攻し、理論、作曲、オーケストレーションを学ぶ。自己のリサイタル、歌曲や独奏楽器の伴奏、室内楽、オーケストラなど、音楽全般にわたり活動。82年には、同大学卒業ののち、ミネソタで音楽家としての活動を開始。83年には帰国して、ロサンゼルスで音楽活動をしていた弟の日向大介と共に、AVR Corporationとレコーディング・スタジオのSTUDIO AVRを設立。CMなど、多くの作品の音楽を担当するようになる。

85年に、1stソロ・アルバム『サラの犯罪』をアルファレコードからリリース。続けて、86年には、2ndアルバム『夏の猫』と、3rdアルバム『ひとつぶの海』をリリース。87年に4thアルバム『ストーリー』をリリースしたのち、88年には、初のピアノ・ソロ・アルバム『アイシス』をリリース。その後もコンスタントにソロ・アルバムを制作した。91年には、鈴木保奈美、織田裕二主演によるドラマ『東京ラブストーリー』の劇伴を担当。『東京ラブストーリー オリジナル・サウンドトラック』は、ドラマ・サントラとしてはオリコン・アルバムチャート最高第5位となる異例のヒットを記録する。本アルバムのヒットから、以降ドラマのサントラが発売されるのが恒例となった。93年に手掛けた、戸田菜穂主演によるNHK連続テレビ小説『ええにょぼ』の主題歌「幸せになるために」(歌:中山美穂)は、オリコン・シングルチャート最高第4位を記録。年末には『第44回NHK紅白歌合戦』で披露された。97年に手掛けた、江口洋介主演によるドラマ『ひとつ屋根の下2』の挿入歌「ひだまりの詩」(歌:Le Couple)は、オリコン・シングルチャート第1位を記録。1997年のオリコン年間ヒットチャートでも第3位となり、同年の日本レコード大賞優秀作品賞を受賞。Le Coupleのブレイクスルー・ナンバーとなり、彼らは『第48回NHK紅白歌合戦』の出場を果たした。

ほか、『愛という名のもとに』(92年)、『チロルの挽歌 高倉健主演』 (92年)、『ひとつ屋根の下』(93年)、『陽のあたる場所』(94年)、『妹よ』(94年)、『いつかまた逢える』(95年)、『ひとつ屋根の下2』 (97年) 、『彼』 (97年) 、『ブラザーズ』(98年)、『モナリザの微笑』(2000年)、『ブザー・ビート~崖っぷちのヒーロー~』(09年)などのドラマの音楽を担当。また、松たか子、佐藤奈々子、Le Couple、竹内結子、中山美穂、KOKIA、ダイアナ ロスなどに楽曲提供、トヨタ、コカ・コーラ、資生堂、アサヒビールなどの多くのCM音楽など、多岐に渡って活躍している。近年では、フジテレビ『ザ・ノンフィクション』 、 NHKドキュメンタリー番組などの、ドキュメンタリー番組の音楽を多数担当している。

『東京ラブストーリー』

鈴木保奈美と織田裕二が主演し、トレンディ・ドラマ・ブームの火付け役として大きな人気を得たフジテレビ系ドラマ『東京ラブストーリー』(1991年)のサウンドトラック。ルバート気味の4/4拍子から始まる「Tenderly~Rica's Theme」は、前半部が6/8拍子のアンダンティーノ、後半部が4/4拍子のアレグロ・ヴィヴァスと2つの違った景色を映し出す。チェレスタの音色が切なさを増長させる。「Good Evening, Heartache」は、生ピアノとグロッケンシュピールの音色が静謐な雰囲気を生み出す。サビ部分では、2小節単位で同じコード進行が続くも、それぞれメロディが変化しており、こだわりを感じさせてくれる。スウィングする「Autumn」は、ジャズの小曲の雰囲気。シンコペーションを活かしたメロディ・ラインが至極に美しい。ドラマ終了後には、「Rica's Theme/Good Evening, Heartache/End Title」がシングル・カットされヒット。本アルバム以降、ドラマのサントラが発売されるのが恒例となるきっかけを作った作品である。

『オーガニック・スタイル 日向敏文 the BEST ~In the Twilight~』

2007年にリリースされた2枚組全31曲収録のベスト・アルバム。 “オーガニック・スタイル シリーズ”の1枚で、コンセプトは、「聴くことで心が養われ、ナチュラルなライフスタイルに最適なアーティストの作品」。当時は、村松健、クライズラー&カンパニー、中西俊博、溝口肇、日向大介などのベストと同時リリースされた。とはいえ内容は、1stソロ・アルバム『サラの犯罪』(1985年)から、当時最新作だった『アイシス2』(2006年)までバランスよく選曲されており、日向敏文の業績を知るには非常にありがたいベスト盤。国内ヒーリング/アンビエント・ミュージックの第一人者らしく、リラクゼーション効果が高く、オプティミズムを生み出してくれるようなトラックが並ぶ。

新曲として、「On the Sidewalk」、「Summer Breeze」、「I remember John」、「In The Twilight 」も収録。オンワード"SUIVI"CMソングとして使用された「Little Rascal(いたずら天使)」、「La Cote, Sunset」、「Europe」ほか、「Good Evening, Heartache」、「異国の女達」、「Candy」など、12曲が“2007version”で新録されている。

『ひとつぶの海』

『リアリティ・イン・ラブ』のタイトルも持つ1986年リリースの3rdソロ・アルバム。中西俊博のヴァイオリンが優雅なワルツを描く「Menuet」、退廃的なアルペジオをバックに中西俊博が切々とメロディを紡いでいく「Passage」、電子オルガンの音色が記憶の底に眠っていた郷愁に誘う「A Moment」、サスティンの強いシンセサイザーと山崎祐介のハープが非日常を描き出す「光と水」、和の雰囲気を感じさせるアルペジオで現実回帰させてくれる「In The Light」など、独立した全11曲でありながらも、どこか統一感のあるコンセプチュアルなインストゥルメンタル集となっている。和モノ・アンビエント・アルバムとしても海外からも高い評価を得ているトラックが並び、近年では「Reflections」を、ヒップホップ・ミュージシャンのTreFuegoが「90mh」(2019年)でサンプリング。ストリーミング・プラットフォームの再生回数は5,000万回を超え、彼の最初のヒット曲となった。

October. 2020

CASIOPEA

  • 「 CASIOPEA 」(1979年)
  • 「 SUPER FLIGHT 」(1979年)
  • 「 THUNDER LIVE 」(1980年)
  • 「 MAKE UP CITY 」(1980年)
  • 「 EYES OF THE MIND 」(1981年)
  • 「 CROSS POINT 」(1981年)
  • 「 MINT JAMS 」(1982年)
  • 「 4×4 FOUR BY FOUR 」(1982年)
  • 「 PHOTOGRAPHS 」(1983年)
  • 「 JIVE JIVE 」(1983年)
  • 「 THE SOUNDGRAPHY 」(1984年)
  • 「 DOWN UPBEAT 」(1984年)
  • 「 HALLE 」(1985年)
  • 「 CASIOPEA LIVE 」(1985年)
  • 「 SUN SUN 」(1986年)
  • 「 DRAMATIC 」(1993年)
  • 「 ANSWERS 」(1994年)
  • 「 HEARTY NOTES 」(1994年)
  • 「 LIVING ON A FEELING~CASIOPEA night selection 」(2009年)
  • 「 BEST OF CASIOPEA -Alfa Collection- 」(2009年)
  • 「 ULTIMATE BEST~Early Alfa Years 」(2012年)
  • 「 recorded LIVE and BEST~Early Alfa Years 」(2013年)

※下記サイトより、ストリーミング配信、ダウンロード配信をご利用いただけます

神保 彰

  • 「 LIME PIE 」(1993年)
  • 「 PANAMA MAN 」(1994年)
  • 「 Stone Butterfly 」(1997年)

※下記サイトより、ストリーミング配信、ダウンロード配信をご利用いただけます

向谷 実

  • 「 Tickle the Ivory 」(1993年)

※下記サイトより、ストリーミング配信、ダウンロード配信をご利用いただけます

今月の推薦盤Text:ガモウユウイチ

アルファミュージック創立50周年プロジェクト『ALFA50』の10月配信は、CASIOPEAと同バンドに在籍していた向谷実と神保彰。そして深町純というラインナップ。彼らの共通点といえばフュージョンという、1970年代当時最先端のジャンルで活躍していたということ。70年代後半には、渡辺貞夫、日野皓正、渡辺香津美、高中正義、ネイティブ・サンなどが自らテレビCMに出演してフュージョン・ブームが到来。CASIOPEAは、ザ・スクエア(現:T-SQUARE)、プリズムなどと並んで、人気グループとしてフュージョン・シーンの中心で活躍した。また、深町純は早くから海外のフュージョン系ミュージシャンとのコラボレーションを開始して、国内のみならず海外でも高く評価されたミュージシャン。シティ・ポップ同様に海外で注目が高いジャンルのフュージョンの名盤を味わっていただきたい。

CASIOPEA

1974年に当時高校生だった野呂一生(g)と櫻井哲夫(b)によって結成。76年に、小池秀彦(key)と鈴木徹(d)を加え、ヤマハ主催の「EastWest'76」に出演して注目を浴びるも、鈴木徹は兼任していたプリズムに専念するため脱退。翌年の「EastWest'77」の決勝戦では、向谷実(key)と佐々木隆(d)という編成で出演。審査員だった鳴瀬喜博からコンテストにも関わらずアンコールの要望を得て注目され、ライヴを精力的に行い、79年5月にアルバム『CASIOPEA』でデビューした。同年11月にはCMソング「アイ・ラブ・ニューヨーク」や代表曲「Asayake」を収録した『SUPER FLIGHT』をリリースして、全国的に名前をとどろかせる。80年からは神保彰(d)が参加。直後にリリースされたライヴ・アルバム『THUNDER LIVE』(80年)は、緻密で高度な演奏力に、各方面から高い評価を得る。その後も、『EYES OF THE MIND』(81年)、『CROSS POINT』(82年)、『MINT JAMS』(82年)、『4×4 FOUR BY FOUR』(82年)などの名盤を残した。中でも、『HALLE』(85年)はオリコン・アルバム・チャート最高第7位、『SUN SUN』(86年)は同チャート最高第10位と、セールス的にも成功を収めた。

ライバル・バンドのザ・スクエアやプリズムは、メンバー・チェンジが比較的多めだったのに対して、CASIOPEAは80年以降、野呂一生、櫻井哲夫、向谷実、神保彰という、“黄金期”と呼ばれる鉄壁の編成で固定。アルファに在籍した88年まで不動のメンバーで、安定したサウンド・クオリティを生み出し、高中正義と並んでフュージョン・シーンでトップの人気を誇っていた。

89年には、櫻井哲夫と神保彰がジンサクを結成するため脱退。CASIOPEAもレコード会社を移籍した。代わって、「EastWest'77」で審査員をしていた鳴瀬喜博(B)と元クロス・ウィンドの日山正明(Ds)が参加。その後、ドラムスが熊谷徳明に代わり、メンバーも流動的に。93年にはアルファに復活して、『DRAMATIC』(93年)など2枚のオリジナル・アルバムと1枚の企画アルバムをリリースした。2006年には活動休止したが、12年に野呂一生、鳴瀬喜博、大髙清美(Key)にスペシャル・サポートとして神保彰を加えた編成でCASIOPEA 3rd名義で復活。現在も活動中で、高い評価を維持し続けている。今回は、93年までにアルファでリリースされた19枚のアルバムと、4枚のコンピレーションが配信。加えて、向谷実のソロ・アルバム『Tickle the Ivory』(93年)と、神保彰のアルファ期3枚のソロ・アルバムも併せて配信される。

『MINT JAMS』(CASIOPEA)

1982年リリースの通算7枚目で、2枚目のライヴ・アルバム。アルファのヨーロッパ進出に際してのCASIOPEAのヨーロッパ向けにアルバムを制作することになり、当初はベスト・アルバムが予定されていた。ところが、ヨーロッパでの販売を担当する英CBS の欧州地区制作担当のピーター・ロビンソンが彼らのライヴを聴きその素晴らしさに感動して、中央会館での2日間のライヴ録音へとなった。野呂一生のソングライターでの才とテクニカルなギター、向谷実のポップなサウンドでのアプローチ、櫻井哲夫と神保彰の鉄壁ともいえるリズム・セクション。「Domino Line」でのそれぞれの楽器が16分音符でドミノ倒しになるパートは、オリジナリティあふれるアイデアと高度なテクニックを持つ彼らならでは。超絶技巧をさりげなく楽曲に取り入れる彼らの音楽センスに脱帽だ。ほか、「Asayake」、「Take Me」など、初期のベスト・アルバムとしても聴くことができる。なお、タイトルの『MINT JAMS』は、メンバーのイニシャル(野呂一生=I.N、向谷実=M.M、櫻井哲夫=T.S、神保彰=A.J)を並べ替えたもので、ミント・コンディションとジャム・セッションの造語でもある。

神保彰

神保彰は1959年2月27日東京都生まれ。高校生時代からドラムスをはじめ、慶應義塾大学では名門の慶應義塾大学ライトミュージックソサエティに所属。80年、在学中に櫻井哲夫(b)の推薦によりCASIOPEAに参加。直後にライヴ・アルバム『THUNDER LIVE』をリリース。テクニカルな高度な演奏力で高い評価を得る。同年リリースの『MAKE UP CITY』では、野呂一生から学んだ作曲法により「RIPPLE DANCE」を提供。メロディメーカーとしても注目を浴びた。86年には初めてのソロ・アルバム『COTTON』をリリース。

89年、CASIOPEAが一時的に活動を休止した際は、櫻井哲夫とともにヴォーカル・バンドのシャンバラを結成。同年に『SHAMBARA』をリリースするも2人はCASIOPEAを脱退。新たに90年にジンサクを結成、同年にアルバム『JIMSAKU』をリリース。ラテン・フュージョン・スタイルのサウンドで、CASIOPEAとはまた違った魅力で人気を博した。

ジンサクと並行して、『JIMBO』(90年)、『LIME PIE』(93年)、『PANAMA MAN』(94年)、『STONE BUTTERFLY』(97年)など、毎年一枚のペースでソロ・アルバムもリリース。97年にソロ活動は一旦休止するも、ドラム・トリガー・システムによる独り多重演奏による“ワンマンオーケストラ”が話題に。その傍ら、95年にはカルロス菅野(Per)が率いる熱帯JAZZ楽団に参加。97年からはCASIOPEAにスペシャル・サポート・メンバーとして復活。2003年には鳥山雄司(g)と元T-SQUAREの和泉宏隆(key)とPYRAMIDを、04年には元T-SQUAREの則竹裕之(d)とのツイン・ドラムのSynchronized DNAを、それぞれ結成した。

06年にCASIOPEAが活動休止すると、野呂一生のソロ・プロジェクトであるISSEI NORO INSPIRITSに参加。07年からは『FOUR COLORS』でソロ名義でのアルバム制作を再開。11年までは毎年1枚、12年以降は毎年2枚(19年のみ3枚)のアルバムをリリースしている。07年、ニューズウィーク誌の特集「世界が尊敬する日本人100人」に選出。12年には、復活したCASIOPEAのCASIOPEA 3rdに引き続きスペシャル・サポート・メンバーとして参加。現在もソロ活動をはじめ、CASIOPEA 3rdやPYRAMIDなどのバンド活動、ワンマンオーケストラ名義の活動やセミナーなど多岐に渡った活動を行っている。

『PANAMA MAN』(神保彰)

1994年リリースの通算7枚目のソロ・アルバムで、アルファでは2枚目のアルバム。ロサンゼルス録音で、ウォーレン・ヒル(sax)、ポール・ジャクソン・Jr(g)、ラッセル・フェランテ(key)、レニー・カストロ(per)など、西海岸の豪華なミュージシャンたちが参加している。サンドラ・シモンズが歌った「The Blue Horizon」や「Meet In Monterey」など、神保彰のコンポーザーとしての才能が存分に発揮されている。プロデューサーの松居和の尽力によりアメリカでもリリース。当時スムース・ジャズが盛り上がっていたアメリカでも評判を呼び、「Land Of Innocence」が現地FM局で頻繁にオンエアされた。アルバム・タイトルは、本作品も含めて神保彰のアルバムのジャケット・イラストを長く描いていた黒川邦和のアイデアだ。

September. 2020

立花 ハジメ

  • 「 H 」(1982年)

※下記サイトより、ストリーミング配信、ダウンロード配信をご利用いただけます

ロジック・システム

  • 「 To Gen Kyo ±1 」(1991年)

※下記サイトより、ストリーミング配信、ダウンロード配信をご利用いただけます

SOFT BALLET

  • 「 EARTH BORN 」(1989年)
  • 「 DOCUMENT 」(1990年)
  • 「 3[drai]+3 」(1990年)
  • 「 愛と平和+2 」(1991年)
  • 「 SOFT BALLET 1989-1991 the BEST 」(2003年)
  • 「 Reiz[ralts]-Live at NHK Hall- 」(1992年)
  • 「 ALTER EGO 」(1992年)
  • 「 TWIST AND TURN 」(1993年)

※下記サイトより、ストリーミング配信、ダウンロード配信をご利用いただけます

今月の推薦盤Text:大久達朗

SOFT BALLET(ソフトバレエ)

アルファレコードが日本のニュー・ウェイヴ・サウンドに関わりの深いレーベルであることは、(大看板であるYMOという存在を抜きにしたとしても)異論を挟む余地はないだろう。当時日本でも隆盛を誇っていたインディーズ・シーンにも深く目配せしていたアルファは、SOFT BALLETというエレクトロ・ユニットをメジャー・デビューさせている。

その前年よりVOLAJU(ヴォラージュ)という名義で活動を始めていたが、遠藤遼一(Vo)、藤井麻輝(Key etc)、森岡賢(Key)のトリオで新しいユニットとして86年に結成されたSOFT BALLET。森岡は87年にGRANNY TAKES A TRIPという別のバンドで既にメジャー・デビューを経験していたこともあり、この時点で「アマチュアの延長」という立ち位置ではなく、確固たる意思と方向性を備えたユニットでもあったと言えるだろう。SOFT BALLETは89年にサワキカズミ率いる「太陽レコード」(同レーベルは86年にあのBUCK-TICKをデビューさせたレーベルとしても有名なインディーズ・レーベル)からシングル「BODY TO BODY」でデビュー。この曲はそのままアルファからのメジャー・デビュー曲としても選ばれたものだが、ヨーロッパを代表するインダストリアル/ボディー・ミュージックの雄フロント242へのオマージュ・ソングとして制作された同曲は、その誕生の経緯から言ってもそれまでの日本の歌謡曲/ポップスとは既に趣を異にした存在であり、90年代欧州におけるインダストリアル・ロック(=デジタル・ロック)のムーヴメントを先取りするような楽曲だったとも言えるだろう。

その後アルファ内にあるゲーム・ミュージック専門レーベル“G.M.O.レコード”(1986〜1994)にて古代祐三のアルバム『ザ・スキーム』が制作された際、森岡賢、藤井麻輝の両人が参加した(同じ担当ディレクターだったとのこと)経緯を経て、SOFT BALLETはアルファレコードからメジャーデビューすることになる。余談となるが、当時古代祐三は海外の地にて当時の新しいダンス・ミュージック/ハード・ハウスやテクノ・ミュージックに深く衝撃を受けた、と明かしており、帰国後の彼の作品がSOFT BALLET的な方向性と一致を見た点は、深く頷けるものだ。

『EARTH BORN』(ソフトバレエ)

シングル曲「BODY TO BODY」を先駆けとして、同年SOFT BALLETはデビュー・アルバム『EARTH BORN』を発表(89年9月)。同作は前述したフロント242やディペッシュ・モード等のインダストリアル系ダンス・サウンドに基軸を置きながらも、スウィング・ビートを導入したり、メランコリックなメロディー・ラインを用いたりと、音楽的に幅広いスタンスを見せている。メンバーの森岡は初期のSOFT BALLETのサウンドに関して、ディペッシュ・モードよりもヴィサージ(英ニュー・ロマンティック・ブームの顔役的存在でもあったスティーヴ・ストレンジや、後にウルトラボックス等で大成することになるミッジ・ユーロが在籍)のサウンドに強く影響を受けたもの、と語っている。日本においては、丁度時代はバンド・ブームの真っ只中。振り返ればSOFT BALLETのようなスタイルの音楽が一般に広く浸透するには時代とやや逆行していた感も否めないが、それこそがSOFT BALLETというユニットのアイデンティティでもあり、彼らの活動は90年発表のセカンド『Document』、91年発表の3作目『愛と平和』、そして92年レーベルをビクターに移しての『MILLION MIRRORS』以降も変わらないものだった。

95年にSOFT BALLETは解散するが、このユニットへの支持は当時も今も変わらず熱いものがあり、以降メンバーも個々で数多くの活動を行なっている。中でもバンド・リーダーとしてだけでなく、イメージ戦略や作品リリースに関するスケジュール/パッケージに至るまでイニシアティヴを握る中心的人物だった森岡は、その後自身のソロ活動のみならず、土屋昌巳、ISSAYらとの新バンド“KA.F.KA”への参加、藤井麻輝との新ユニット“minus(-)”、そして及川光博、布袋寅泰、BUCK-TICK、遊佐未森他多くの客演でも知られる存在だろう。新宿の「ツバキハウス」に出入りしながら、雑誌『JUNE』でモデルをしていた若き日に(後にDER ZIBETのシンガーとして知られる)ISSAYと知り合い、そこで初めて音楽の道を目指し始めたという森岡は、SOFT BALLETでもソロでも、そして客演でも一貫してユーロ・オリエンテッドなエレクトロ・サウンドを追求したミュージシャンでもあったが、2016年に心不全により急逝。49歳という若さだった。

August. 2020

シーナ&ロケッツ

  • 「 真空パック 」(1979年)
  • 「 チャンネル・グー 」(1980年)
  • 「 ピンナップ・ベイビー・ブルース 」(1981年)
  • 「 SHEENA & the ROKKETS 」(1981年)
  • 「 Rokket Factory ~ the worst and rarities of Sheena & The Rokkets in Alfa years~ 」(2006年)
  • 「 GOLDEN HITS-THE ALFA YEARS 」(2006年)
  • 「 GOLDEN☆BEST シーナ&ロケッツ EARLY ROKKETS 40+1 」(2006年)

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鮎川 誠

  • 「 クール・ソロ 」(1981年)

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シーナ

  • 「 いつだってビューティフル 」(2006年)

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サンディー&ザ・サンセッツ

  • 「 IMMIGRANTS 」(1982年)
  • 「 VIVA LAVA LIVA 」(1984年)

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サンディー

  • 「 EATING PLEASURE 」(1980年)

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サンセッツ

  • 「 HEAT SCALE 」(1981年)

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戸川 純とヤプーズ

  • 「 裏玉姫 」(1984年)

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戸川純ユニット

  • 「 極東慰安唱歌 」(1985年)

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戸川 純

  • 「 好き好き大好き 」(1985年)
  • 「 東京の野蛮 」(1987年)

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上野 耕路

  • 「 Music For Silent Movies 」(1985年)

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立花 ハジメ

  • 「 Hm 」(1983年)
  • 「 Mr.TECHIE & MISS KIPPLE 」(1984年)

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MELON

  • 「 Do you like Japan? 」(1982年)
  • 「 新宿ブレード・ランナー 」(1997年)

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ウォーターメロングループ

  • 「 Cool Music 」(1984年)

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コシミハル

  • 「 エポック・ドゥ・テクノ 」(2009年)

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大村 憲司

  • 「 KENJI SHOCK 」(1978年)
  • 「 春がいっぱい 」(1981年)

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今月の推薦盤Text:星 健一

アルファミュージック創立50周年記念「ALFA50」配信 第4弾は、シーナ&ロケッツ、戸川純、立花ハジメ、メロン、大村憲司などの個性豊かなアーティスト達だ。特に、ゲルニカとしてデビューした戸川純と立花ハジメは1982年に細野晴臣と高橋幸宏が創立した¥ENレーベルのニュー・フェイスだった。1980年代初頭、欧米のパンク~ニュー・ウェイブ・シーンに呼応するように出現した彼らは、YMOという触媒に影響されながらも、独自のサウンドを産み出していった。彼らの代表作と共に、その足跡を辿ってみたい。

シーナ&ロケッツ

シーナ&ロケッツは、博多の“めんたいロック”の元祖といえるサンハウスのギタリストだった鮎川誠が解散後、妻のシーナと共に結成したR&Bやブリティッシュ・ビートを基調とするロック・バンド。当初のメンバーはシーナ、鮎川誠、元サンハウスの浅田猛と川嶋一秀。78年10月にエルボン・レコードから、シングル「涙のハイウェイ」でデビューし、翌年3月に1stアルバム『シーナ&ザ・ロケッツ#1』をリリースした。エルヴィス・コステロの初来日公演のオープニング・アクトを見た高橋幸宏が細野晴臣に紹介したことがきっかけで、アルファレコードに移籍。79年9月に発売されたYMOの2ndアルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』では、鮎川誠が表題曲と「デイ・トリッパー」の2曲に参加した。同年10月に細野晴臣がプロデュースし、YMOがバックアップした移籍第一弾アルバム『真空パック』を発売。シングル「ユー・メイ・ドリーム」がJALのCMソングとなり、スマッシュ・ヒットを記録。その後、2ndと同じスタッフで制作され、よりポップなテイストになったアルバム『チャンネル・グー』とミッキー・カーティスのプロデュースによりR&Bに原点回帰した『ピンナップ・ベイビー・ブルース』をリリースした。

82年、鮎川とシーナの各ソロ・アルバム『クール・ソロ』と『いつだってビューティフル』をそれぞれリリースした後、ビクター・インビテーションに移籍。84年、シーナの産休期間のため、ザ・ロケッツ名義でのアルバムを発売した後、原点回帰した移籍第一弾『NEW HIPPIES』を発売。その後も山口冨士夫、白井良明らが参加した『Gathered』、クリス・スペディング、エリオット・マーフィーらが加わったNYレコーディング作『HAPPY HOUSE』、全曲阿久悠が作詞し、ウィルコ・ジョンソンらが客演したロンドン・レコーディング作品『ROCK ON BABY』、細野晴臣が『チャンネル・グー』以来17年振りにプロデュースした『@HEART』など常にロック・スピリッツ溢れる意欲作を発表。2015年にシーナが急逝したが、鮎川は彼女の遺志を継ぎ、シーナ&ザ・ロケッツを続行。2020年にはシーナのラスト・レコーディングを含むカヴァー&ルーツ集を収録した新作『LIVE FOR TODAY!』を発売。2011年に浅田猛から奈良敏博へのメンバー変更はあったが、以降、不動のメンバーで今なお第一線で活動し続けている。

『真空パック』(シーナ&ロケッツ)&『春がいっぱい』(大村憲司)

79年10月にアルファレコードからリリースされた移籍第一弾アルバム。ヒット・シングル「ユー・メイ・ドリーム」を収録した細野晴臣プロデュース作品。高橋幸宏、坂本龍一、松武秀樹、クリス・モスデルらYMO人脈が参加することによって、シーナ&ロケッツが本来持っていたR&Bを基調とするロックに、テクノポップやニューウェイブのエッセンスが上手く融合された作品。レコード発売時はA面(INSIDE)が日本語、B面(OUTSIDE)が英語での歌唱になっており、ロック中心のカヴァー曲とサンハウス時代からの盟友 柴山俊之作詞によるオリジナル曲がバランスよく配置されている。WHOもカヴァーした「BATMAN THEME」やJames Brown「I Got You,I Feel Good」、そしてKINKS「You Really Got Me」などは彼らのルーツをダイレクトに表し、SEX PISTOLSやDAMMEDなどがカヴァーしたStooges「オマエガホシイ(原題:1970)」は、米国で産声を上げ、英国に飛び火したパンク・ロックへのオマージュだ。一方、ヒット・シングル「ユー・メイ・ドリーム」を筆頭に「センチメンタル・フール」、「レイジー・クレイジー・ブルース」などのオリジナル曲は従来のロックとテクノ/ニューウェイブが巧みにミックスされ、シナロケ風ポップが展開されている。エルボンから発売された1stアルバムには「レモン・ティー」「夢見るボロ人形」をはじめサンハウス時代の楽曲が数多くカヴァーされているが、こちらも彼女の歌声で唄われることで、その曲のポップさが増し、サンハウスとは違った魅力を産みだしている。

このアルバムに収録されている「RADIO JUNK」や「ROCKET FACTORY」はYMOのライブで演奏されていて、ファンにはお馴染みの楽曲。しかし、初めて収録されたのがこのアルバムで、YMOのオリジナル・スタジオ・ヴァージョンは存在していない。YMOのメンバーがプロデュースしたアーティストは数多くいるが、ここまでコラボレーションが成功したアルバムは他に類をみない。

鮎川は78年のYMOの六本木ピットインでのライブに参加した後、彼らの2ndアルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」にギタリストとして参加している。その後、第一回ワールド・ツアーには渡辺香津美が客演したが、次のサポート・ギタリストとして正式に関わったのが、大村憲司だ。彼は80年6月に発売されたYMOのミニ・アルバム『増殖』に参加した後、二回目のワールド・ツアーに同行した。彼は鮎川同様、R&Bのエッセンスを持つギタリストだが、81年に発売されたソロ・アルバム『春がいっぱい』は高橋幸宏、細野晴臣、坂本龍一、矢野顕子、松武秀樹らYMO関係者が全面参加し、テクノポップ全開の作品を展開し、彼の名前を一躍有名にした。YMOのツアーでも演奏された「Maps」はこのアルバムに収録されている。

戸川純

不思議少女、ビョーキ(病気)、エキセントリックといった言葉が似合うニューウェイブ世代の女性ヴォーカリストの地位を不動のものにしたアーティスト。戸川は8 1/2の追っかけがきっかけで、その後継バンドであるハルメンズの2nd『ハルメンズの近代体操』(80年発売)に野宮真貴、佐藤奈々子らと共にゲスト・ヴォーカルとして参加した。同時期に、そのメンバーであった上野耕路、太田恵一と共に昭和歌謡テクノ・ユニット ゲルニカを結成。そのデモテープが細野晴臣の手に渡り、82年6月、アルファ\ENレーベルから細野プロデュースによるアルバム『改造への躍動』で正式デビュー。同時に女優活動も行っていたが、TBS系ドラマ『刑事ヨロシク』のレギュラー出演をきっかけにブレイク。ドラマと合わせて、TOTOのウォシュレットのCMやTVのバラエティ番組出演などで、その特異なキャラクターが話題となり、認知度が高まっていった。83年2月にゲルニカ活動休止後、戸川純のソロユニット ヤプーズとしてバンド活動を再開し、84年1月にソロ名義アルバム『玉姫様』発売。このアルバムでは、ハルメンズの比賀江隆男、泉水敏郎らがバックを務め、ハルメンズや8 1/2のカヴァーも収録した。ライブでの戸川のランドセルを背負った小学生の姿のコスプレがメディアで話題になり、同アルバムは10万枚の大ヒット。この時期の熱狂したライブの模様は当時カセットテープのみで発売された(後にCD化)『裏玉姫』に記録されている。85年にはヤプーズのキーボードでもあった吉川洋一郎プロデュース、“戸川純ユニット”名義による『極東慰安唱歌』、本人プロデュースによる『好き好き大好き』をリリース。同年、NHKみんなのうたの「ラジャ・マハラジャー」がお茶の間で話題になる。一方、インディーズ映画からもラブ・コールが続き、『パラダイスビュー』『星くず兄弟の伝説』などの作品に出演。

1987年テイチクBAiDiSレーベルに移籍し、ヤプーズ名義による初アルバム『ヤプーズ計画』を発売、翌年にはゲルニカ復活作「新世紀への運河」も発売し、ツアーも行われた。同時期、『男はつらいよ』や『ダウンタウン・ヒーローズ』などのメジャーな映画からもオファーが続き、特に『釣りバカ日誌』シリーズでは、その個性的キャラを生かして、レギュラー出演の座を獲得した。90年以降も、ヤプーズの活動と並行して、水谷紹、ホアチョ、かわいしのぶによるトリオ、“トリコミ”への参加や、山本久土とのユニット“東口トルエンズ”でのライブ活動、そしてホッピー神山、デニス・ガン、吉田達也らによる“戸川純バンド” や、非常階段、Vampilliaやアーバンギャルドのおおくぼけいとのコラボレーションなど、その時々のアーティストからリスペクトされ、常に時代の先端をいく活動を行っている。

『東京の野蛮』(戸川純)

アルバム『玉姫様』で一世風靡した女優・ミュージシャン、戸川純本人監修の初ベスト・アルバム。1987年に自身のレーベルHYSからリリースし、このアルバムを最後にアルファからテイチクに移籍した。収録曲はアルファに残したオリジナル・アルバム『玉姫様』『極東恋愛唱歌』『好き好き大好き』と戸川純名義の4枚のシングルからセレクトされ、彼女のアルファでの軌跡が判る内容になっている。シングル「レーダーマン/母子受精」「遅咲きガール」「さよならをおしえて」や、アルバムの人気曲である「諦念プシガンガ」「玉姫様」「眼球綺譚」はプロデューサー&エンジニアであった飯尾芳史によるNEW MIXで収録されている。そして「パンク蛹化の女」は映像商品「TOUR LIVE’85-‘86」から当時、初音盤化されたトラック。全収録曲12曲中8曲が新バージョンによる収録になっているので、マニアでも十分に納得できる内容だ。
収録曲はエキセントリックな新感覚ロック「玉姫様」「レーダーマン」やコケティッシュなポップス「遅咲きガール」「眼球綺譚」、戦前の国民歌謡を彷彿させる「極東慰安唱歌」「怒濤の恋愛」「諦念プシガンガ」、沖縄民謡の「海ヤカラ」などで、ジャンルを超越した彼女の変幻自在なヴォーカルを十二分に堪能できる。最後に、このアルバムでの代表トラックと問われれば、「パンク蛹化の女」が上げられるだろう。今聞いても、シド・ヴィシャスの「マイ・ウェイ」や遠藤ミチロウの「仰げば尊し」にも劣らないパンク・ロック・カヴァーの代表作であり、絶叫する彼女の歌唱は圧巻だ。誤解を恐れず付け加えれば、Cocco、椎名林檎、鬼束ちひろ、大森靖子などの後の個性豊かな女性ヴォーカリスト達の先駆的な存在であるともいえるかもしれない。80年代にNEW WAVE女性シンガーとして地位を確立した彼女のカリスマ性を是非体験して欲しい。

立花ハジメ

ミュージシャン、グラフィック・デザイナー、映像作家。元々デザイナーだった立花ハジメは76年にイラストレイターの中西俊夫、スタイリストの佐藤チカなどとプラスチックスを結成。その後、四人囃子の佐久間正英と作詞家の島武美が参加し、1980年1月に『WELCOME PLASTICS』でビクター・インビテーションからデビュー。P-MODEL、ヒカシューとともにテクノポップ御三家と呼ばれ、B52s 、DEVO、TALKING HEADSなどと交流を持ち、日本はもとより海外でも人気を博した。81年のワールド・ツアー後、正式解散。中西俊夫と佐藤チカはメロンを結成、立花はツアー中に購入したサックスを片手にソロ活動を開始し、ジャズ、現代音楽、ニューウェイブなどジャンルを超えた独自の音楽を展開する。同年、11月に京都で行われたイベント「Urban Synchronity」に坂本龍一の呼びかけにより出演。この時のメンバーが坂本龍一の『左うでの夢』のツアー・メンバー“B-2 Units”になると共に、立花の1stアルバム『H』のバックメンバーに繫がっていく。同アルバムは82年、細野晴臣と高橋幸宏がアルファ内に立ち上げた¥ENレーベルからリリースされ、高橋幸宏がプロデュースした。YMOの細野晴臣、坂本龍一のほか、鈴木さえ子、ロビン・トンプソン等が参加し、ポップでアバンギャルドなインストルメンタル・ミュージックを創りた。同時に、自身が開発した「アルプス一号」をはじめに、アートとサウンドが一体化する独自の楽器をいくつも生み出している。立花は83年に前作と同系統の『Hm』をリリース。高橋幸宏、矢口博康、近藤達郎らが参加した84年のサード・アルバム『テッキー君とキップルちゃん』でテクノポップに原点回帰。いち早くサンプリングを使用したエレクトリック・ファンク「Replicant J.B.」やポップなニューウェイブ「MA TICARICA」など収録。

一方、85年には第1回東京国際ビエンナーレに招待作家として出演し、ビデオモニターや自作楽器を駆使して音楽と映像を融合させたライブスタイルを確立させた。同年にMIDIに移籍。ボーカルが魅力的な「Modern Things」を収録した『太陽さん』や 『Beauty & Happy』をリリース。90年に株式会社立花ハジメデザインを設立し、91年には ポスター「APE CALL FROM TOKYO」で第 35 回ADC 最高賞受賞した。同年、東芝EMI(現ユニバーサルミュージック)へ移籍し、テイトーワと共同プロデュースした『Bambi』をリリース。宮沢りえが出演するパイオニアのCMに表題曲が使用され、話題になる。その後、97年~2007年の間に、アート活動と並行しながら『Low Power』『立花ハジメとLow Powers』『The End』『The Chill』とそれぞれ異なるユニットで4枚のアルバムをリリース。2010年にはプラスチックスを短期間再結成し、13年アルバム『Monaco』では、特殊型USBメモリーで発売。2019年は立花ハジメとLowPowersの22年振りのニューアルバム『lowpowers with the friends』を配信限定でリリースした。現在は、サックスと和太鼓による新ユニット「Hm」(ハーマイナー)にて、アートと音楽のジャンルを超えた活動を進行中。

『テッキー君とキップルちゃん』(立花ハジメ)&『DO YOU LIKE JAPAN』(MELON)

1984年に発売した3枚目のソロ・アルバム。サックスや自作楽器アルプス1号を使用したインストゥルメンタル・ミュージック中心の『H』&『Hm』とは異なり、テクノポップへ原点回帰したアルバム。これまでの作品に引き続き高橋幸宏がプロデュース。バンド・メンバーとしてクレジットされているのは、立花ハジメと藤井丈司、飯尾芳史。現在、彼らは両名とも音楽プロデューサーとして活躍中だが、当時はYMO関係のコンピューター・プログラマーとレコーディング・エンジニアとして頭角を現し始めた時期であった。彼らを主軸にしながら、高橋幸宏、矢口博康、近藤達郎、上野耕路らがサポートした。伝説のカセット・マガジン『TRA』5号に収録され、ジェームス・ブラウンのシャウトとホーンセクションをいち早くサンプリングしたブレイク・ビーツ「Replicant J.B.」、盟友でもあるDEVOのマーク・マザーズボーと共作し、その後の彼のヴォーカリストとしてのスタイルを予見される「Ma Ticarica」、ファッション・ブランドのJUNが提供した東京FMのラジオ番組「FMトランスミッションバリケード」のテーマソング「Theme From Barricade」などを収録し、広義なテクノ・ミュージックともいうべきアルバムに仕上がっている。

高橋幸宏と立花の関係も記しておこう。彼はYENレーベル以前より、高橋幸宏とは交流があり、80年にリリースされた高橋幸宏の2ndソロ・アルバム『音楽殺人(Murdered By The Music)』や81年、アルファのソロ第一弾『Neuromantic(ロマン神経症)』でも既にギタリストとして参加している。また、高橋幸宏の82年から85年のアルバム発売時のツアーにはサックス、ギターなどを担当するレギュラー・メンバーとして参加し、同時に各アルバムのアート・ディレクションも行うなど、高橋のビジュアル面にも大きく貢献している。本作でもジャケットに描かれているCGは全編彼の手によるものであり、「Ma Ticarica」のPVも自身が手掛けている。

一方、プラスチックスの盟友である中西俊夫と佐藤チカが結成したユニット、MELONも立花同様アルファに移籍。81年の桑原茂一プロデュースのスネークマンショーのラスト・アルバム『死ぬのは嫌だ、怖い。戦争反対!』にMELON名義で初めて楽曲提供。中でも「I Will Call You」は、エイドリアン・ブリューとB52’sのメンバーの協力を得て作ったクラブ・ヒット・チューン。82年11月にシングル『P.J./Eddie Spaghetti』でデビュー。同月、1stアルバム『DO YOU LIKE JAPAN』を高橋幸宏、細野晴臣、土屋昌己、パーシー・ジョーンズ、バーニー・ウォーレルらのサポートを得てリリース。同作品は、欧米のクラブ・ムーブメントと呼応した日本初のクラブ・ミュージック・アルバムである。桑原茂一がプロデュースした伝説のクラブ『ピテカントロプス・エレクトス』でのレギュラー・ライブも行い、高感度なナイト・ピープルの間で人気を博した。

July. 2020

山本 達彦

  • 「 Sudden Wind 」(1979年)
  • 「 Memorial Rain 」(1980年)
  • 「 POKER FACE 」(1981年)
  • 「 NEXT 」(1990年)
  • 「 LOVED ONE 」(1991年)
  • 「 ONCE IN MY LIFE 」(1991年)
  • 「 Sweet 」(1992年)
  • 「 夏がはじまる日 」(1993年)
  • 「 貿易風 - TRADE WIND - 」(1994年)

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桐ヶ谷 仁

  • 「 Windy +3 」(2016年)
  • 「 My Love for You +1 」(2016年)

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成田 賢

  • 「 眠りからさめて 」(1971年)
  • 「 汚れた街にいても 」(1972年)

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朝比奈 マリア

  • 「 MARIA 」(1979年)

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滝沢 洋一

  • 「 レオニズの彼方に 」(1978年)

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Various Artists

  • 「 ソフトロック・ドライヴィン * 美しい星 」(2006年)

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今月の推薦盤Text:真鍋新一

アルファミュージックの創立50周年を記念したプロジェクト「ALFA50」の一環となる音源の全世界配信。7月の第4弾でも引き続き、日本のニューミュージック、シティ・ポップを振り返るうえで重要な作品がストリーミングに登場する。今回は山本達彦、桐ヶ谷仁、成田賢の3人の作品に加え、朝比奈マリアと滝沢洋一がそれぞれ残した唯一のアルバム、そしてある世代にとってはアルファ関連作を再評価するきっかけになったとも言える名コンピレーション『ソフトロック・ドライヴィン』をご紹介したい。

山本達彦

山本達彦は1954年、東京・新宿生まれ。小学2年生の時に現在の「東京少年少女合唱団」に参加し、親善公演で渡米した際には『エド・サリヴァン・ショー』に出演。これは伝説となったビートルズの出演回からわずか2ヶ月後にあたる。高校時代に同級生の渡辺香津美らとともに本格的に音楽活動を始め、成蹊大学在学中に結成したバンド「オレンジ」が、愛川欽也とかまやつひろしが司会を務めるオーディション番組『キンキン&ムッシュのザ・チャレンジ!!』でチャンピオンとなりデビュー。かまやつのバックバンドとしても活動し、「ワンステップ・フェスティバル」のステージではムッシュの名曲をハード・ロックなアレンジで蘇らせた。

バンドの解散と大学の卒業を経て1978年にアルファミュージックと契約し、シングル「突風~サドゥン・ウインド」で、シンガーソングライターとしてソロデビュー。ピアノを弾き語るエレガントな魅力も相まって「シティ・ポップの貴公子」の異名で現在も根強い人気を誇っている。「ある日 この夏~TWO WAY SUMMER」(コーセー化粧品)、「MY MARINE MARILYN」(JAL)など、CMとのタイアップでヒットした楽曲も多い。

今回の配信ラインナップにはデビュー・アルバム『Sudden Wind』からの初期3枚に加え、東芝EMI/イーストワールド時代を挟んで再びアルファに返り咲いた1990年の『NEXT』から94年の『貿易風 -TRADE WIND-』までの作品群も含まれている。長らく再発もないまま入手困難になっていた作品もあり、この機会にぜひ聴いていただきたい。

『メモリアル・レイン』

1980年に日本フォノグラムのフィリップス・レーベルからリリースされたセカンド・アルバム。全曲を自らの作曲と伊達歩(=伊集院静)の作詞で統一し、物静かなSSWのイメージを押し出したデビュー作とはうって変わり、カヴァー曲あり、共作ありのバラエティに富んだ仕上がり。かまやつひろしのアルバム『ウォーク・アゲイン』に提供した「ストレンジャー」(作詞:嶋田富士彦)に松本隆が新たに詞をつけて改題した「ミスティー・レディー」に始まり、ボサノヴァ・アレンジが気持ち良い「夢は波に乗って」、バリー・マニロウのカバー「サンライズ」(日本語詞は伊達歩)、村松邦男との共作「バイ・バイ・マイ・ラブ」、山本自身のアレンジでラグタイム風のイントロからおしゃれに展開する「ペイパー・ムーンの気分で」など聴きどころの連続だ。坂田晃一が作曲したドラマ主題歌「アゲイン」とともにボーナストラックとして収録された「メモリアル・レイン」のシングル・ヴァージョンは松任谷正隆がアレンジした別テイクで、曲の構成もまったく異なる。

桐ヶ谷仁

桐ヶ谷仁は1955年、東京生まれ。1976年からヤマハのポピュラーソング・コンテスト(ポプコン)の制作スタッフとして、応募作品のアレンジやプロデュースを務めたのち、自身で書きためていた曲を記念にレコード化しようとデモテープを各方面に送っていたところを有賀恒夫の目に留まり、アルファの男性ソロ・アーティストの契約第1号となった。

1979年にアルバム『My Love for You』でデビュー。ヒット曲としては、グリコ・ヨーグルトのCMイメージ・ソングにもなった「遠い日のときめき」がある(セカンド・アルバム『Windy』に収録)。82年からは松任谷由実の楽曲を管理する雲母音楽出版に参加し、作曲家として麗美、富田靖子、松本伊代などに曲を提供。86年からは松任谷正隆が創立した「マイカ・ミュージック・ラボラトリー」で作詞・作曲、ヴォーカルの講師も務めた。ユーミンの『REINCARNATION』以降のアルバムや、須藤薫のアルバム『Planetarium』、松田聖子の「瞳はダイアモンド」「ピンクのモーツァルト」などの作品で弟・桐ヶ谷“Bobby”俊博とともにコーラスで参加しており、そこで彼の名を知った人も多いだろう。2000年にはアメリカの著名なボイストレーナー、セス・リッグスの妻・フローレンスに学び、日本語の発声に合わせて声帯をコントロールする独自の理論「キリガヤ・メソッド」を確立。m-floや私立恵比寿中学、阿部真央などのアーティストのほか、コロナ禍の現在もオンラインで一般向けにも指導を行なっている。

『My Love for You』

1979年にアルファレコードからリリースされたファースト・アルバム。前述のように収録曲の大半はデビュー前に書かれていたもので、ラブソング作りに凝っていたという彼が携えた繊細なバラードの数々は、アコースティックな編成にソフトなシンセサイザーの音色が絡む、和製AORとして完成度の高い仕上がりになっている。結成から間もない時期のYMOのメンバーをはじめ、演奏はアルファ制作の作品ではおなじみの錚々たるミュージシャンたちが担当。「あなたのいる人生」のイントロと間奏で聴かれる山本潤子のスキャットにも注目したい。また、去る78年からアルファとの提携が始まっていたA&Mレコードとの関係で来日していたプロデューサーのトミー・リピューマとエンジニアのアル・シュミットから助言を受け、マイケル・フランクスの歌入れを参考にしたのだそうだ。それは「ヘッドホンを使わずに、小さな音でカラオケを聴きながら、マイクの近くで小さい声で歌う」ということで、アル・シュミットは制作中のスタジオにも招かれ、本作のミキシングにも関与しているとのこと。

成田賢

成田賢は1945年、満州生まれ。引き揚げ後、札幌の高校に在学中からバンド活動を始め、16歳にして単身関西へ。歌手デビューを約束されたが、実態はボーヤ暮らしや地方営業の連続で失意のままに帰郷。ようやくチャンスが掴めたのはスリーファンキーズの札幌公演のときで、バックバンドのメンバーから誘われギタリストの石間秀樹とともに上京。1967年、グループサウンズのブームのなかでキングレコードからザ・ビーバーズとしてデビューを果たし、元スリーファンキーズの早瀬雅男とのツイン・ヴォーカル体制で「初恋の丘」「君なき世界」などのシングルを残した。前後して到来したニューロックの時代には、のちにゴダイゴのメンバーになる浅野孝巳らと組んだバンド「エモーション」で活動したが、病に倒れグループを離脱。1年近い療養生活を余儀なくされたが、療養中に書きためた曲をミッキー・カーチスが気に入り、日本コロムビアのデノン/マッシュルーム・レーベルからついにソロデビュー。今回のラインナップにある2枚のアルバム『眠りからさめて』『汚れた街にいても』でヴォーカリスト、ソングライターとしての才能を遺憾なく発揮した。

スタジオシンガーとしての仕事も多く、一般的には「東ハトキャラメルコーン」、『サイボーグ009』や『電子戦隊デンジマン』など、CM、アニメ、特撮ソングの歌手として知られている。バイク事故とその後遺症のために表舞台から遠ざかっていた時期もあったが、『獣拳戦隊ゲキレンジャー』の挿入歌で復活。GSやアニソン関連のイベントで変わらぬ歌声を披露し、得意のブルースハープの腕前を見せることもあった。しかし、SNSやブログを通じて積極的にファンと交流を続けていた矢先の2018年11月、肺炎により73歳で急死。突然の訃報は彼が関わってきたあらゆるジャンルのリスナーに衝撃を与え、「不屈のシンガー」の偉大さが改めて浮き彫りになった。今回配信される2作品と、復活のきっかけとなった本人選曲のベストアルバム『誰がために 成田賢ヒストリー』で彼の歌声の普遍性を感じてほしい。

『汚れた街にいても』

前作『眠りからさめて』の好評を受けて制作された1972年リリースのセカンド・アルバム。全体的に売れ線を意識した作品で、「愛ある限り」は安井かずみに詞を依頼し、コンペの上で瀬尾一三の曲を採用するという歌謡曲のような試みがなされている。営業的なプロデュース方針とアーティストの意向は往々にしてすれ違うものだが、ここでは成田本人も大いに乗り気で歌謡曲を意識した楽曲を自作しているのが面白い。「遠い愛の日を夢みて」はジャガーズのヴォーカリスト・岡本信のソロデビューのために提供した曲のセルフ・カヴァーで、これもまた歌謡曲のフィールドでも通用する濃厚な楽曲だ。馬飼野俊一が編曲した「今日からエトランゼ」以外はすべて大野雄二がアレンジを担当。マーヴィン・ゲイをお手本にしたきらびやかなニューソウルと、杉本喜代志、鈴木茂、山内テツ、田中清司らの演奏陣が繰り出すニューロックが同居したこの時代ならではの仕上がりに、洋楽の流行をいち早く取り入れてレコード・ビジネスを成立させようとしたマッシュルームとアルファの姿勢が反映されているのではないだろうか。当時のリスナーの反応は「安易に売れ線に走った」ということで賛否両論、セールスも芳しくなかったというが、歌謡曲だロックだというある種の断絶が過去のものとなった今こそ、後世に残したいと思える作品である。

朝比奈マリア

『MARIA』

『MARIA』は当時パルコのCMで鮮烈にデビューしたモデル・朝比奈マリアが歌う作品で、アルファでは他に大村憲司やカシオペアの作品でプロデュース実績のあるハーヴィー・メイソンを招いたディスコ・アルバム。吉田美奈子と山下達郎がコーラスでリードする「ディスコ・ギャル」のほか、アレンジャー、プレイヤーともにアルファ周辺ミュージシャンが大集結。シティ・ポップ好きなら聴かない手はない。

滝沢洋一

『レオニズの彼方に』

『レオニズの彼方に』はハイ・ファイ・セットに提供した「メモランダム」のセルフ・カヴァーを含む、作曲家・滝沢洋一の作品。彼の経歴はほとんど謎に包まれているが実はシンガーソングライターであり、これが唯一のアルバム。彼のクセのないヴォーカルが佐藤博によるメロウなアレンジに乗り、ひたすらに心地よい世界が広がる。近年のCD化まですっかり埋もれていた作品だが、和製AORの先駆けとして山本達彦、桐ヶ谷仁の作品とともに記憶されるべき1枚だ。滝沢は先だって紹介した山本達彦の『メモリアル・レイン』には同名のタイトル曲を、『MARIA』にも「訣別」を提供しており、今回の配信プロジェクトの隠れたキーマンと言えるかもしれない。

Various Artists

『ソフトロック・ドライヴィン * 美しい星』

『ソフトロック・ドライヴィン』は、1996年に土龍団によって編まれた再発シリーズ。これは1970年に大阪で開催された日本万国博覧会前後に職業作曲家によって書かれたハイセンスな洋楽志向の楽曲をレコード会社ごとに選曲した企画で、本作は、その際に発売されたアルファミュージック編『ソフトロック・ドライヴィン*栄光の朝』の改訂版。こちらの選曲・監修は元・土龍団の濱田髙志が担当している。同シリーズは、歌手よりも作・編曲家に焦点をあてたのが特徴で、ブックレットには、各タイトルいずれもデータを中心としたおよそ2万字を超える詳細な解説が掲載されていた。

2006年に発売された本作『ソフトロック・ドライヴィン * 美しい星』は、収録曲の半数以上がアルファ創立者の村井邦彦による楽曲で、シリーズ中ひときわレーベルのカラーが明確である。今聴くとあたかも、当時は評価されなかった「早すぎた名曲」たちが時代を超えて語りかけてくるようだ。アルファの第1弾リリースだったフィフィ・ザ・フリーの「栄光の朝」、名ドラマーの石川晶が歌う「土曜の夜に何が起ったか」など、立ち上げ間もない頃のアルファの貴重な音源が多数含まれている。

Jun. 2020

赤い鳥

  • 「 書簡集 」(1974年)
  • 「 ミリオン・ピープル~赤い鳥コンサート実況録音盤 」(1973年)
  • 「 祈り 」(1973年)
  • 「 美しい星 」(1973年)
  • 「 パーティー 」(1972年)
  • 「 スタジオ・ライブ 」(1971年)
  • 「 WHAT A BEAUTIFUL WORLD 」(1971年)
  • 「 FLY WITH THE RED BIRDS 」(1970年)
  • 「 竹田の子守唄 」(1971年)
  • 「 RED BIRDS 」(1970年)
  • 「 GOLDEN☆BEST / 赤い鳥 翼をください~竹田の子守唄 」(2009年)

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ガロ

  • 「 GARO LIVE 」(1973年)
  • 「 GARO 3 」(1972年)
  • 「 GARO 」(1971年)
  • 「 三叉路 」(1975年)
  • 「 吟遊詩人 」(1975年)
  • 「 サーカス 」(1974年)
  • 「 GARO 4 」(1973年)
  • 「 GARO 2 」(1972年)

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今月の推薦盤Text:ガモウユウイチ

アルファミュージック海外配信タイトル第3弾は、赤い鳥とガロ。両グループともに70年代初頭にデビュー。アコースティック・ギターを前面に押し出しながらも、その個性的なサウンド・プロダクションやハーモニーから、フォークのカテゴリーにおさまらないオリジナリティ溢れたグループである。今月は、1970年代半ばの解散までにリリースされたオリジナル・アルバムとライヴ・アルバムの全作品の配信がスタートするが、ここでは彼らの代表的なアルバム『美しい星』と『GARO』を紹介する。

赤い鳥

赤い鳥は、新居潤子(山本潤子/ヴォーカル)、平山泰代(ピアノ)、後藤悦治郎(ギター)、山本俊彦(ギター)、大川茂(ベース)の編成で結成された。

67年、当時大学生だった平山泰代と後藤悦治郎は、デュエットで日本民謡を歌っていた。同時期に新居潤子と山本俊彦は、すでにロック・キャンディーズで活動していた谷村新司の別グループであるヒルビリー・シンガーズのメンバーとして活動。後藤悦治郎はツイン・ヴォーカルでの活動を画策して、新居潤子に参加を打診。山本俊彦と共にヒルビリー・シンガーズを脱退して移籍してきた。ベースには当初は松田幸一が参加するも脱退して、ロック・キャンディーズへ参加。後任にK.G.Qの大川茂が加入して、69年6月に正式に赤い鳥が結成された。

69年10月にURCからシングル「お父帰れや/竹田の子守唄」でデビュー。11月には『第3回ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト』に出場して全国大会フォーク部門グランプリを獲得。その副賞として、70年4月に渡英した折にロンドンでレコーディング。6月にはコロムビアからアルバム『FLY WITH THE RED BIRDS』でメジャー・デビューした。フィフス・ディメンションをはじめとする海外のグループからの影響を感じさせる洗練されたコーラスと民謡や伝承歌を独自の解釈で探求する二つのサウンドを持ち合わせており、セカンド・アルバム『RED BIRDS』(70年)、サード・アルバム『WHAT A BEAUTIFUL WORLD』(71年)と、高い音楽性の作品をリリースした。71年2月には、シングル「竹田の子守唄/翼をください」をリリース。オリコン・シングル・チャート最高第22位のヒットを記録している。B面の「翼をください」は、合唱曲としても有名となり、学校教育の場で大きく取り上げられた。もともとは『合歓ポピュラーフェスティバル'70』のために書かれた曲で、山上路夫が「希望」と題した歌詞に村井邦彦がメロディをつけたが、それを聴いた山上路夫が「詞が曲に負けている」と感じ、曲のスケールに負けないように一から歌詞を書き直したために、赤い鳥のメンバーが受け取ったのは本番の2時間前だったという。

71年末からはカウンツ・ジャズ・ロック・バンドの大村憲司(ギター)が参加。72年2月に正式メンバーに迎え入れられて7月に5枚目のオリジナル・アルバム『パーティー』をリリース。6月には村上秀一(ドラムス)が参加し(『パーティー』には不参加)、完全なバンド編成となって制作されたのが、73年1月にリリースされた6枚目のオリジナル・アルバム『美しい星』だった。

『美しい星』

同作は、村上秀一の参加直後の7月から8月にかけてアメリカ録音されたもので、フィフス・ディメンションでおなじみのボブ・アルシヴァーが2曲で編曲を担当している。そのうち「I WOULD GIVE YOU ANYTHING」は、「翼をください」(ジャケットには「翼を下さい」と表記)の英語ヴァージョン。16ビートの洗練されたリズムが施され、昨今ブームのシティ・ポップにも通じるサウンドを生み出している。「美しい星」は、ソフィスケイトされたコードとコード進行が特徴的なソフト・ロック・ナンバー。同時期に、本田路津子、森山良子、ジェリー伊藤&ミシェル伊藤、天地真理、ベッツィ&クリスなど、多くのアーティストが歌っている和製ソフト・ロックを代表する楽曲。「みちくさ」は、大村憲司が作曲と編曲のみならず、作詞も手がけたロッカ・バラード。ノスタルジックなメロディもさることながら、大村節あふれるブルース・フィーリングたっぷりのギター・ソロが素晴らしい。

また、同時に赤い鳥の初書籍となる『THE RED BIRDS』もアルファミュージック出版から発売された。同書には、代表作16曲のほか、飛び出す立体イラストなどが盛り込まれている。

その後も、7枚目のオリジナル・アルバム『祈り』(73年)、ラスト・アルバム『書簡集~ラスト・アルバム』(74年)など充実したアルバムをリリースするが、「日本の伝承歌とポップなコーラスのバランスがとりにくくなった」という音楽性の違いを理由に74年9月に解散。『祈り』リリース後に脱退していた大村憲司と村上秀一は五輪真弓のバック・バンドであるエントランスを結成して、先に活動を開始していた(但し、『書簡集~ラスト・アルバム』にもゲスト参加)。平山泰代と後藤悦治郎は、フォークを追求した紙ふうせんを、山本潤子(73年に結婚後改名)と山本俊彦と大川茂はジャズの影響を感じさせるコーラス・グループのハイ・ファイ・セットを、村上秀一の後任として参加した渡辺としゆき(渡辺俊幸/ドラムス)はハミングバードをそれぞれ結成。3つのグループに分裂した。

ハミングバードはアルバムをリリース後に解散したが、ハイ・ファイ・セットは、「卒業写真/美術館」(75年)、「冷たい雨/ファッショナブル・ラヴァー」(76年)、「フィーリング/もうひとつのダンス」(76年)、「風の街/クリスタル・ナイト」(77年)、「熱帯夜/燃える秋」(78年)、「素直になりたい/Good-bye school days」(84年)、「星化粧ハレー/デミアン」(84年)などのヒットを放ち、94年9月までに19枚のオリジナル・アルバムを残して解散した。

紙ふうせんは、「冬が来る前に/オープリーズ」(77年)、「霧にぬれても/悲しき翼」(78年)などヒットして、現在までに11枚のオリジナル・アルバムをリリース。91年には、紙ふうせんを中心にTSU-BA-SAを結成して2枚のアルバムをリリース。90年度版の赤い鳥と称した雑誌もあった。

山本俊彦が2014年3月28日に急逝したために、オリジナル・メンバーでの復活は叶わなくなったが、最も再結成が望まれるグループである。

GARO

ガロは、堀内護(ギター、ヴォーカル)、日高富明(ギター、ヴォーカル)、大野真澄(ヴォーカル)の3人で結成された。堀内護は、高校生時代に由美かおるのバック・バンドだったジ・エンジェルスでプロデビュー。同じ頃、日高富明は、高校生時代に松崎しげる(ヴォーカル)とアウトバーンズを結成。2組は、リハーサルスタジオの新宿御苑スタジオで一緒になることも多かったこともあって、すぐに顔見知りとなった。その後、両バンドが同時期に解散。堀内護は松崎しげると新バンドの結成を画策するが、松崎しげるは「日高と一緒でなければ新バンドには入らない」と告げ、結局、日高富明を加えて68年にミルクを結成した。冬にはホットミルク、夏にはアイスミルクと名義を使い分けていた時期があり、71年2月に「ハッシャバイ」でデビューした時はホットミルク名義だった。但し、この頃には堀内護と松崎しげるは脱退。日高富明はヴォーカルを担当しているが、レコーディング直後にミルクを脱退したため、クレジットはされていない。なお、当時のミルクのマネージャーはのちの宇崎竜童である。

先にミルクを脱退した堀内護は、ロック・ミュージカル『ヘアー』のウーフ役にキャスティング。ダブルキャストとしてキャスティングされた大野真澄と出逢い、ミルク在籍中の日高富明と70年11月にガロを結成。ホットミルクのデビュー曲「ハッシャバイ」は、ガロ結成後にリリースされており、日高富明は71年2月まではガロとミルクの2つのグループに所属していた。かまやつひろしのバック・バンドを経て、マッシュルームレコードの第11回発売アーティストとして同レーベルと契約。71年10月に、「たんぽぽ/一人で行くさ」でデビュー。そして11月にリリースしたのが、ファースト・アルバム『GARO』だった。

『GARO』

『GARO』は、先行シングル・カットされた「地球はメリー・ゴーランド」など2曲の作詞を除いて全てメンバーによる作詞・作曲で、編曲も3曲を除きメンバーが担当している。そういったことから、彼らのベースとなったクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングやブレッドなどの影響が最も強く出たサウンドとなっている。中でもスティーブン・スティルスが使用していた変則Dチューニング(1弦D、2弦A、3弦D、4弦D、5弦A、6弦Dという、DとAだけで構成されたチューニング)と、オープン・ボイシングによって和音付けされたオープン・ハーモニーを使用した「暗い部屋」は、クロスビー・スティルス&ナッシュの「青い眼のジュディ」の影響を強く感じさせる。「二人の世界」など3曲では東海林修が編曲を担当。中でも、「水色の世界」の山川恵子(ハープ)や坂宏之(オーボエ)をフィーチャーしたストリングス・アレンジが至極に美しい。

プロデュースはミッキー・カーチスが担当。バックには、ミッキー・カーチス&サムライ時代の盟友の山内てつお(山内テツ/ベース)と原田裕臣(ドラムス)が参加している。全編にアコースティック・ギターを使用しながらもロック・テイスト感じさせるパワフルなサウンドを展開。またコーラスは、当初は大野真澄のなじみが悪かったようだが、ミッキー・カーチスのアイディアで同じハーモニーをダブルにしたところ一気になじみ、あのダイナミズム溢れるハーモニーが生まれた。そのため、フォークとしてだけではなく、ニュー・ロックの文脈でも語られることが多い。また、メジャーセブンス・コードを効果的に使用した「地球はメリー・ゴーランド」、イントロにクリシェを導入した「一人で行くさ」などがソフト・ロックとして90年代に再評価された。また、当時のコンサートでは、小原礼(ベース)と高橋幸宏(ドラムス)がレギュラー・メンバーとしてサポートしていた。

72年には、セカンド・アルバム『GARO 2』をリリース。「美しすぎて/学生街の喫茶店」をシングル・カットしたところ(「美しすぎて」は別アレンジによる再レコーディング)、B面の「学生街の喫茶店」がラジオや有線放送を中心に人気をあつめ、同曲をA面に差し替えてリリース。73年2月にはオリコン・シングル・チャート第1位を獲得。7週にわたって1位を記録する大ヒットとなり、約77.2万枚を売り上げ、一躍トップ・グループに躍り出た。5月にはシングル「君の誕生日/散歩」をリリース。2枚目のオリコン第1位を記録して、約45.2万枚を売り上げた(72年10月に「涙はいらない/明日になれば」をリリースしており、チャートインしなかったため、2作連続の第1位ではない)。8月にはシングル「ロマンス/二人だけの昼下り」をリリース。オリコン最高第3位を記録して、約28.1万枚の売り上げを記録。年末には『日本レコード大賞』で大衆賞を、『日本有線大賞』で新人賞を受賞。フォーク系のミュージシャンとしては異例だが、テレビの歌番組に数多く出演しており、ほかに、ものまね番組や芸能人バレーボール大会などにも出演。大晦日には、『第24回NHK紅白歌合戦』に出場した。

しかしながら、急激な大衆路線への変更によって従来からのファンが離れて、人気が下降、76年3月に神田共立講堂で解散コンサートを行った。とはいえ、その間にもサード・アルバム『GARO 3』(72年)、5枚目のアルバム『サーカス』(74年)、6枚目のアルバム『吟遊詩人』(75年)、ラスト・アルバム『三叉路』(75年)など、高い音楽性を持った作品をリリースしていた。

解散後は、堀内護はミルキーウェイの蛭田龍郎(ピアノ)とバースデーを結成するも、結成2ヶ月ほどで蛭田龍郎が遠藤誠一(ピアノ/後にARBに参加)と交代。遠藤誠一が参加できない時はアルフィー(現:THE ALFEE)がバックを務めるも、バースデーは半年ほどで解散。ソロとなり、2枚のアルバムをリリース。94年にはグッド・フレンズに参加。13年には約36年ぶりのソロ・アルバムをMARK from GARO名義でリリース。

日高富明は実弟の日高義之(ギター)らと共に、ロック・バンドのファイヤーを結成。ファイヤーの演奏は、ガロの『三叉路』や、ソロ・アルバム『TOMMY』(77年)で聴くことができる。ソロで2枚のアルバムをリリース後、80年にマ・マ・ドゥ!!を結成して2枚のシングルをリリースした。

大野真澄はアルフィーをバックにソロ活動を開始。ソロでは、5枚のアルバムをリリース。近年は伊勢正三と太田裕美で、なごみーずを結成。精力的なコンサート活動のほか、3枚のライヴ・アルバムをリリースしている。

83年からは、堀内護と日高富明でマーク&トミーとしてライヴを行うが、日高富明が86年9月20日に、堀内護は14年12月9日に逝去。ライヴで3人のハーモニーを聴くことはできなくなってしまったが、今回の配信でその素晴らしいハーモニーを再確認してほしい。

May. 2020

小坂 忠

  • 「 HORO2010 」(2010年)
  • 「 ほうろう 」(1975年)

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ブレッド & バター

  • 「 Pacific 」(1981年)
  • 「 Monday Morning 」(1980年)
  • 「 Late Late Summer 」(1979年)

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サーカス

  • 「 ニュー・ホライズン 」(1979年)
  • 「 サーカス1 」(1978年)
  • 「 サーカス  アルファミュージック編
    1978~1980 」(2005年)

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今月の推薦盤Text:高岡洋詞

アルファミュージック創立50周年記念の「ALFA50」第2弾配信は、小坂忠、ブレッド&バター、サーカスの3組。先月の配信分と同様、AOR的なアーバン・サウンドに彩られ、シティ・ポップの文脈で再評価されている/されそうなアーティスト/作品が揃った。駆け足でそれぞれを紹介しつつ、配信作品の中から1枚ずつ選んでコメントしていこう。

小坂忠

小坂忠は1947年、東京都練馬区生まれ。大学時代に結成したバンドを母体としたザ・フローラルで68年にデビュー。ザ・モンキーズの来日公演で前座を務めるなどプッシュされるが、シングル2枚を残して解散。翌年にはベースとドラムスが細野晴臣と松本隆に交替したエイプリル・フールを結成、これもアルバム1枚を残して解散。日本初のロック・ミュージカル『ヘアー』出演を経て、アルファレコードの前身、マッシュルーム・レーベルの第1弾アーティストとして、71年にアルバム『ありがとう』でソロ・デビューした。72年にはフォー・ジョー・ハーフ(駒沢裕城、松任谷正隆、後藤次利、林立夫)を率いてのライヴ盤『もっともっと』、翌年『はずかしそうに』と順調にリリースを重ね、75年に畢生の名作『ほうろう』を発表した。

76年にクリスチャンになり、78年には日本初のゴスペル・レーベル、ミクタム・レコードを設立。91年には牧師に就任し、ゴスペル、ポップ両方のフィールドで活動している。2009年には集大成的な10枚組ボックス・セット『Chu's Garden』をリリース、その制作過程で『ほうろう』の16chマスターが見つかったのをきっかけに、歌を吹き込み直した『HORO2010』を2010年に発表。2017年に癌が発見されて入退院と手術を繰り返し、現在も治療生活を続けているが、翌年には鈴木茂、小原礼、Dr.kyOn、屋敷豪太、斎藤有太、Asiahとともに『ほうろう』再現コンサートを開催、同公演の模様を収めたライヴ・アルバム『HORO 2018 SPECIAL LIVE』をリリースした。

『ほうろう』

75年1月にマッシュルーム・レーベルからリリースされた4枚目のソロ・アルバムにして、日本のロック史に残る極めつきの名盤。鈴木茂、細野晴臣、林立夫、松任谷正隆のティン・パン・アレイに加え、矢野顕子、吉田美奈子、山下達郎、大貫妙子、矢野誠、松本隆(作詞のみ)のバックアップを得て、唯一無二のソウルフルな歌声を聴かせてくれる。本人は歌に不満があったそうで、それが『HORO2010』での再録につながるわけだが、一リスナーとしてはジェームス・テイラーからアル・グリーンまで数々の名シンガーのイメージが彷彿とする艶やかな歌に聴き惚れるばかりだ。

細野晴臣が5曲(「ほうろう」「ボン・ボヤージ波止場」「しらけちまうぜ」「流星都市」「ふうらい坊」)、鈴木茂(「氷雨月のスケッチ」)と矢野顕子(「つるべ糸」)が1曲ずつ、そして小坂自身が2曲(「機関車」「ゆうがたラブ」)を作曲。「氷雨月のスケッチ」と「ふうらい坊」ははっぴいえんど、「流星都市」はエイプリル・フールの曲をアップデートさせたものだ。「ほうろう」「ふうらい坊」の重いファンキーさには度肝を抜かれるし、フィリー調の「しらけちまうぜ」、サザン・ソウルな「機関車」、アーバンな「ゆうがたラブ」「氷雨月のスケッチ」「流星都市」、ノスタルジックなワルツ「つるべ糸」と、楽曲の質と幅、アレンジ、演奏、歌詞、曲順まで、どこをとっても完璧。神がかり的である。隙間の多いアンサンブルはシティ・ポップ全盛のいま聴いてもまったく古びたところがなく、日本のファンク/R&Bサウンドのひとつの雛型といえる。

ブレッド&バター

神奈川県茅ヶ崎市出身の岩沢幸矢(さつや、1943年生まれ)と二弓(ふゆみ、1949年生まれ)の兄弟デュオ、ブレッド&バターは加山雄三から連なる“湘南サウンド”の立役者である。大学卒業前にアメリカを旅した幸矢はサイモン&ガーファンクルに影響を受け、兄弟でフォーク・ロックをやろうと二弓を誘ってブレッド&バターを結成、1969年にフィリップスから「傷だらけの軽井沢」でデビューした。73年には日本コロムビアからファースト・アルバム『IMAGES』を発表(前年に岸部シロ―との共演作『Moonlight』がある)、『Barbecue』(74年)、『MAHAE(真南風)』(75年)とリリースを重ねていくが、二人はここで一度、やりたいことはやりきったと音楽活動から離れる。

閑話休題。デビューから遡ること4年、上原謙と加山雄三の父子が岩倉具憲(岩倉具視の曽孫)らと経営する“パシフィックホテル茅ヶ崎”が1965年に竣工した。芸能人や作家、政財界の名士が集い、現在まで続く湘南文化のルーツになった場所で、幸矢は学生時代にアルバイトをしていたこともある。ホテルは70年に経営破綻して岩倉具憲の邸宅も抵当に入るが、すぐには買い手がつかず、当面、娘の瑞江(のちに婦人服ブランド“スポーティフ”を立ち上げる)が住むことになる。彼女は親交の深かった岩沢兄弟と音楽仲間たちを呼び寄せ、コミューン的な共同生活を始めた。その旧岩倉邸のガレージを改造して岩沢兄弟が始めたのが、もうひとつのブレバタ「Café Bread & Butter」である。ここにかまやつひろし、南佳孝、荒井由実、鈴木茂といったミュージシャンたちが集い、パシフィックホテルの磁場を継承する文化的中心地となった。

79年に岩倉邸が開け渡されるとカフェも閉店、ブレバタはアルファレコードから再デビューする。ユーミンや細野晴臣、佐藤博、松原正樹らとともに作り上げた『Late Late Summer』(79年)、『MONDAY MORNING』(80年)、『Pacific』(81年)の3枚で垢抜けてポップなブレバタ流湘南サウンドを確立させていく。目下の最新作『ブレッド&バター LIVE BEST 2015』まで、幅広い世代のミュージシャンと交流しながら30枚以上のアルバムを発表し、ユニークな存在感を発揮し続けている。

『Late Late Summer』

79年6月に発売したアルファ移籍第1弾、通算4枚目(『Moonlight』を除く)のアルバム。夏と海のイメージが強いアーバン・リゾート・ポップ路線を確立させた『MONDAY MORNING』と迷ったが、活動休止前のフォーク・ロック・スタイルの痕跡が残った本作の趣深さはやはり格別だ。

細野晴臣が10曲中9曲のリズム・アレンジに関わり、演奏でも大活躍。坂本龍一、佐藤博、鈴木茂、松原正樹、椎名和夫、小原礼、林立夫、高橋幸宏、浜口茂外也も加わったソリッドな演奏に支えられて、二人の歌声が曲によって入れ替わりながら心地よく響く。幸矢曲「タバコロード20」「別れのあとの憩い」「ゆううつ」「JULIANNE」のフォークっぽい人懐っこさも、二弓曲「忘れ得ぬ貴女」「渚に行こう」「SUMMER BLUE」の洒脱さもいずれ劣らず魅力的で、中でも「SUMMER BLUE」のファンキーさは特筆もの。ユーミンが呉田軽穂名義で書き下ろした「あの頃のまま」、筒美京平メロディに凄みさえ感じる「青い地平線 -Blue Horizon-」がいいスパイスになっている。ポール・サイモンの "50 Ways to Leave Your Lover" を下敷きにした細野作「THE LAST LETTER」は林立夫の名演。

余談だが、本作にはスティーヴィー・ワンダーが書き下ろした曲が入る予定だった。レコーディングも終わっていたが、スティーヴィーのスタッフが「いい曲だからあげるのはもったいない」と言い出してお蔵入りになったそうだ。それが5年後の84年にスティーヴィー自ら歌って全米1位になった "I Just Called To Say I Love You" で、同曲の盗作疑惑が持ち上がったときに彼を救ったのがブレバタに送ったデモだった……というのはすごい話だ。二人は84年にあらためて「特別な気持ちで(I Just Called To Say I Love You)」として同曲をカヴァーしている。

サーカス

サーカスは1977年の結成以来、40年以上にわたって活動を続ける男女混声4人組コーラス・グループ。何度かのメンバー・チェンジを経ているが、もっともよく知られるのは叶正子と従姉妹の卯月節子に正子の弟である高(たかし)と央介(おうすけ)が加わった、全員が血縁者というユニークなラインアップだろう。ちなみに叶正子は「ヤマハのキャンディーズ」と称された女性3人組ピーマンのメンバーとして74年にデビューしている。

結成時のメンバーは正子と卯月にすが健と茂村泰彦を加えた4人組で、徳間音工からシングル「月夜の晩には」でデビューするも、バンド志向の強かった男性メンバー2人が早々に脱退してしまった。急きょ正子の弟2人を迎えて再結成、78年にアルファに移籍して「Mr. サマータイム」で再デビューしたが、同曲がカネボウのCMに起用されてオリコンのシングル・チャートで週間1位、年間8位の大ヒットに。翌年の4枚目(通算では5枚目)のシングル「アメリカン・フィーリング」もJALのCMソングとしてオリコン週間5位のヒットとなり、2年連続で『NHK紅白歌合戦』に出場した。

84年に卯月節子が結婚、叶央介はソロ活動のため脱退し、オーディションで選ばれた原順子と嶋田徹が加入。さらに88年には嶋田が脱けて叶央介が復帰。91年に央介と原順子が結婚し、再びメンバー全員が親族になった。2013年に叶央介と原順子が2人のユニットJ&O(のちに2VOICEに改称)に専念するためグループを離れ、高の長女である叶ありさと吉村勇一が加わる。現在は正子(唯一のオリジナル・メンバー)、叶高(リーダー)、ありさ、吉村の4人組で元気に活躍中である。 

『ニュー・ホライズン』

79年5月に発売されたセカンド・アルバム。ファースト『サーカス1』は「Mr. サマータイム」(ミシェル・フュガン)を筆頭に全曲カバーだったが、こちらは小田裕一郎作曲「アメリカン・フィーリング」が受け入れられたことに自信を得てか、オリジナルで固めた意欲作。前作で全編曲を担当した前田憲男は「もっとエメラルド」のみで、坂本龍一(3曲)、佐藤博(3曲)、鈴木茂(2曲)、小川よしあき(2曲)がアレンジとキーボード(鈴木はギター)を担当し、他に松原正樹、杉本喜代志、細野晴臣、小原礼、岡沢章、高水健司、村上秀一、高橋幸宏、斉藤ノブ、浜口茂外也、数原晋、新井英治、ジェイク・コンセプションといった当時の売れっ子たちがバックを固めている。

ラヴ・アンリミテッド・オーケストラが彷彿とする小川よしあき(『岸辺のアルバム』の音楽で知られる)作「ムーヴィング」からキレキレ。デビュー前の山本達彦の「思い出のサーフ・シティー」(高と央介が前面に出ている)、ハイ・ファイ・セット「メモランダム」でも知られる滝沢洋一の「サルバドール紀行」「六月の花嫁」「フライ・アウェイ」、佐藤健の「愛のキャンパス」「ヒッチハイク」に林哲司の「もっとエメラルド」など、「アメリカン・フィーリング」以外の曲も負けず劣らずの高クォリティ。コーラスも美しくかつ潑剌として、タイトルに満ちた覇気を裏切らない。

April. 2020

吉田美奈子

  • 「 愛は思うまま LET'S DO IT 」(1978年)
  • 「 MONOCHROME 」(1980年)
  • 「 MONSTERS IN TOWN 」(1981年)
  • 「 LIGHT'N UP 」(1982年)
  • 「 IN MOTION 」(1983年)

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佐藤博

  • 「 Awakening 」(1982年)
  • 「 Awakening Special Edition 」(2014年)
  • 「 SAILING BLASTER 」(1984年)
  • 「 SOUND OF SCIENCE 」(1986年)
  • 「 FUTURE FILE 」 (1987年)
  • 「 AQUA 」(1988年)
  • 「 TOUCH THE HEART 」(1989年)
  • 「 Good Morning 」(1990年)
  • 「 Self Jam 」(1991年)
  • 「 HAPPY & LUCKY 」(1993年)

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ハイ・ファイ・セット

  • 「 卒業写真 」(1975年)
  • 「 ファッショナブル・ラヴァー 」(1976年)
  • 「 ラブ・コレクション 」(1977年)
  • 「 ザ・ダイアリー 」(1977年)
  • 「 スウィング 」(1978年)
  • 「 ハイ・ファイ・ブレンド・パート1 」
    (1977年)
  • 「 ハイ・ファイ・ブレンド・パート2 」
    (1979年)
  • 「 ハイ・ファイ・ブレンド・パート3 」
    (1981年)
  • 「 GOLDEN☆BEST
    / ハイ・ファイ・セット 荒井由実・松任谷由実・杉真理作品集 」(一部除く)(2002年)
  • 「 CD & DVD THE BEST ハイ・ファイ・セット 」(DVD部分除く)(2005年)

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今月の推薦盤Text:馬飼野元宏

4月24日からスタートした、アルファミュージック創立50周年プロジェクト『ALFA50』。その記念すべき第1回配信、吉田美奈子、佐藤博、ハイ・ファイ・セットの3組について、ここでご紹介したい。

この3組の共通項といえば、現在、世界的規模で人気が高まっている日本発のポップス「シティ・ポップ」の文脈で紹介されることが多いが、中でも吉田美奈子は山下達郎、大貫妙子とともに、このジャンルのレジェンド級の存在として海外でも人気が高い。そして、今も活動を続けている現在進行形のアーティストでもある。

吉田美奈子

吉田美奈子は1953年、埼玉県生まれ。実兄は東芝、RCA、CBSソニーなどレコード会社大手で活躍したレコーディング・エンジニアの吉田保。高校生の頃に、松本隆や細野晴臣と知り合い、楽曲づくりをはじめ、これを機にはっぴいえんど周辺のミュージシャンと交流をもちはじめる。ピアノ・デュオの「ぱふ」在籍を経て72年、大瀧詠一のソロ・ファースト・アルバムに収録された「指切り」にピアノとフルート演奏で参加し、プロ・デビューを果たす。翌73年9月には細野プロデュース、キャラメル・ママの全面参加によるファースト・アルバム『扉の冬』を発表。以降70年代中盤まではキャラメル・ママ人脈のアーティストとしてその名を知られ、シュガーベイブの山下達郎、大貫妙子らと組むことが多く、ことに山下の楽曲の作詞を数多く手がけ、彼らとともに荒井由実らの楽曲にコーラス参加したりと、積極的な活動でその名を知られるようになった。大瀧詠一が手がけた名曲「夢で逢えたら」の最初の歌唱者でもある。

デビュー当時は「和製ローラ・ニーロ」と呼ばれたように、内省的な作風をもつ、女性シンガー・ソングライターの草分けの1人でもあったが、70年代後半からは都会的なポップ・センスをもつアーティストへと変貌、78年にアルファに移籍してからは、80年のアルバム『MONOCHROME』以降、ファンク的な音作りへ傾倒していく。

『MONSTERS IN TOWN』

81年に発表された吉田美奈子の通算8枚目、アルファでの3作目となる『MONSTERS IN TOWN』は、前作からスタートしたファンク路線をさらに拡大していった内容で、彼女の圧巻の歌唱力、うねるようなメロディー・ラインが、それまでの日本のポップスにはなかった、洗練さとパワフルさを兼ね備えた独自の境地へ到達している。RCA時代から継続して、実兄の吉田保がエンジニアリングを担当し、ソニー六本木スタジオでレコーディングされた。

演奏メンバーは前作『MONOCHROME』から続けて参加の松木恒秀(g)、岡沢章(b)、渡嘉敷祐一(ds)、清水靖晃(sax)のほか、富樫春生(kb)、中西康晴(kb)、土方隆行(g)、坂田晃(sax)といった凄腕プレイヤーが勢ぞろいし、その音世界は限りなく広がりをみせ、ニューヨークの摩天楼を彷彿とさせるスケールの大きなシティ・ポップが誕生している。

吉田自身が出演した日立マクセルカセットテープのCM曲「BLACK EYE LADY」をはじめ、流麗なメロウ・バラード「LOVIN’YOU」などでは自身もピアノで参加、強力なファンク・チューン「MONSTERS STOMP」では当時人気だったアナログシンセのプロフェット5を駆使している。また、吉田の盟友である山下達郎も「MOMENT OF TWILIGHT」ではストリングス&フルートアレンジを、「KNOCK,KNOCK」などでホーンアレンジを施し、全体のサウンドに厚みと煌びやかさを加えた。

特筆すべきはすべての楽曲の作詞・作曲はもちろん、全曲のアレンジとプロデュースも吉田自身が手掛け、その結果歌とサウンドの一体感が、それ以前より格段に緻密さを増し、冒頭を飾る傑作「TOWN」にみられる、うねりまくるグルーヴの海が生まれているのである。「TOWN」は6分16秒もある大作ファンク・チューンで、この翌年に12インチシングルも発売され、現在でもDJユースの定番曲として知られる人気ナンバー。いっぽうでアカペラの「NIGHTS IN HER EYES」は、彼女のもつゴスペル感覚が最大限に発揮された最初のナンバーと呼べるだろう。このアルバムでの成功が、その翌年に半数の曲でニューヨーク録音を敢行したアルバム『LIGHT’N UP』へとつながる。デヴィッド・サンボーン、マイケル・ブレッカーら、この年に活動を休止したブレッカー・ブラザーズのメンバーを呼び寄せ、ファンク度数をさらに増しながらも、より洗練されたレトロ・フューチャー感覚も加味したこちらのアルバムも、是非この機会にあわせて聴いてほしい。

佐藤博

続いて佐藤博もアルファ在籍時の10作品が配信スタート。佐藤博は1947年京都市生まれで、70年頃からジャズ系のピアニストとして活動を開始。70年代前半はウエスト・ロード・ブルース・バンドをはじめとする関西ブルース系ロックや、オリジナル・ザ・ディラン、加川良らフォーク系アーティストの作品に演奏参加し、加川のアルバム『アウト・オブ・マインド』でともに参加した鈴木茂と知り合い、76年に鈴木に誘われ上京、ハックルバック結成に加わる。ハックルバックはもともと佐藤のほか田中章弘、林敏明が、石田長生と共に結成した「THIS」のメンバーでもあった。

大滝詠一をして「ラグタイムを弾かせたら日本一」といわしめた佐藤のピアノ・プレイは、キャラメル・ママから発展したティン・パン・アレーとその周辺アーティストたちに重用され、細野晴臣の『トロピカル・ダンディー』から『はらいそ』に至るトロピカル三部作や、西岡恭蔵『ろっかばいまいべいびい』、吉田美奈子『FLAPPER』(ここではサウンドプロデュースも担当)南佳孝『忘れられた夏』、山下達郎『SPACY』『GO AHEAD!』など数多くの作品にプレイヤーとして参加、自身も76年にアメリカで制作したファースト・ソロ・アルバム『SUPER MARKET』を発表した。2012年に急死するまで、現役トップ・クラスのピアニスト、キーボーディストとして膨大な作品に参加&楽曲提供を果たしている。いわばジャパニーズ・シティ・ポップの影の立役者の1人でもあるのだ。

『Awakening』

82年6月25日にリリースされた、佐藤博の通算4枚目、アルファ移籍第一弾となったアルバム。ティン・パン・ファミリーのピアニストとして活躍した70年代を経て、79年に渡米、アメリカで出会ったリン・ドラムLM-1を駆使して、多重録音のマルチ・サウンド・クリエイターとして開花したのが本作である。もともと宅録マニアだった佐藤にはうってつけの機材であり、自身の自由な音楽活動を体現できる新たな希望を胸に、帰国の途につき、発表した作品である。

ほとんどの楽曲は緩やかなミディアムもしくはスローなメロウ・ナンバーで、ほぼすべての曲を佐藤が作曲している。リン・ドラムとシンセを駆使したデジタルで無機質な音の空間が、どこか温かさを持って聞こえてくるのは、佐藤自身の朴訥とした歌い方と、本作でフィーチャーされた新人ウェンディ・マシューズによる透明感溢れるヴォーカルのため。2人のデュオによる「I CAN’T I WAIT」「YOU’RE MY BABY」などでその魅力が最大限に発揮されている。さらに、リンダ・キャリエールの未発表作に提供した「IT ISN’T EASY」は、ジャパニーズ・テイストを感じさせるメロディー・ラインが秀逸。ビートルズ「FROM ME TO YOU」のカヴァーも洗練度が高い。ゲスト・ミュージシャンには松木恒秀、鳥山雄司に加え、「SAY GOOD-BYE」と、初出では未収録だった「BLUE AND MOODY MUSIC」のウェンディ・ソロ・バージョンでは山下達郎がギタリストとして参加。そのクールかつメロウなサウンド・メイキングは、現在ではシティ・ポップの大定番アルバムとして最高の評価を得ている。レコーディング・エンジニアは小池光夫、東京田町のアルファ・スタジオAで収録され、デジタル・マスタリングが施されている。

ハイ・ファイ・セット

今回の配信アーティストのトリを飾るのは、アルファミュージックのシンボリック的な存在といえるコーラス・グループ、ハイ・ファイ・セット。メンバーは女性ヴォーカルの山本潤子をメインに、夫でもある山本俊彦、そして大川茂の3人。彼らは「翼をください」「竹田の子守唄」などで知られるコーラス・グループ「赤い鳥」のメンバーで、1974年9月に解散した後、翌月に結成された。グループ名は細野晴臣による。

赤い鳥は日本各地の子守唄や伝承歌などを採り上げ、美しいハーモニーを聴かせるかたわらで、ソフト・ロック的なサウンドもあわせもつグループであった。このうち都会的センスの新しいポップスを志向する3人が、解散後にハイ・ファイ・セットを結成したのである。デビュー曲は同じアルファ所属だった荒井由実の作詞・作曲による75年2月の「卒業写真」でユーミン自身のヴォーカルも同年6月のアルバム『コバルト・アワー』に収録されているが、もとはハイ・ファイ・セットが初出。2番の歌詞に登場する「ゆれる柳の下」とは、田町のアルファ・スタジオへ行く道に植えられていた柳をモデルにしているそうである。

77年にはモーリス・アルバートの「愛のフィーリング」になかにし礼が日本語詞をつけた「フィーリング」がチャート1位の大ヒットとなり、彼らは一躍人気グループとして注目を集めた。その後も、オールディーズのカヴァー「恋の日記」や、武満徹作曲による同名映画の主題歌「燃える秋」、スウィングに接近し和製マンハッタン・トランスファーを意識したアルバム『3 NOTES』などの意欲的な楽曲、アルバムを発表し、84年にはソニーに移籍、巧みなコーラス・ワークを極限まで高めた杉真理作曲の「素直になりたい」をヒットさせた。94年9月の解散まで、シングル26作、アルバム19作を発表している。

『ファッショナブル・ラヴァ―』

76年6月5日に発売されたハイ・ファイ・セットのセカンド・アルバムで、文字通りおしゃれで華やか、そして洗練された都会派のラブ・ソング集となっている。全10曲のうちメンバーの大川=山本俊彦によるタイトル・チューンを除いたすべての楽曲を荒井由実が作詞。作曲もユーミン自身のほか松任谷正隆、山本、かつて「赤い鳥」のメンバーでもあった渡辺俊幸が手がけており、全編曲は松任谷正隆。松任谷をはじめとするティン・パン・アレーのメンバーである細野晴臣、鈴木茂、林立夫が全面的にバッキングを担当していることもあり、前年に発売され同じくティン・パン・アレーが参加した荒井由実の3作目『コバルト・アワー』とは姉妹アルバムのような内容となっている。

ユーミン作詞・作曲作のなかでも「冷たい雨」はもともとバンバンに提供した楽曲で、ユーミンの作家出世作となった「『いちご白書』をもう一度」のB面に収録されたのが最初。ハイ・ファイ・セットのヴァージョンは松任谷正隆による印象的なピアノのイントロからして都会に降る雨の雰囲気を高めており、一層洗練されたサウンドが構築されている。山本潤子の透明感に溢れたヴォーカルがハイセンスな都会暮らしの女性の孤独を表現しており、それが一層際立つのがやはりユーミン作の「朝陽の中で微笑んで」で、クリスタルで神秘的な世界を現出させている。ほかにもシベリア鉄道の旅をイメージさせる「荒涼」や、アメリカ大陸横断を描いた「グランド・キャニオン」、メキシコを舞台にした「月にてらされて」など、海外へ目を向けた作品も多く、一方では「フェアウェル・パーティ」のような都会の大学生活を懐かしむ洒脱なナンバーもあり、これまでの日本のポップスには存在し得なかった、洋楽的センスに満ちたコーラス・ワークが楽しめる盤となっている。

彼らのこういった都会的なセンスの表現に関しては、プロデューサーでもあり、ファースト・アルバム『卒業写真』では作曲も手がけた村井邦彦の存在が大きい。『卒業写真』に収録された村井作曲の「エイジス・オブ・ロック・アンド・ロール」や「胸のぬくもり」を聴けば一目瞭然だが、フォーク全盛の時代においては驚嘆すべきポップ・センスである。シティ・ポップの始祖の1人ともいえるユーミンが作詞し村井が作曲、松任谷正隆が編曲した「スカイレストラン」と「土曜の夜は羽田に来るの」のカップリングは、その最高峰とも呼べるもの。このシングル盤はファーストとセカンドの合間にリリースされ、惜しくもオリジナル・アルバムには未収録だが、ベスト・アルバム『ハイ・ファイ・ブレンド・パート1』に収録されているので、こちらも是非楽しんでいただきたい。

アルファミュージック考現学 ALFA Music Modernology

ALFA RIGHT NOW〜ジャパニーズ・シティ・ポップの
世界的評価におけるALFAという場所

第一回「50年後のLAから」
Text:松永良平

あれは、そう。まだあの日から一年も経っていない。2019年6月12日、渋谷のライブハウス〈WWW〉で、LA出身の若きシンガー・ソングライター、ジェリー・ペーパーのライブを見ていた。

マイナー・レーベルから宅録的な作品をリリースしていた頃からすでに来日を重ねてきた知る人ぞ知るアーティストだったジェリーは、2018年にリリースしたアルバム『Like A Baby』が、マニアックな再発や現代的なダンス・ミュージックをリリースしているシカゴのレーベル〈ストーンズ・スロウ〉からリリースされ、一躍ちょっとした時の人となった。この日の東京公演も、アジア・ツアーの一環として組まれたものだった。

ライブの中盤、ジェリーは「日本のみんなのためにこの曲をプレイするよ」とMCした。バンドが演奏を始めた曲は、なんと佐藤博の「Say Goodbye」。

佐藤博『awakening』(1982年発表)

同曲が収録された『awakening』は、1982年6月にリリースされた、佐藤にとって4枚目のソロ・アルバムであり、アルファレコードと契約しての第一弾でもある。数年前からインターネットを中心に、このアルバムへの関心が世界的に高まっているという事実は知っていた。そのモダンかつ未来的なシティ・ポップ・サウンドは今でこそ再評価やソフトの再発(アナログ盤でも再リリースされた)が進んでいるが、当時の日本ではほとんど話題にならなかったというのも事実だった。

折しも、シアトルとLAに拠点を持つアメリカのリイシュー・レーベル〈ライト・イン・ジ・アティック〉から、ジャパニーズ・シティ・ポップのコンピレーション・アルバム『Pacific Breeze』がこの年の5月にワールドワイドでリリースされたばかりだった。ジェリーがあのコンピレーションをきっかけにその曲を知ったばかりで、日本に行く興奮も相まって選曲したと考えるのは不思議じゃない。

しかし、この日の客席は「Say Goodbye」のカバーで、ドッと盛り上がったわけではなかった。原曲も英語詞のため、佐藤のバージョンを知らない客層にとっては「これは誰の曲?」という大きな疑問符が浮かんでいたと思う。韓国や台湾、タイへと続いたアジア・ツアーでもジェリーは「Say Goodbye」を演奏し続けたんだろうか?それとも、その国ならではのシティ・ポップをカバーしていたんだろうか?

その答えは、半年後にアメリカで出た。2019年10月13日、LAから車で2時間ほど内陸に向かったレイク・ペリス保養地で行われた音楽フェス〈Desert Daze〉に居合わせたぼくは、再びジェリー・ペーパーのライブを見た。来日時とおなじメンバーで50分ほどのセット。その中盤だった。バンドが「Say Goodbye」のイントロを演奏し始めた。ジェリーは、この曲について特別に説明するMCもしていない。なのに、観客からは「わー!」という歓喜の声が上がったのだった。

世界的に有名な超巨大フェスに比べればマニアックな顔ぶれが集まっているフェスだが(台風のため出演キャンセルとなったが、日本から坂本慎太郎の出演も予定されていた)、とりわけジェリーの熱心なファンが集まっているというような環境ではない。おそらく、ここにいる彼らは当たり前のようにこの曲を知っているのだ。

その反応が日本で見たときよりもはるかにダイレクトだったことは、しばらくぼくに強い印象として残っていた。

この連載『ALFA RIGHT NOW』を始めるにあたって、自分には何ができるだろうと考えた。アルファの50年のヒストリーや、ここから生まれた素晴らしい作品、活動をしたアーティスト、スタッフなどについての掘り下げは、たぶん、ふさわしい方々がやったほうがいい。自分にできることは、カタログの全世界配信が始まる流れを受けた「これから」の話じゃないかと思う。

東京と南カリフォルニアで見たジェリー・ペーパーの「Say Goodbye」のカバーは、その起点のひとつになると思えた。ジェリー自身が日本びいきとはいえ、特別にアルファから生まれた作品について詳しいとは思わない。だが、もともと60年代のサイケデリック・ポップやケヴィン・エアーズなどを愛する宅録青年であった彼の耳をとらえた佐藤博の曲は、間違いなくアルファから生まれたものだ。それが、どういう経緯があって、誰がバトンのリレーに関わって、さらに「これから」誰にアルファの音楽とその精神を手渡していくのかを知りたいし、糸口を探したい。

まずは、その話のふりだしを、「アルファ」が生まれた50年前の東京ではなく、現在の「LA」に置いて話を進めていきたいと考えた。

ロサンゼルスには、アルファの創設者である村井邦彦が移住し、長く暮らしている。そして、先述した『Pacific Breeze』のリリースに深く関わった若いスタッフやコラボレーターたちもLA在住だ。

2018年10月に刊行された村井の著書『村井邦彦のLA日記』に、興味深い箇所がある。

濱田髙志主宰のフリーペーパー『月刊てりとりぃ』に連載された文章を時系列で収録したこの本の「2016年」にある「アルファレコードを“掘る”アメリカの若者たち」という一章だ。

その冒頭の一文を引用する。

今朝、息子のヒロ・ムライの紹介でマークとマットとヨースケが僕に会いにきた。

マークはラジオ局をやっていて、先端的なアートや音楽を取り上げている。ヒロのミュージックビデオを観る会や彼の描いた絵の展覧会などを一緒にやっているそうだ。

マットとヨースケは「Light in the Attic(屋根裏部屋の灯)」という1970~80年代の米・欧・日の埋もれたレコードの復刻版を発売する会社をやっている。(『村井邦彦のLA日記』270ページより)

村井邦彦『村井邦彦のLA日記』(立東舎刊)

この冒頭の短い文章に、重要な人物が何人も登場している。

まず、「ヒロ・ムライ」。この当時はまだLAを拠点にテレビやミュージックビデオの製作を行なっている新進気鋭の映像作家だった。現在では2019年のグラミー賞で最優秀レコード賞、楽曲賞を受賞したチャイルディッシュ・ガンビーノ(ドナルド・グローヴァー)「This Is America」のディレクターとして世界的な知名度を手にしている(「This Is America」も最優秀短編ミュージックビデオ賞を受賞している)。村井の文中にもあるように、マークとヒロ・ムライにもともと交友があったことが、この訪問のきっかけだった。ヒロ・ムライの父親が村井邦彦であるという事実の判明は、大変な驚きだったそうだ。

「マーク」とは、マーク・マクニール。彼がやっているラジオ局とは、インディペンデントのネット・ラジオ局〈dublab〉のこと。2018年末、細野晴臣の過去タイトルから5作品の全米リリースがライト・イン・ジ・アティックで実現した際には、村井が出演して細野との出会いや作品がアルファから生まれていった背景についてインタビューに答えている(現在もアーカイブが残されていて聴取可能)。

「マット」は、2002年にシアトルで誕生したライト・イン・ジ・アティックを設立した共同創設者、マット・サリヴァン。

そして「ヨースケ」は、ライト・イン・ジ・アティックで2018年以降に実現する日本関連のリリースのディレクションにあたって、もっとも重要な役割を果たした日本人スタッフ、北沢洋祐。1979年生まれで、日本人の両親のもとでカリフォルニアで育った北沢だが、日本の音楽に興味を持ち始めたのは90年代の後半だったという。もともと60年代や70年代の音楽が好きだったという彼にとって、日本の音楽を深く知るきっかけとなった入り口は、60年代のグループ・サウンズ。やがて時代を追ってはっぴいえんどを知り、細野晴臣の重要性を知り、その後に細野を中心としたジャパニーズ・シティ・ポップの系譜へと探索の対象を広げていった。

ただし、ライト・イン・ジ・アティックに入社した時点で、すぐにジャパニーズ・ポップの仕事に取り掛かったわけではなかった。当初はアメリカのテレビや映画の権利をライセンスする仕事をしていたそうだ。

やがて、自身も後追いで知られざる過去の日本の音楽を紐解いていく興奮と、日本語が堪能で英語圏の人たちよりも一次情報にアクセスしやすいという利点、その両方が手伝って、日本の音楽の紹介が彼にとって大きなプロジェクトになっていった。

他にも、サンフランシスコを拠点とするインディー・フォーク・バンド、ヴェティヴァーを率いるアンディ・ケイビック、LAのラジオDJでミュージック・スーパーバイザーであるザック・カウウィーといった重要な人物がいるが(この連載でものちに登場することになるだろう)、2016年に村井邦彦家を訪れたのは、マーク、マット、ヨースケの3人だった。

そして、その訪問がひとつの転機となり、結実していったリリース・プロジェクトは以下の通り。

V.A.『Even a Tree Can Shed Tears : Japanese Folk & Rock 1969-1973』(2017年10月)

V.A.『Kankyō Ongaku: Japanese Ambient, Environmental & New Age Music 1980-1990』(2019年2月)

V.A.『Pacific Breeze: Japanese City Pop, AOR & Boogie 1976-1986』(2019年5月)

V.A.『Pacific Breeze: Japanese City Pop, AOR & Boogie 1972-1986』(2020年5月)

このうち、『Kankyō Ongaku』が2020年のグラミー賞で優秀ヒストリカル・アルバム部門にノミネートされた。惜しくも最優秀賞の受賞はならなかったが、そもそもこの部門で日本の作品が対象となったことも、80年代の音楽が対象となったことも、史上初の快挙だったという。

また、前述したように2018年の細野晴臣過去作品5タイトルや、昨年実現した金延幸子『み空』のCD、アナログでの北米リリースも、このチームによる重要な仕事だった。

とりわけ、日本のフォーク、環境音楽、シティ・ポップという順番で発売されたことも、世界のリスナーの関心の変化を絶妙にとらえたタイミングだった。

その見極めの良さに感心したことを、昨年、北沢にぼくが行った取材(ミュージック・マガジン増刊『シティ・ポップ 1973-2019』に掲載)で伝えると、彼の答えは意外なものだった。

「じつは3枚のコンピレーションは全部同時に進行していました」(北沢)

つまり、村井宅を訪問した時点で彼らはこのすべてのアイデアを持っていたことになる。だが、日本のレコード会社との交渉の難航など、いくつかの問題を抱えていたのも事実だった。

日本のフォーク・ロック(ソフト・ロック)、シティ・ポップ、環境音楽(エレクトリック・ミュージック)のすべてにまたがってカタログを残し続けていたのが、アルファレコードだった。そして、細野晴臣を「プロデューサー」として初めて契約した人物が村井邦彦だ。

この訪問によって、いくつかの運命の鍵が開いたことは間違いない。次回からは、ライト・イン・ジ・アティックのリリースに関わった人々の証言を記しつつ、アルファレコードのカタログや精神がそのなかでどう受け止められていたかをたどっていきたい。21世紀アルファの旅とでもいったところか。

今回の連載にあたって、北沢にもあらためて取材を申し込んだ(その内容は次回以降にあらためて掲載していきたい)。そのなかで彼が言った印象的なひとことがある。

シティ・ポップという言葉は英語では意味が通じない言葉だったが、今では海外でもひとつのジャンルを指す言葉として成立しているが、という僕の発言に対して

「『Pacific Breeze』にはシティ・ポップとは(曲単位では)思えないような曲も入ってるけど、これもシティ・ポップだと言われればまあそうかなと思えてくる。F.O.E.の『In My Jungle』みたいな曲は僕はちょっと違うかなとも思うけど、86年のあの曲を入れることでシティ・ポップのエヴォリューション(進化)も示せてるとも思う。サウンドのプロダクションやドラムのサウンドとかは時代によって変わっていくけど、そこに共通したものがあればシティ・ポップとしてOKかな」

サウンドは時代によって変わっていっても、そこを貫く「何か」があればいい。その「何か」は、アルファレコードのカタログについても言えることだろう。それをいろんな人たちと話して考えていくことが、この連載の主眼になるし、美学のバトンの継承にもなるはずだ。

ALFA RIGHT NOW〜ジャパニーズ・シティ・ポップの
世界的評価におけるALFAという場所

第二回
「アンディ・ケイビック(Vetiver)
に聞くシティ・ポップとALFA」
Text:松永良平

この連載を引き受けた4月は、まさに新型コロナウィルス流行を受けての緊急事態宣言が日本全国で発令された渦中だった。ジャパニーズ・シティ・ポップを世界に向けて発信する重要拠点となっていたレーベル〈ライト・イン・ジ・アティック〉を振り出しに始めてみようと思い立ち、同社でのリイシュー・プロジェクトに尽力しているロサンゼルス在住の日本人プロデューサー、北沢洋祐に打診をし、いろいろと話を聞いた。第一回では、そのさわりの部分をイントロダクションとして書いている。

その最初の取材の時点でも全米各州も非常に厳しいロックダウン中だったが、まだお互いにコロナウィルスだけに集中して備えていればなんとかなるのではないかという意識だったと思う。

それからわずかな間で状況はかなり変わった。5月26日にミネソタ州ミネアポリスで起きたジョージ・フロイドさんの痛ましい事件を起点とした全米規模の抗議行動と、それに対する警察や政府の理不尽な対応には、日本でニュースを見ているだけでも気持ちが混乱した。さらには、経済活動の優先を謳った自粛解除の動きによって再びウィルス感染の規模も拡大している。

アメリカに明るいニュースがないことを彼は嘆いていた。

そんななか、メールのやりとりをしていたら、こんなことが書いてあった。

「村井さんに初めて会ったあの日からすでに4年経ちましたが、こう振り返って見るとその期間で想像してたより大きな影響のあることを達成できたなと思ってます。よく覚えてるのは村井さんと会った日はトランプが当選された翌日だったこと。村井宅へ向かってる車の中でみんなでこの世はどうなってしまうのか?と話してたことを覚えてます。それから4年後、いまはこんな状況ですからね」

そうか。第一回で、村井邦彦の著書『村井邦彦のLA日記』で北沢さんたちが2016年に村井邸を訪ねる一文をとりあげたが、その日がドナルド・トランプが大統領になった(なってしまった)翌日だったことは意識せずにいた。

単なる日付の巡り合わせにすぎない出来事なのだろうが、ぐうぜんとは不思議なものだなと思う。だってそうだろう。北沢たちが村井を訪ねたその日があったおかげで、2017年にリリースされた『Even a Tree Can Shed Tears : Japanese Folk & Rock 1969-1973』をはじめとしたコンピレーションが大きく動き出した(アルファ関連のライセンスについて、村井の尽力が必要だったことは明言されている)。

そして、アルファレコードの全貌をとらえなおすこのプロジェクトがスタートしたこの2020年、世界はこれ以上ないほどに揺れている。

もっとさかのぼって考えれば、1969年というアルファレコード創設の時代も、社会は激動していた。村井がいつか未来に実を結ぶ種を植え、育てるための場を作ろうとしたのは、そんな時代だったということは意識しておいたほうがいい。

平和な時代でなければ音楽は聴けない、という人がいる。はたして本当にそうだろうか。もちろん争いごとや社会の矛盾はなくなるに越したことはない。だが、美しいものを求める創作、作り出そうと挑み続けた記録が、ある種の祈りのように時代を超えて通じるのだとしたら、厳しい時代だからこそ音楽は必要だと思う。

そして、そのために音楽は、時代の変化に対して揺るがない、芯の強いものでなくてはならない。

前置きが長くなってしまった。連載第二回となる今回は、ジャパニーズ・ポップのアメリカでの受容を表面化させ、促進した〈ライト・イン・ジ・アティック〉のコンピレーションで重要な役割を担った人物のひとり、アンディ・ケイビックに行ったインタビューを掲載する。

サンフランシスコでヴェティヴァーというバンドを率いるアンディは、ぼくの知る限りでは、かつてあった日本の音楽への興味(グループサウンズやハードロック、パンクなどへの)とは違った新しい感覚でジャパニーズ・ポップを掘り始めた最初の世代の代表的な人物。おなじくジャパニーズ・ポップに傾倒しているデヴェンドラ・バーンハートのコラボレーターでもあった。もともと自身も70年代の英米のシンガー・ソングライターやポップ・ミュージックに影響を強く受けた彼は、ヴェティヴァーで『Songs from the Past』(2008年)という、日本のマニアも驚くほどディープな英米の名曲をカヴァーしたアルバムをリリースしている。また、翌年にリリースされたアルバム『Everyday』(2009年)は、一転して、メロウなシティ・ポップ感覚にあふれたオリジナル曲で占められ、このアルバムを、いわゆる“ヨット・ロック”の代表にあげる声も多い。

アンディがジャパニーズ・ポップを探していると友人づてに聞いたのは数年前のこと。そのときは直接のアクセスをする機会はなかったが、『Pacific Breeze』リリース時にスタッフとして彼の名前があるのを発見したときは信頼できる証のように受け止めた。

〈ライト・イン・ジ・アティック〉のプロジェクトに関わった面々は、それぞれに自分なりの視点をもって選曲や構成にあたっているが、プロフェッショナルなミュージシャンでもあるアンディがジャパニーズ・ポップに抱いた関心についても知りたいと思った。そしてもちろん、英語で得られる情報が少ないなかで、彼がアルファレコードについて得ていった知見についても。

『Pacific Breeze』

──最初に好きになった日本の曲は? そして最初のフェイヴァリット・アーティストは?

「たぶん、最初はピチカート・ファイヴだね。〈Baby Love Child〉が入ったアメリカ向けのコンピレーション盤『Made In USA』(1994年)だ。プリンス・ポールがソウルⅡソウルとドリーム・アカデミーをカットアップして編集したみたいなすごい曲だと思った。

初めて日本に行ったのは2003年のこと。タッスルというバンドでベースを弾いて、東京の近郊とか、ライヴであちこちを回った。そのとき、ヴィレッジ・ヴァンガードで『琉球レアグルーヴ ~Shimauta Pops in 60's -70's』(2003年)というCDを買った。そのCDに何が入っているのかまったくわかってなかったけど、他にはないおもしろさがあるように見えたんだ。実際、あれは(沖縄の)島唄ポップ・ミュージックのすごいコンピレーションだった。シャッグスを思い出すような瞬間が何度もあったくらいね。

でも、あのCDのブックレットにはあんまりインフォメーションがなくて、他にはどういうアーティストが日本にいるのかわからなくてね。それからというもの、アメリカにいるときでも日本のアルバムを見つけたらどんなものでも手に取った。ぼくは70年代(アメリカ)のポップ・ミュージックやシンガー・ソングライターがもともと大好きで、日本の音楽のクオリティの高さがそれに匹敵するものだったという発見も、探し続ける大きな動機になった。

そして、二度目に日本に行ったときにはタワーレコードでたくさんCDを買ったんだ……、はっぴいえんど、シュガー・ベイブ、細野の初期のソロ・アルバムとかをね」

──日本の音楽を知っていくにつれ、見えてきた重要なバンドやアーティストがいたと思うのですが。

「当時の日本で誰が重要な役割を担っていたのかを見分けるのは簡単じゃなかった。だけど、個人的にははっぴいえんどとシュガー・ベイブの存在が次に手に入れるべきレコードの指針になった。メンバーのソロ・ワーク、プロデュース作品、サイドマンとして参加した作品とかね。サディスティックミカバンドとYMOも同じように刺激的な存在だった。

ぼくは、そうやって見つけた音楽を友達とシェアしあって徐々にその輪を広げていっただけだよ。日本で知り合ったみんなもぼくにもいろんなアーティストや作品を教えてくれたしね。何年もかけて知識を増やしていったんだ」

──ALFA MUSICについては、どういう印象を持っていますか? 細野晴臣、小坂忠、ブレッド&バター、荒井由実、佐藤博、吉田美奈子、YMOといったアーティストたちについての個別の印象でも構いません。

「ALFAというレーベルについては、そんなに詳しくは知らないんだ。ただ、ぼくの好きなアルバムやシングルはALFAからたくさんリリースされている。いま名前があがったアーティストは、みな長いキャリアと自分の強固なヴィジョンを持っているよね。自分自身をたびたび更新し、新たなスタイルで多くのアルバムを出し続けている。その事実がとても刺激的だ。

非常に高いミュージシャンシップとクリエイティヴな探求がこうした人々の間で行われていた。そのことを彼らの作品を通じてぼくは知っている。しかし、ぼくにわかっているのはまだほんの表面に過ぎない。言葉の問題もあるし、彼らの交友が当時どのように行われていたのかをはっきり把握しているわけじゃない。まだまだ学ぶべきことがたくさんだ。

赤い鳥についてはそんなに詳しくない。だけど、赤い鳥が(東芝の)リバティ・レーベルで出していたレコードはとてもよさそうだよね。マッシュルーム・レーベルにも聴いてみたいリリースがいくつかある。カントリー・パンプキンとか。彼らは何者? 『ほうろう』(1975年)も配信されたのなら聴かなくちゃ。あれは名作だよ!

(ALFAで特に好きな曲は)佐藤博の〈Say Goodbye〉(『Awakening』収録/1982年)だな。聴くたびにいつも強く心を揺さぶられる。当時の感覚が濃厚に出たアレンジだけど、いまでも新鮮に響くし、メロディもすばらしい。細野さんの『はらいそ』(1978年)もぼくにはとても特別なアルバムだ」

細野晴臣『はらいそ』

──去年の6月にLAのマヤン・シアターで行われた細野晴臣のショーは見ました?

「もちろん。サンフランシスコからLAまで駆けつけたよ。素晴らしかった。彼のバンドは達者だったし、昔の曲の新アレンジもうまくはまってた。スタンダードやブギウギのカヴァーも良かったな。細野は自分のスタイルをはっきり持っているし、バンドの音もあのホールに合っていた」

──〈ライト・イン・ジ・アティック〉のコンピレーション選曲で、日本以外の地域に住む人たちにジャパニーズ・ポップを伝える上でどういうことを意識しました?

「一連のコンピレーションはみんなの協力でできたもの。ぼくの役割は、まず耳なじみがよくて、心を動かし、プロジェクトの主眼に沿った曲をプレゼンすることだった。それぞれの意見が取り入れられているからこそ、このプロジェクトをみんなが楽しめているんだと思う」

──村井邦彦さんはいまLA在住です。村井さんの助力もあって、権利の取得がうまくいったという局面もあったと聞いてます。

「ぼくは村井さんにはまだ会ったことはない。だけど、ぼくらのコンピレーションに対して村井さんがしてくれた助力には感謝している。彼の音楽的なテイストの良さとこの世界に送り出したすばらしい楽曲群に対して、コンピレーションのクオリティで応えないといけないよね」

インタビューの最後の質問で、2000年代には友達と密かにシェアしていたジャパニーズ・ポップが、いまではアメリカでも広く受け入れられている流れをどう見ているかを聞いた。

「YouTubeやmp3でのシェアが、みんなにジャパニーズ・ミュージックを見つけさせたと思う。同じような時代(1970年代や80年代)にアメリカでヒットしていたポップやR&Bの曲と似たプロダクションやアレンジが施されていたから、親しみを持ちやすかったんだろう。だけど、似てるだけじゃなく、そこには驚きと癒しの両方をもたらす違いもあるんだよ」

驚きと癒しの両方をもたらす違い。

そう言われると確かにそうなのかもしれない。単に英米のポップスのコピーというのとは違うジャパニーズ・ポップについての解釈を、端的に表す言葉だと思った。いま起きている現象(海外でジャパニーズ・ポップが受容されていること)が、この困難な時代を越えて単なる流行に終わらないものになるとしたら、その答えのひとつがそこにある。

次回は、〈ライト・イン・ジ・アティック〉のジャパニーズ・プロジェクトの重要なスタッフであり、2016年に村井邸を訪ねた3人のうちのひとり、インターネット・ラジオ〈dublab〉のマーク・“フロスティ”・マクニールを交えて、さらに現在のアメリカとアルファが交わる話を聞き進めたい。

ALFA RIGHT NOW〜ジャパニーズ・シティ・ポップの
世界的評価におけるALFAという場所

第三回「マーク・“フロスティ”・マクニール(dublab)に聞く」
Text:松永良平

2018年10月、初の著書『村井邦彦のLA日記』(リットーミュージック)の取材中、村井氏がふと思い出したように、その前週に自分が出たトークイベントの音声があるのだと教えてくれた。ロサンゼルスの若い観客を相手に、細野晴臣とアルファミュージックについて話したのだという。

詳しく話を聞くと、それは〈ライト・イン・ジ・アティック〉から全米での初リリースが実現した細野晴臣の旧作5タイトル(本稿を読む人にとってはあらためて言われるまでもないだろうが、『HOSONO HOUSE』、『はらいそ』、『コチン・ムーン』(横尾忠則との共作)、『フィルハーモニー』『Omni Sight Seeing』)をテーマとしたトークだった。1970年代初頭に、まだ今よりはるかに無名の存在だった当時20代前半の細野晴臣を、小坂忠のファースト・アルバム『ありがとう』(1972年)のプロデューサーとして起用し、細野の音楽表現の幅と奥行きが大きく広がってゆくドアを開けた人物こそが、村井邦彦だった。

その放送はアーカイブ化されていて、インターネットラジオ〈dublab〉を通じて聞くことができると村井氏は教えてくれたので、早速帰宅後に確認した。2018年 10月17日、ロサンゼルスの〈イン・シープス・クロージング〉というカフェで行われたそのイベントは、細野のキャリアにとってキーポイントとなった音源を聴きながら2時間以上に及ぶものだった。

ユーモアを交えながら細野との出会いをひもとき、アルファの歩みを振り返っていく村井の記憶力の確かさにも舌を巻いたが、ひそかに驚きを覚えたのはこのトークの聞き手である人物の博学さだった。〈ライト・イン・ジ・アティック〉には、ジャパニーズ・アーカイブ・シリーズで重要な役割を担う日本人スタッフ(北沢洋祐)がいるとかねがね聞いていたので、その人が進行するのかと思いきや、しゃべっていたのは別のアメリカ人。ウェブには〈マーク・“フロスティ”・マクニール〉とある。

ここで、もう一度『村井邦彦のLA日記』の「アルファレコードを“掘る”アメリカの若者たち」という一章をめくってみた。2016年に村井邸を訪れた3人の若者たちについての記述。

2018年10月17日にLAで開催された細野晴臣にまつわるトークイベントの告知ビジュアル。
当日は村井邦彦をゲストに迎え、マーク・マクニールが進行役を務めた。

今朝、息子のヒロ・ムライの紹介でマークとマットとヨースケが僕に会いにきた。

マークはラジオ局をやっていて、先端的なアートや音楽を取り上げている。ヒロのミュージックビデオを観る会や彼の描いた絵の展覧会などを一緒にやっているそうだ。

その「マーク」こそが、マーク・“フロスティ”・マクニールだった。彼がやっているラジオ局が〈dublab〉。村井の息子である映像作家ヒロ・ムライとの繋がりがすでにあったとも書かれており、LAの先進的なカルチャー・シーンでの重要な存在とみることが可能だ。マークの名前が〈ライト・イン・ジ・アティック〉のジャパニーズ・アーカイブ・シリーズでクレジットされるのは、2019年の『Pacific Breeze: Japanese City Pop, AOR & Boogie 1976-1986』からだが、すでに数年前から彼の知見や行動力を活かした関与は始まっていたと言える。

今回は、そのマーク・マクニール(彼の友人たちは、親しみを込めてDJネームである〈フロスティ〉と呼ぶ)にメールでインタビューを行った。バンドでの来日経験なども有利に使いつつ直感的にジャパニーズ・ポップの深層に分け入っていったアンディ・ケイビックとはまた違った入り口と歩み方が、マークにはあった。村井とイベントで対面し、貴重な証言を引き出したという代え難い体験もある。彼の視点からジャパニーズ・ミュージックへの敬意と、アルファミュージックへの尽きない興味を聞き出してみることにした。

マークは現在44歳。テキサスのオースティン出身で、南カリフォルニア大学に進学。ティーンエイジャーの頃はヒップホップのミックステープや、キュアーのようなダークな質感のあるエイティーズ・ニューウェイヴにも惹かれていたが、ビートルズの『リヴォルヴァー』を聴いたことがきっかけで、サウンド・コンセプトという概念に目覚めたという。

大学時代にカレッジ・ラジオのDJ経験から得た高揚感は、彼を卒業後にその道へと進ませた。それが大学卒業後に友人と共同で設立したインターネット・ラジオ局の先駆〈dublab〉だった。1999年の時点で、ネットラジオはまだまだ新奇でニッチなメディアでしかなかったが、マークの着目はまさに慧眼だったわけだ。現在も〈dublab〉はLAを拠点にして、刺激的なプログラムを発信し続けている。企業組織としてではなく、あくまでフリーフォームな有志連合として活動している〈dublab〉は、その意志に共鳴して2012年に設立された日本ブランチをはじめ、ドイツ、スペイン、ブラジルと世界へ拠点を広げてきた。

その中心的存在であるマークが、日本の音楽に魅了されるきっかけになった作品は、どういうものだったのだろうか。

「最初の入り口はNonesuchのExplorerシリーズで出ていた『A Bell Ringing in the Empty Sky』(1969年)というLPだ。山口五郎という尺八奏者の演奏を収めていた。ぼくに新しい世界への入り口を開いてくれた音楽だね。インスト音楽だったから、何の障壁もなく音響として体験できたんだと思う。そこからは日本の電子音楽家たちにのめり込んだよ。竹村延和、テツ・イノウエ、ススム・ヨコタ、嶺川貴子、テイ・トウワ、DJ Krush……。カレッジ・ラジオや初期の〈dublab〉では、そういう流れにある曲をよくかけていた。やがて必然的にイエロー・マジック・オーケストラを知ることになったわけだけどね。最初に買ったのは中古LPで、A&Mから出たセルフ・タイトル盤。聴いたときは、何か新しい啓示を受けたというより、ぼくが好きな日本の電子音楽の先にもっと広い世界があると教わったように思った。2003年、〈dublab〉の展示プロジェクトで日本に行ったとき、他のYMOのアルバムも買い揃えたし、ジャンルや年代を問わずにレコードを探して行った。そのあと、ぼくが最初に〈dublab〉で流したジャパニーズ・ミュージックのミックスは、グループサウンズ、エレキブーム、ピンク映画のサウンドトラックを中心にしたものだったよ」

Yellow Magic Orchestra『Yellow Magic Orchestra』(1979年発表)
* 1978年に発売された同アルバムをリミックスしたUS盤のジャケット

──ジャパニーズ・ポップのコンピレーションはこれまでも英米からいくつか出ていますが、〈ライト・イン・ジ・アティック〉の『Pacific Breeze』を作ったチーム(マーク、アンディ、北沢洋祐、ザック・カウウィ、マット・サリヴァン)の仕事が、他とは違うクオリティとDJユースに偏りがちな選曲からある程度の距離を保てているのは、なぜだと思いますか?

「『Pacific Breeze』を作るためにできたぼくらのチームは、時代を超えた魅力を持つこの稀有な音楽表現の数々を、世に伝えることに気持ちを注いだ。この先も誰かが音楽的な発見をしていけるように、(単にスタイルだけではない)精神的な面も包括した作品にしたかったんだ。チームに関していえば、ザックとぼくはジャパニーズ・ミュージックについていつも熱く語り合っていた仲だし、マットのことは20年前から知っていて、彼のレーベルである〈ライト・イン・ジ・アティック〉も大好きだ。ヴェティヴァーのアンディが参加してくれたのは大きなボーナスだったよね。ぼくはずっと彼の音楽の大ファンだったから。そしてヨースケはこのプロジェクトをとても思慮深く、楽しく進行させる手助けをしてくれた」

──2016年に村井邦彦さんを訪ね、その後、2018年には公開イベントでインタビュアーを務めましたよね。そのときの印象を教えてください。

「村井さんは、ぼくの音楽人生で出会ったあらゆる人物のなかでも、突出して穏やかな紳士だ。全身全霊を捧げて作り出し、素晴らしいサウンドをこの世界に送り出した。ぼくの心のヒーローなんだよ。イベントのとき、村井さんが言ったひとことが、ぼくの心は完全にとりこになってしまった。ぼくがずっと思っていたこととおなじだったから。

まさにそれこそが、ぼくがアンダーグラウンドな音楽の探求と普及にのめり込み、いつかメインストリームの表現に影響を及ぼし、社会をポジティブな方向に変えられると信じる理由なんだ」

──その言葉は、どんな内容だったんですか?

「村井さんはこう言ったんだ。『わたしは、すべて(の表現)はアヴァンギャルドから始まると思っています。もしもある表現がみんなのためのものだとしたら、それは誰のためでもないこととおなじ。それが自分だけのためにあると思えるのなら、それこそが本物なんです』ってね」

アルファミュージックが残した音楽について、マークはおそらく他のアメリカ人よりも群を抜いて知見を持っているだろう。しかし、彼は「まだまだ自分が知っていることは断片的で、もっと学ばなくちゃいけない」と謙遜する。

試しに、アルファの代表的なアーティスト名をいくつか挙げ、彼の言葉で印象を語ってもらうことにしたら、とても示唆的な返事が返ってきた。本来なら日本語に訳すべきだが、英語のニュアンスが非常に絶妙なので、ここではあえて原文のまま記しておく。

Haruomi Hosono
- sound sighting soothsayer

Chu Kosaka
- soul spirit seeker

Bread And Butter
- warm vibe layers

Yumi Arai (early Yumi Matsutoya)
- stratospheric pop princess

Akaitori (Red Bird)
- free designed floaters

Hiroshi Sato
- radiant ripple tripper

MInako Yoshida
- high gravity groover

Yellow Magic Orchestra
- eternally electrified union

他に気になるアルファのアーティストはいるのか聞いてみたら、サンディ&サンセッツの『ヒート・スケール』(1981年)、MELONの『Do You Like Japan?』(1982年)を挙げてくれた。マークから見て、ジャパニーズ・ポップのこの半世紀の指針となった最重要ミュージシャンは、やはり細野晴臣。昨年6月のLAでのライヴは残念ながら出張で見ることが叶わず、いつの日かまたアメリカ公演が行われることを待ち望んでいるそうだ。

最後にひとつ、気になっていたことを聞いてみた。これまでも英語を話す人たちに何度か投げかけてきた質問だが、マークなら的確な答えをくれる気がした。

──日本で生まれた英語表現である“City Pop”って、本来は英語では通じないですよね。この言葉を知ったとき、どう思いました?

「いや、ぼくにはすぐに意味がわかったよ。これはコスモポリタン(国際的な)・ポップ・ミュージックのことだって思えたんだ」

その答えを聞いて、ぼくはちょっとした胸のつかえが、すっとおりて消え去ったように感じた。ある時代の、ある特定のサウンドではない。マークが言うように、シティ・ポップという音楽は、源泉に帰るものではなく、もともと広がっていくものだったのかもしれない。

アルファミュージックとジャパニーズ・シティ・ポップの現在と未来を考えるこの連載のLA編。第1章の最終回となる次回は、ふたたび北沢洋祐に話を聞くことにしたい。

ALFA RIGHT NOW〜ジャパニーズ・シティ・ポップの
世界的評価におけるALFAという場所

第四回「北沢洋祐に聞く / 50年後のLAから:エピローグ」
Text:松永良平

2017年からリリースを開始した米〈ライト・イン・ジ・アティック〉のジャパン・アーカイヴ・シリーズのなかでも突出した人気を得たジャパニーズ・シティ・ポップ・コンピレーション『Pacific Breeze』のVol.1(2019年5月)、Vol.2(2020年5月)。その編集に中心的に関わってきた人物たちへのインタビューを行ってきた、この連載。ひとまず第1章は今回で最終回となる。

最後は、やはり〈ライト・イン・ジ・アティック〉のスタッフとして、選曲、構成、ライセンスと全体をプロデュースした北沢洋祐に話をもう一度聞いておくことにしたい。アンディ・ケイビック(ヴェティヴァー)、マーク・“フロスティ”・マクニール(dublab)への取材を仲介してもらったり、何度となくやりとりを続けてきた。連載中にも触れてきたが、新型コロナウィルスが及ぼす影響が日米ともに大きくなるなか(北沢の住むアメリカ西海岸もいまや被害が甚大)での取材は、単なる趣味嗜好の範疇を超えて、音楽を届けるということに対する姿勢をお互いに考えている時間でもあったように思う。

ひとまずの区切りとなる今回の取材で、まずは本来ならインタビューをしたかったが諸事情で叶わなかった『Pacific Breeze』プロジェクトでのもうひとりの重要人物、ザック・カウウィについての話を聞いた。

──ザック・カウウィは、『Pacific Breeze』プロジェクトにとってどんな存在でしたか?

「ザックは、LAのミュージック・スーパーバイザー/DJで、いろんなことをしてます。村井さんとマークがトーク・イベントをやったLAのカフェ〈イン・シープス・クロージング〉も、彼がアーティスティック・ディレクターとして最初のコンセプト作りとかオーディオ装置の選定とかをやったんです。お店は、日本のレコード・バーみたいなところをイメージした感じ。そこではあくまで音楽が中心で、話を大きい声でしちゃいけなくて、アルバムを聴くイベントとかもやってたりしてました。

日本の音楽がすごく好きだし、DJとしても越美晴とか、テクノポップっぽい曲をよく流してました。日本の音楽をまだみんながあんまり聴いたことがないころからDJでかけていて、コンピレーションになる前から日本の音楽のこと話したりしてたから、ぼくらの企画に関わっていったのも自然な感じでしたね。それにもともとザックは以前から〈ライト・イン・ジ・アティック〉ではいくつかプロジェクトをやってました。『Country Funk 1969-1975』(2012年7月)と『 II 1967-1974』(2014年7月)もザックのプロダクションだったんです」

──あらためて、その力強いスタッフのなかでジャパン・アーカイヴ・シリーズでの北沢さんの役割は、どういうものだったと思います?

「いちばんの役割は曲のライセンスを取ること。それができなかったらただのミックステープとかSoundcloudで公開されているミックスと変わらないですから。日本のレコード会社と交渉して実現させることが重要だったし、そういうビジネスサイドが僕の担当。外から見たらあんまりおもしろくないところなんですけどね(笑)。あんまり気にしないで勝手に音源を使ってるようなレコードも世の中にはあるけど、ちゃんとやるとなると大変なんです。

やり方としては、最初に曲のリストをだいたい30曲以上くらい作って、そこからライセンス可能かどうかを調べて、リストを少しずつタイトにしていくんです。プロデューサーとしては、曲順がレコードのA面B面として音楽的にも意味がある並びになっているかどうかは結構気にしました。最後のほうになって、やっぱりライセンスできない曲が出てきて、この曲なら簡単にライセンスできるから変えたらどうか、みたいな局面もありましたけど」

──その苦労はつきまといますよね。

「山下達郎の曲も何曲かリストにありました。シティ・ポップにとっては重要な人物だし、外したくないからずっとリストに入れたままにしておいて交渉を頑張ったんですけど、やっぱりダメだった。ブレッド&バターの〈ピンク・シャドウ〉もVol.1に入れたかったんだけど、最初はダメだと言われていて。でもVol.2のときに再度打診したらOKが出たんです。ライセンスにまつわるエピソードは『Kankyō Ongaku』でも結構いろいろありましたね」

──『Pacific Breeze』へのアメリカでのリアクションについては、どういうものがありました?

「『Pacific Breeze』は、いちばんいまの時代の気分に合うようなアルバムになったと思います。音楽的にも、永井博さんのカヴァーアートも、いまクールと思われるようなオブジェクトとして話題になったし、みんなが欲しがるようなものになったかな。ニューエイジの『Kankyō Ongaku』もフォークロックの『Even a Tree Can Shed Tears』も結構話題にはなったけど、それと比べても『Pacific Breeze』はリアクションもはっきりしてました。もっと若い人やいまのインディー・ミュージック好きにも入りやすいものになったと思います。YouTubeでもシティ・ポップが流行ってたから、それとのつながりもあったし。

ピッチフォークとか音楽メディアの評価もありましたけど、むしろ最近はSNSでみんなが広げていくことのほうが大きかったと思います。特に『Pacific Breeze』だと、あのカヴァー・アートがあるからインスタグラムでシェアしたりしてもらったのも広がりとしては影響があったかな」

──『Pacific Breeze』リリース後のアメリカで、目に見えるかたちでシティ・ポップの理解も浸透したと思いますか?

「こっちだと、シティ・ポップのことを『Pacific Breeze』で知ったという人が多いから、まだそんなに定義がはっきりしてないんです。アートワークの雰囲気もあるし、ファンクとかブギーっぽい音楽だと“シティ・ポップ”と言われるし、みんな細かい定義はあんまり気にしないで聴いてる感じ。でも、変わったと思うのは、昔はレコード屋に行っても日本の音楽は“ワールドミュージック”のセクションに入っていたんですよ。そこにあるのは、だいたいは尺八とかだけど、ときどきそのなかにグループサウンズとかがあったり。覚えてるのは金延幸子さんの『み空』が最初にスペインのレーベルからリイシューされたとき(2008年)も、こっちではワールドミュージックのコーナーに入ってました。でもいまだったらジャパニーズ・シティ・ポップは“ワールドミュージック”とはラベリングされなくなってきてる。日本の音楽でもポップ・ミュージックなんだからそんなに別々にする必要はない、って感じになりつつあるかも。

それに関していうと、日本のレコード屋でも“ブラック・ミュージック”ってセクションがあるけど、それも「ブラック・ミュージックってなんなのか?」って話だと思うんです。国籍とか人種とかでジャンルになるのもちょっと変だなと思うし。それは日本の音楽でもおなじですよ。ボアダムスとか、こっちで以前から知られている日本の音楽は、“ジャパニーズ・ミュージック”に入らなくて、ロックとかエクスペリメンタルのセクションに入ってるから。そういうことといまシティ・ポップが聴かれていることのつながりがあるのかどうかは難しいけど、そういうジャンル分けからリリースしていく流れになっているのかもしれません」

──今後、手がけてみたいジャパニーズ・プロジェクトはありますか?

「ジャパン・アーカイヴ・シリーズは4枚出してきて、こういうのはどうかというアイデアを送ってくる人は結構います。次にぼくがやりたいと思ってるのは、日本のカントリーとカントリー・ロックかな。日本版の『Country Funk』みたいなアルバムができたらおもしろいと思ってます。なぜ日本でカントリー・ミュージックが戦後に流行ったのか、みたいなカルチャーの話も興味がすごくあるし。

ストレート・リイシューとしては、久保田麻琴さんの仕事がリリースできたらおもしろいかな。久保田さんはすごくたくさんの仕事をしてるでしょ? 民謡のリミックスみたいなこともしているし。あとは、こっちでも少しずつ知られてきてるFISHMANSも、ちゃんとリリースしたら結構流行ると思います」

──その“ちゃんと”が日本からの発信としてはなかなかできてない印象はありますね。

「全世界でストリーミングできるようになるとか、プレイリストを作って公開するのも大事だけど、こんなにいい音源がここにあるということをどうにかして知らせないと、海外で暮らしている普通の人にはわからないですよね。アメリカにいるシティ・ポップのファンでも、吉田美奈子のアルバムがあんなにたくさんサブスクリプションで聴けると知ってる人はあんまりいないと思います。結構有名な日本のアーティストでも、Spotifyで調べると海外での再生回数がすごく少なかったりする。でも、もしちゃんと知られていたら、もっと絶対に聴く人がいる。そこには、アーティストの表記が漢字だったり、カタカナでだったり、ローマ字だったりで、あんまりオーガナイズされていないという問題もあります。それだと、探してる人でも見つからなかったりする。自力でこういう音楽を見つけられる人は、もともとそういうのを探すタイプの人だから。記事を英語で出すとか、ソーシャルメディアのキャンペーンを考えてやるとか、マークのやってる〈dublab〉で特集を組んでもらうとか、まだまだいろんなところに力を入れないと届かないと思います」

──そういう意味でも、アメリカで〈アルファアメリカ〉を立ち上げた村井邦彦さんという存在は先駆的だったんですね。

「村井さんがアルファミュージックでアメリカに日本の音楽を紹介したいと思っていたのに似たような考え方が、ぼくらのやっているこのジャパン・アーカイヴ・シリーズにあると思うんです。ぼくらがやっている仕事が、村井さんにとってもうれしいことだったというのはご本人からも聞きました。ぼくらも、かつて村井さんが始めた仕事をいまになってやっと成功できたという気持ちがあるんです」

最後に北沢がくれた日本の音楽を海外に届けるにあたっての意見は、正直、国内の音楽関係者には耳が痛い話かもしれない。「シティ・ポップが海外で受けている」という記事はよく見かけるし、「なぜ?」という問い合わせはぼくのところにも少なくない。だけど、そのいっぽうで、地道な努力が見過ごされていると感じてもいる。北沢は自分のライセンス仕事を「外から見たらあんまりおもしろくないところ」と語っていたが、本当はそこがスムーズになり、よりひらかれたものになることで解決され、先に進むビジネスがたくさんある。そこから生まれる新しいカルチャーが必ずあるはずなのに、まだまだその前に横たわる障壁は低くないのが現実だ。

〈ライト・イン・ジ・アティック〉のジャパン・アーカイヴ・シリーズは、その問題に対してかなりの解決法を粘り強く導き出した、すばらしい仕事だと思う。そして彼らの近くに村井邦彦がいて、アルファが送り出してきた音楽とそれを生み出してきた姿勢がそのエンジンの一部として動いていることが頼もしい。

まだまだ北沢たちはおもしろいことを考え続けている。この連載が続いていくのなら、またいつか彼らの物語の続きを聞きたい。

アルファミュージック蒐集録 ALFA Music Collection

アルファ・オールタイム・ベスト 
#1―わたしのこの1曲―

このコーナーでは、さまざまな分野で活躍中の方々に、アルファミュージック管理楽曲のなかからお好きな楽曲を選曲していただきます。

第一回は作詞・作曲をはじめ、プロデュース、DJ、さらには執筆の分野でも活躍される小西康陽さんにお願いしました。

小西康陽(音楽家)

'85年、ピチカート・ファイヴのメンバーとしてデビュー。解散後も、数多くのアーティストの作詞/作曲/編曲/プロデュースを手掛ける。'11年、PIZZICATO ONE名義で初のソロアルバム『11のとても悲しい歌』を発表。'15年、セカンドアルバム『わたくしの二十世紀』を発表。
昨年行われたワンマンライヴの模様を収録した実況録音盤『前夜 ピチカート・ワン・イン・パースン』が2020年6月24日にリリースされる。

text: 小西康陽

<アルファミュージック> の管理楽曲のリストを見て、ああ、好きな曲がすべて入っている、と興奮し、やがてひどくかなしい気持ちになってしまいました。村井邦彦さん、山上路夫さん、かまやつひろしさん、ザ・タイガース、テンプターズ、スパイダース、カルメン・マキさん、加橋かつみさん、井上順さん、江利チエミさん、トワ・エ・モワ、赤い鳥、森山良子さん、細野晴臣さん、小坂忠さん、ガロ、笠井紀美子さん、荒井由実さん、松本隆さん、南佳孝さん。綿々と連なる大好きな作家やアーティストの名前。このリストに、なぜじぶんの名前がないのか。なぜじぶんの作品がないのか。かなしくなってしまったのは、つまりそういうことです。

いろいろなところで話していますが、小学校時代のある日、クラスの女の子たちがみなグループ・サウンズに夢中になっていることを知って、遅ればせながらタイガースの演奏を見ようと土曜日の午後にフジテレビ『ビートポップス』という番組にチャンネルを合わせて、そこでザ・ビートルズをはじめとする洋楽ポップスに目覚め、レコードを集めるようになりました。

その直後、同い年のいとこの家にあったザ・タイガースの『ヒューマン・ルネッサンス』というアルバムを聴いて、なにかつよい感銘を受けたことを憶えています。ちょうど休日の午前中、いとこも叔母さんたちも近所に出掛けてしまって、部屋の中でひとり、ぼんやりとLPレコードを聴いていて、このアルバムには <なかにし礼-すぎやまこういち> のコンビによる曲と <山上路夫-村井邦彦> コンビによる曲が5曲ずつ、それにメンバーのタローこと森本太郎さんとトッポこと加橋かつみさんが1曲ずつ書いていることに興味を持ちました。たぶんあの朝、『ヒューマン・ルネッサンス』というアルバムをひとりで聴いていたときに、じぶんの内側で創作へのあこがれ、といったものが芽生えたのだと思います。そしてそれは、はっぴいえんど、のサード・アルバムを発売日に買って聴いたときにはっきりと <音楽制作へのあこがれ> なのだと自覚するわけですが。

いま聴きなおしても、ほんとうに粒ぞろいのアルバムで、あのとき『ヒューマン・ルネッサンス』と出会ったじぶんはほんとうにラッキーだったのかも。「廃墟の鳩」と「光ある世界」をカップリングしたシングル盤のジャケットが『ラスト・タイム・アラウンド』を下敷きにしていた、と知るのはもっとずっと後のこと、ですね。

そんなわけで、じつに悩ましいリストの中から「この一曲」を選ぶとするならば、やはり『ヒューマン・ルネッサンス』の中から挙げたいと思います。「生命のカンタータ」「朝に別れのほほえみを」「廃墟の鳩」、どれも好みなのですが(「割れた地球」はちょっとじぶんの好みとは違うかも…)、ここはやはり「緑の丘」を選ぶことにします。この曲、かつてNHK-FMでやっていた『これからの人生』というラジオ番組の中で、ハープ奏者の斎藤葉さんの伴奏のもと、女優の市川実和子さんに歌っていただいたことがありました。なぜタイガースのカヴァー? と思った人すらいないかもしれない、まったく独り善がりな選曲でしたけれども、それはもう美しい2分半でした。じつはこの何年か、ずっと作りたいと切望している女性シンガーのアルバムのアイデアがあって、そこではふたたびこの「緑の丘」のカヴァーをはじめ、1970年前後の日本のポップスやフォークのカヴァーと、じぶんの書き下ろした新曲とが並列するような、そんなフォーク・ミュージック的なレコードにしたい、と考えています。よかったら、アルファミュージックで作りませんか? そうすると、ぼくの書いた新曲もアルファの管理楽曲となるのかも。なんて、そんなことをいちおうこの場で書いておきます。

小西康陽による
アルファ・オールタイム・ベスト
( )内は発売年/月

  • 01.旧約聖書/アダムス
    作詞:山上路夫 
    作曲:村井邦彦(1968年9月)
  • 02.緑の丘/ザ・タイガース
    作詞:山上路夫 
    作曲:村井邦彦(1968年11月)
  • 03.涙のあとに微笑みを/ザ・テンプターズ
    作詞:なかにし礼 
    作曲:村井邦彦(1968年12月)
  • 04.ソー・ロング・サチオ/ザ・スパイダース
    作詞・作曲:かまやつひろし(1969年7月)
  • 05.種子/カルメン・マキ
    作詞:新川和江 
    作曲:村井邦彦(1969年11月)
  • 06.人生はそんなくり返し/井上順之
    作詞:阿久悠 
    作曲:かまやつひろし(1971年7月)
  • 07.旅立つ朝/江利チエミ
    作詞:保富康午 
    作曲:村井邦彦(1971年5月)
  • 08.忘れていた朝/赤い鳥
    作詞:山上路夫 /
    作曲:村井邦彦(1971年7月)
  • 09.ありがとう/小坂忠
    作詞・作曲:細野晴臣(1971年10月)
  • 10.地球はメリーゴーランド/ガロ
    作詞:山上路夫 
    作曲:日高富明(1971年11月)
  • 11.好きなんだから/小坂忠
    作詞・作曲:小坂忠(1972年7月)
  • 12.窓をよこぎる雲/笠井紀美子
    作詞:山上路夫 
    作曲:大野雄二(1972年3月)
  • 13.窓に明りがともる時/赤い鳥
    作詞:山上路夫 
    作曲:村井邦彦(1973年1月)
  • 14.きっと言える/荒井由実
    作詞・作曲:荒井由実(1973年11月)

「アルファ・オールタイム・ベスト」の楽曲も、すこしだけコメントさせてください。

  • ●「旧約聖書」アダムス
    アダムスの「旧約聖書」は高校時代、いわゆる <ソフトロック> と呼ばれている1960年代後半のポップスに夢中になったころに知った、つまり中古レコード店で出会った曲。
  • ●「涙のあとに微笑みを」ザ・テンプターズ
    テンプターズの「涙のあとに微笑みを」はオックスの「スワンの涙」の次に買ったグループ・サウンズのシングル盤「純愛」のB面に収められていた曲。大好きでした。
  • ●「ソー・ロング・サチオ」ザ・スパイダース
    スパイダースの「ソー・ロング・サチオ」。スパイダースというより、ムッシュのファースト・アルバムで知った曲。レディメイド・インターナショナルで制作した『我が名はムッシュ』というアルバムでは「ソー・ロング20世紀」というタイトルで新しいヴァージョンを作りました。
  • ●「種子」カルメン・マキ
    カルメン・マキさんの「種子」。世の中にこんなに美しい曲があるのでしょうか。詩人の新川和江さんは編曲家・ピアニストの新川博さんのお母様。そして新川博さんの御子息・新川堯さんは音楽プロデューサー・ディレクターとしてたいへんお世話になっている方。余談でした。
  • ●「人生はそんなくり返し」井上順之
    井上順之さんの「人生はそんなくり返し」。大名曲。去年、『井上順のプレイボーイ講座 12章』というアルバムでご一緒したときに、シングル盤にサインを頂戴しました。
  • ●「旅立つ朝」江利チエミ
    江利チエミさんの「旅立つ朝」、渋谷の小バコのクラブで選曲しているDJならば、かならず明け方近くにプレイしたことがあるはずの名曲。いまも現役で人気曲です。
  • ●「忘れていた朝」赤い鳥
    赤い鳥「忘れていた朝」は、ここ数年、<山上路夫-村井邦彦> コンビの作った楽曲の中でもいちばん好き。なのですが、もしかしたら、これは <ヤマハ音楽出版> の管理楽曲なのでしょうか。(*)
  • ●「ありがとう」小坂忠
    小坂忠さんの「ありがとう」、細野晴臣さんのセンスが集約されているような、珠玉の名作。「どろんこまつり」という曲も素晴らしいです。
  • ●「地球はメリーゴーランド」ガロ
    ガロの「地球はメリーゴーランド」。いまは <冗談伯爵> というグループで活動している前園直樹さんと以前やっていたバンド、<前園直樹グループ> のライヴではいつも最後に演奏していた大好きな曲です。
  • ●「好きなんだから」小坂忠
    そして小坂忠さんの「好きなんだから」。小坂忠とフォー・ジョー・ハーフの実況録音盤『もっともっと』というアルバムは、じぶんにとって日本のロック/ポップスの作品の中でも五指に入る傑作だと信じていますが、その中でもハイライト、というべき名曲・名演。これもまた<前園直樹グループ> ではレパートリーにしていて、『火をつける。前園直樹グループ第一集。』というアルバムでもラストに収録しています。この度、ピチカート・ワン、という名のもとに活動しているじぶんのソロ作品で、はじめてのライヴ・アルバムを出すのですが、これはもう『もっともっと』というアルバムにつよく影響を受けております。
  • ●「窓をよこぎる雲」笠井紀美子
    笠井紀美子さんの「窓をよこぎる雲」。これは『アンブレラ』という、かまやつひろしさんプロデュースのアルバムの中の大名曲ですね。じつはこれもとある場所でカヴァーをしたことがあります。この曲はぜひ7インチ・アナログ化を切望、とDJのワタクシが直訴させていただきます。
  • ●「窓に明りがともる時」赤い鳥
    赤い鳥「窓に明りがともる時」。これもまた <前園直樹グループ> の重要なレパートリーでした。さらに書きますなら、2012年3月11日、震災のちょうど一年後にグラフィック・デザイナー・真館嘉浩さん、写真家・川上尚見さんと神保町のギャラリーでおこなったグループ展のタイトルはそのまま『窓に明りがともる』でした。じぶんは山上路夫さんの書く歌詞の <ことば> を心から信奉しています。
  • ●「きっと言える」荒井由実
    そしてユーミンの「きっと言える」。十代の頃に衝撃を受けた曲。2002年に『Queen’s Fellows yuming 30th anniversary cover album』という、いわゆるトリビュート盤がリリースされたときに、信藤三雄さんプロデュースのコンサートが日本武道館で行われまして、その <音楽雑用係> のような仕事でお手伝いをさせていただいたのですが、その夜、楽屋での打ち上げのときに、この「きっと言える」のシングル盤にユーミンのサインをもらいました。それはもう、嬉しかったです。

*現在、アルファミュージック管理楽曲です。

アルファ・オールタイム・ベスト 
#2―わたしのこの1曲―

田中雄二
(映像プロデューサー/編集者)

週刊誌副編集長、書籍編集など出版社務めを経て、10年前に転職し現在は制作会社に勤務。映像、ラジオCM制作のほか、『電子音楽 in JAPAN』『YELLOW MAGIC ORCHESTRA』『昭和のテレビ童謡』『エレベーター・ミュージック・イン・ジャパン 日本のBGMの歴史』『AKB48とニッポンのロック』など執筆業も。アルファ関連ではブレッド&バターのインタビュー本の構成、VA『We Believe In Magic』のライナーノーツで社史を担当。

text: 田中雄二

オールタイム・ベストと言われれば、そこに人生が投影される。キャンティ文化に憧れつつ裏日本で育った非東京人だから、気恥ずかしくて普段はプレイリストの類の仕事は受けないのだが、アルファのためならば。滅多にない機会なので我が青春を披瀝する。アルファレコードは人生の岐路に於いて羅針盤のような会社だった。

幼少期に手塚治虫に心酔し、音楽の目覚めも冨田勲から。EL&P『展覧会の絵』に洗礼を受け、ロック少年となるのもそこが起点だった。バイトで初めて買ったLPの一つが、アルファレコード設立早々に出た手塚原作の東宝映画『火の鳥』のイメージアルバム。手塚の音楽好きはつとに知られるが、趣味はベタなクラシック。そこで聴いたミシェル・ルグランの音楽は、我がヌーヴェルヴァーグ体験と言っていいほどエレガントで、それが音楽プロデューサー村井邦彦との出会いだった。深町純が書いた本編のサウンドトラック盤のアヴァンギャルド傾向にもやられた。後に社長の村井邦彦氏が冨田勲の慶応大学の後輩で、後を受けて『子連れ狼』のスコアなどを手掛けていた作曲家であるのを知った。

コミック文化の影響はそれなりに大きく、多感期にポスト手塚的なマンガの才能に出会うものの、少年誌の男性作家の音楽趣味が肌に合わず、『DUO』『プチフラワー』などのハイセンスな少女漫画に耽溺していた。文化不毛の地で生まれクリエイティブを拗らせる余り、筒井康隆を気取って送ったマンガ投稿が佳作入選して、いい気になっていたクソ生意気な中学生は、いつしかマンガのことなど忘れて音楽のほうにドップリのめり込み、それを半分本業にするようになった。

アルファレコード信者だったので、YMOの存在を知るのも早かった。活動期間が中学一年生~高校三年生の6年だから、同世代ならではの感慨がある。洋楽の本格洗礼を受けてからは気持ちが離れ、後期は佐藤博などのポストモダンに興味が移行。赤い人民服で見た先端フュージョンとしてYMOに心酔していた世代には、細野晴臣、坂本龍一、高橋幸宏のコードワークの魔力を封じた後期作品は退屈過ぎて。佐藤博『アウェイキング』の方向性に、YMOが向かったかも知れない未来の音楽を投影したりしていた。途中キティレコードに浮気しそうになった時期もあるが、ここも伊豆に自社スタジオを持つアルファレコードのエピゴーネン。経営者の個性というものが作ってきた歴史の奥深さを知った。

後にYMO、ブレッド&バターのオフィシャルな評伝本に関わり、タモリのムックで音楽アルバムとしてあの三部作を論じた。VAでアルファレコード社史をまとめる際に年譜を調べたら、初期に心酔したアルファ作品の中に、広谷順子「道」があった。『みんなのうた』のマンスリー曲で、NHKFMのステレオ放送でエアチェックして後にシングルを手に入れて愛聴した。この作曲家とYMOのレコード会社社長を同姓同名の別人と思っていて、最初結びつかなかった記憶がある。アルファは作曲家が作った理想のレコード会社、いわば「日本版A&M」だった。「ビター・スウィート・サンバ」のテーマ曲が流れていた『オールナイトニッポン』の記憶も含め、同時代体験のすべての中心にアルファレコードがある。タモリのアルバムも初期YMOも自分にとって、スリリングなジャズのような大人の音楽だった。

田中雄二による
アルファ・オールタイム・ベスト

選曲テーマはレーベルとしての幅。先端テクノもあればノベルティも。偏りなくどの時代もまんべんなく好きという自負がある。アルファは信頼のブランドだった。

田中雄二による
アルファ・オールタイム・ベスト
( )内は発売年/月

  • 01.道/広谷順子
    作詞:山上路夫
    作曲:村井邦彦(1979年2月)
  • 02.仙人峠/村井邦彦
    作曲:村井邦彦(1977年4月)
  • 03.交響組曲「火の鳥」/ロンドン交響楽団
    作曲:ミシェル・ルグラン(1978年6月)
  • 04.サン・シェイド/クレスト・フォー・シンガーズ
    作詞:小林和子
    作曲:細野晴臣(1979年5月)
  • 05.Eccentric Person,Come Back To Me/大野方栄
    作詞:オスカー・ハマースタイン2世 
    日本語詞:大野方栄 
    作曲:シグマンド・ロンバーグ(1983年8月)
  • 06.コズミック・サーフィン/イエロー・マジック・オーケストラ
    作曲:細野晴臣(1980年2月)
  • 07.浮かびのピーチガール/シーナ&ザ・ロケッツ
    作詞:糸井重里 
    作曲:イエロー・マジック・オーケストラ(1980年11月)
  • 08.夢の端々/ゲルニカ
    作詞:太田蛍一 
    作曲:上野耕路(1982年12月)
  • 09.Sea Breeze/TESTPATTERN
    作詞・作曲/TESTPATTERN(1982年10月)
  • 10.TOWN/吉田美奈子
    作詞・作曲/吉田美奈子(1981年11月)
  • 11.Say Goodbye/佐藤博
    作詞:LORRAIN FEATHER 
    作曲:佐藤博(1982年6月)
  • 12.PARKY JEAN/MELON
    作詞・作曲:MELON(1982年11月)
  • 13.OH! MAMA/P-MODEL
    作詞・作曲/平沢進(1985年6月)
  • 14.SKIN DEEP/SODOM
    作詞:Zazie・Marr 
    作曲:Zazie・福富幸宏・保泉ヒロ(1991年4月)
  • 15.ピンク・シャドウ/ブレッド&バター+カーネーション
    作詞・作曲:岩沢幸矢、岩沢二弓(1998年11月)
  • ●「道」広谷順子
    タイガースなどのGS作家時代を知らずとも、村井邦彦はバリバリの現役作曲家だった。赤い鳥「翼をください」に連なる飛翔感。アルファ&アソシエイツ制作だが発売はキャニオンから。児島由美、山口美央子といったアルファ=キャニオンラインがあって、前者のアルバムはまるでティン・パン時代のユーミンのよう。
  • ●「仙人峠」村井邦彦
    東宝映画『悪魔の手毬唄』の劇伴より。東宝レコード作品だが深町純の未使用のシンセスコアが作られたりと、アルファ総力戦だった。横溝正史原作の禍々しい裏日本の因縁譚にフランス映画のような音楽を付けるアイデアは、『ある愛の詩』の翻訳小説を当てた角川春樹によるものだったとか。大野雄二、田辺信一らも健闘していた中で、村井のスコアがもっともモダン。
  • ●交響組曲「火の鳥」ロンドン交響楽団
    村井邦彦社長がレコード会社発足に当たって、敬愛するルグランに音楽プロデュース作品のテーマ曲を依頼。本編で使われる劇伴用編曲の前に、作曲家の指揮で録音されたイメージアルバムがリリースされた。これも毎日放送『横溝正史シリーズ』のデンソーのCMで流れていて、横溝作品=仏映画音楽のイメージ刷り込みがいっそう強まる。
  • ●「サン・シェイド」クレスト・フォー・シンガーズ
    「世界の言葉、マクドナルド」で有名な、フィフィ・ザ・フリー、ハイ・ファイ・セット、サーカスと並ぶアルファコーラスの伝統。可愛和美は『ひらけ!ポンキッキ』の初代お姉さん。編曲・演奏でYMOが参加しており、同曲は細野晴臣がYMO結成前夜に構想していた「日本のサヴァンナ・バンド」のブループリント。
  • ●「Eccentric Person,Come Back To Me」大野方栄
    タモリと迷ったがこちらを。田辺エージェンシー所属で「女タモリ」として話題になったハイパーヴォーカリスト。監修は高平哲郎、カシオペアがバッキング。九十九一よりずっと成功してる。ジャズヴォーカル「恋人よ我に帰れ」の改作で、番組使用時は「変人よ我に帰れ」だったが、レコ倫のクレームで英題となった。
  • ●「コズミック・サーフィン」イエロー・マジック・オーケストラ
    『パブリック・プレッシャー』収録のライヴヴァージョンで。渡辺香津美のギターが諸事情で割愛され、レコードになったのはシンセをオーバーダブしたライヴとは別モノだが、YMO作品として初のオリコン一位に。とにかく景気がいい。
  • ●「浮かびのピーチガール」シーナ&ザ・ロケッツ
    ロケッツが一切参加していないのに、これをシナロケ曲として出す荒っぽさもアルファ流。YMOが空中分解しそうな時期に作られた曲だが、三人共作でこんな名曲が生まれるなんて。資生堂のコンペ用に作られた曲をシングル用に録音し直したもの。サビの歌詞が「浮かびのピーチパイ」の元歌ヴァージョンも後に公開された。
  • ●「夢の端々」ゲルニカ
    戸川純と上野耕路がいっしょにバンドをやってたという奇跡。両方のファンなので。休業後の戸川ソロ「玉姫様」のヒットは、YMO以来のサブカル現象を巻き起こした。『改造への躍動』「銀輪は唄う」に続く、『ビックリハウス』用に録音されたアルファ時代の最終リリース。この時期にアルバムがもし作られていたらと夢想する。
  • ●「Sea Breeze」TESTPATTERN
    シナロケの広告デザイナーが、デモテープが細野に気に入られてYENからデビュー。真にデザインされた音楽。高橋幸宏のデザイン集団、プランネットワークのメンバーでもある。「和製テレックス」と呼ばれたが、筆者がプロデュースしたテレックスのリミックス・アルバム『イズ・リリース・ア・ユーモア?』は彼らへの返答。これも運命的にアルファから出た。
  • ●「TOWN」吉田美奈子
    山下達郎『FOR YOU』と並ぶ不朽の名作『モンスター・イン・タウン』より。後に出た変速ベスト的内容の『イン・モーション』は、六本木ピットインで収録された無人のライヴテイク素材にブラスをダビングしたもので、ここで聴ける清水靖晃のスタン・ケントンばりの前衛編曲がまたスゴイ。どちらにするかいつも迷う。
  • ●「Say Goodbye」佐藤博
    キティから出た『オリエント』で片鱗を表していたテクノ傾向が開花。細野がYMO結成前、佐藤博を誘おうとしていたのもむべなるかな。発売時には音楽メディアで黙殺されたが、冨田恵一がライナーを寄せた復刻で位置づけが明確になった感がある。『ナイトフライ』と同じ3MのデジタルMTRで制作。後にゲイリー・カッツとの共作盤も。
  • ●「PARKY JEAN」MELON
    アルバム『Do You Like Japan?』の「O.D.」の改作。資生堂のCM曲。有機的なスティールパン、パーシー・ジョーンズのフレットレス。このシングルの衝撃は個人的に割と大きくて、無機的なテクノからワールズエンド的な毒への移行を一気に加速化させた。スパッツ・アタック在籍時の曲「オートマン」は結局発売されず。
  • ●「OH! MAMA」P-MODEL
    戸川純、POISON POP、ZAZA LABELなど、80年代後期にアンダーグラウンドを極めたアルファレコードのアザーサイド。中でもレコ倫と衝突したP-MODELの徳間からの電撃移籍には驚いた。80年代キング・クリムゾンのような孤高の精神は、『KARKADOR』での試行錯誤を経て本作で完成。このつんのめり感覚はスゴい。
  • ●「SKIN DEEP」SODOM
    90年代、レイ・ハーンのリミックス作品やエイベックス前夜のユーロビートもので、アルファレコードがまったく別の文脈で浮上。古参ファンから「暗黒時代」とも呼ばれたが、元パンクバンドがUKのダンスミュージックに改宗していく流れは、当時『宝島』編集者だった自分には十分刺激的だった。福富幸宏が在籍。
  • ●「ピンク・シャドウ」ブレッド&バター+カーネーション
    アルファの復刻カタログにはマッシュルーム作品も含まれるが、70年代の傑作群が日本コロムビアの本レーベルだったのを意外に思う人多いかも。YMO、パラシュートが健闘する三部作もいいが今回はこちら。往時のヒット曲を敬愛するカーネーションがリメイクしたアルバムもアルファから。こういう歴史の偶然が面白いのだ。

アルファ・オールタイム・ベスト 
#3―わたしのこの1曲―

北沢洋祐
(音楽プロデューサー)

日本出身、カリフォルニア育ちのリイシュー・レコード・プロデューサー。米Light In The Attic RecordsからリリースされてるJapan Archival Seriesの担当。細野晴臣の海外初の再発シリーズのほか、日本のシティ・ポップや60-70年代のフォーク・ロックのコンピレーションなどの制作に関わっている。『Kankyō Ongaku: Japanese Ambient, Environmental & New Age Music 1980-1990』のプロデューサーとして2020年グラミー賞のノミネーションを獲得。

〈ライト・イン・ジ・アティック〉から2018年以降、続々と発売されたジャパン・アーカイブ・シリーズ。そのすべてに関わっているプロデューサー、北沢洋祐氏には、当サイトでの連載「ALFA RIGHT NOW ~ジャパニーズ・シティ・ポップの世界的評価におけるALFAという場所」でも、関係者の紹介などすでに多大なご尽力をいただいている。

アメリカで育ち、現地の人々のマインドを肌で知る感覚と、日本語と日本の音楽の機微をつかむ感性の両方を持つ彼の言葉には、思わずハッとさせられる“気づき”が多い。

彼がリスペクトしているアルファのアーティストたち、琴線に触れた楽曲を通じて、このリストからもそんな“気づき”を感じ取ってもらえたらいいなと思う。

北沢洋祐による
アルファ・オールタイム・ベスト
談:北沢洋祐(構成:松永良平)
( )内は発売年/月
選曲:北沢洋祐
インタビュー・構成:松永良平

アルファといえばどういう音楽だろう、どういう人が関わっている曲がアルファらしいだろう、というようなことを考えて選びました。

  • 01.エメラルドの伝説/ザ・テンプターズ
    作詞:なかにし礼 
    作曲:村井邦彦(1968年6月)
  • 02.四つの季節/笠井 紀美子
    作詞:大橋一枝 
    作曲:村井邦彦(1972年3月)
  • 03.冬・春・夏/小坂 忠
    作詞:小坂忠 
    作曲:小坂忠(1971年10月)
  • 04.また陽が落ちる/寺本 圭一(カントリー・パンプキン)
    作詞:山上路夫 
    作曲:ミッキー・カーチス(1972年1月)
  • 05.あなただけのもの/荒井由実
    作詞:荒井由実 
    作曲:荒井由実(1974年10月)
  • 06.眠れぬ夜の小夜曲/南佳孝
    作詞:南佳孝 
    作曲:南佳孝(1973年9月)
  • 07.わたし/吉田美奈子
    作詞:大瀧詠一 
    作曲:大瀧詠一(1975年10月)
  • 08.老婆の影/村井邦彦(『悪魔の手毬唄』オリジナル・サウンドトラックより)
    作曲:村井邦彦(1977年4月)
  • 09.SONG FOR NABI/深町純
    作曲:深町純(1976年9月)
  • 10.月の光/ラジ
    作詩:高橋ユキヒロ、
    作曲:細野晴臣(1979年10月)
  • 11.Summer Blue/ブレッド&バター
    作詞:小林和子 
    作曲・岩沢二弓(1980年3月)
  • 12.MALE ATOLL/久石譲
    作曲:久石譲(2006年4月)
  • 13.Jamaica Ginger/細野晴臣
    作曲:細野晴臣(1979年2月)
  • 14.SILENT NIGHT/タイム・ファイブ
    作詞:竜真知子 
    作曲:大野雄二(1979年)
  • 15.GONNA GO TO I COLONY/坂本龍一
    作詞:坂本龍一 
    作曲:坂本龍一(1979年6月)
  • 16.夢飛行/山口美央子
    作詞:山口美央子 
    作曲:山口美央子(1980年11月)
  • 17.Insomnia/Yellow Magic Orchestra
    作曲:細野晴臣(1979年9月)
  • ●「エメラルドの伝説」ザ・テンプターズ

    もともと僕は日本の古い音楽が好きになった最初がグループサウンズだったというのもあるんですけど、アルファといえば村井さんがいちばん大事な人物なので、村井さんが初期に作曲した大ヒット曲を選びました。この曲で作曲家として成功したこともアルファをやるきっかけのひとつにもなっていると思うから。ただ、この曲を好きになった頃は村井さんのこともぜんぜん知らなかったんです。

    グループサウンズが好きになる以前は、アメリカの60年代ガレージロックが好きで、グループサウンズは日本版のガレージロックだと感じてました。アメリカで70年代にガレージロックのリバイバルが起きたきっかけに『Nuggets』(1972年)っていうコンピレーションがあります。その1曲目がエレクトリック・プルーンズの「I Had Too Musc To Dream Last Night」(1967年)なんですが、この「エメラルドの伝説」は、その曲をスローダウンさせたような感じがしたんです。それがインスパイア元なのかはわからないけど、ああいうオブスキュアなガレージロックとかも村井さんが聴いて意識してたんだとしたら面白いですよね。

  • ●「四つの季節」笠井 紀美子

    笠井さんはいまLA在住です。お会いしたことはないんですけど、『Pacific Breeze Vol.2』に笠井さんの「バイブレイション」を収録するために、旦那さんのリチャード・ルドルフとは何度か会ってやりとりをしました。

    この曲が入っているアルバム『アンブレラ』には、村井さんがサイドマンとしてエレクトリック・ピアノを弾いてることはあとで知りました。はっぴいえんどのメンバーとして細野さんも参加してます。村井さんと細野さんの関係の始まりを象徴する曲として選びました。

    アルバムのなかではこれが唯一、村井さんの作曲です。なんとなく歌謡曲っぽいメロディをロックのアレンジでやって、そこにジャズっぽいボーカルがあるのが面白いです。細野さんがはっぴいえんどでやろうとしていた日本語のロックの延長線上みたいなところもある。

  • ●「冬・春・夏」小坂 忠

    マッシュルームレコードというレーベルのことは、小坂さんの『ありがとう』のアルバムを手に入れたときに知りました。最初は70年代のインディー・レーベルのひとつかなと思ったけど、やがて村井さんがアルファレコードの前に始めたレーベルだとわかった。

    『ありがとう』は「隠れはっぴいえんどアルバム」みたいな感じがして、雰囲気もすごく似てます。そのなかでこの曲を選んだのは、その頃、小坂さんも細野さんも住んでいた狭山のアメリカ村がアーティスト・コミュニティみたいになっていて、そこに住んでいたときの感覚がすごく出てると思ったからです。歌詞が周りのことを描写してるのも印象派みたいな感じで好きですね。猫と一緒に自然のなかにいる、みたいな。

    アルバムのデザインをしたWORKSHOP MU!!の存在も、このアルバムのクレジットを見て初めて知りました。彼らも狭山の近く(入間)に住んでたんじゃなかったかな。みんな同じところに住んでクリエイティヴなことをしてたのが、すごくいい感じだなと思って。

  • ●「また陽が落ちる」寺本 圭一(カントリー・パンプキン)

    この曲を聴いたのは最近なんです。

    数ヶ月前、アメリカでケン・バーンズが監修したカントリー・ミュージックのドキュメンタリー・シリーズ(『Country Music』2019年)がアメリカの公共放送ネットワーク局のPBSで放映されたとき、僕も局のウェブサイトで日本のカントリー・ミュージックについての記事を書いたんですよ。そのリサーチのために寺本さんの著書を読んで、カントリー・パンプキンで寺本さんが歌ってたことを知ったんです

    カントリー・パンプキンのアルバムは、僕にとってずっと聴きたいと思っていた幻の作品でした。細野さんのアーカイブの管理をしているグラフィック・デザイナーの岡田崇さんのおかげで、やっと聴くことができたんです。

    細野さんたち当時の若いロック・ミュージシャンたちと、彼らが影響を受けたジミー時田さんや寺本さんみたいな年上のカントリー・ミュージシャンが一緒にやるっていうコンセプトはすごく面白かった。日本のカントリーの歴史もすごく不思議な感じがあって興味深いんですよ。〈ライト・イン・ジ・アティック〉でも、日本のカントリー・ロックのコンピレーションを出したいアイデアもあるんですけどね。

  • ●「あなただけのもの」荒井由実

    荒井さんはアメリカではジブリ映画(『魔女の宅急便』『風立ちぬ』)の主題歌を歌ってた人として、いちばん知られてる感じです。

    『ひこうき雲』(1973年)や、この曲の入ってた『ミスリム』(1974年)が結構売れて、関わっていたミュージシャンもそこから成功し始めたことはすごく大きいですよね。この曲には山下達郎さん、吉田美奈子さん、大貫妙子さんがバックボーカルで入ってるし、村井さんもこの頃になると細野さんを完全に信頼してアレンジを任せてる。アルファのストーリーのなかでは荒井さんのアルバムはすごく重要なんじゃないかな。

    この曲は最初にブレイクビーツっぽいところもあって、そういうファンキーなところもティン・パン・アレーらしさ。細野さんもティン・パン・アレーでどんどん忙しくなっていきますよね。

  • ●「眠れぬ夜の小夜曲」南佳孝

    南さんはあんまり海外では知られてないんです。どうしてかなと考えると、やっぱりすごい日本っぽい音楽に感じられるからかも。あがた森魚さんもそうなんですが、ちょっとシアトリカルな感じもあるし、レトロで昭和のノスタルジアみたいな感覚もあるのが、言葉の問題もあって海外のリスナーにはわかりにくいのかも。

    でも、この曲はすごくジャパニーズなんだけどちょっとレゲエっぽいリズムもあって好きです。いろんなスタイルを取り入れてミックスした感覚のことをやり始めた頃の日本の音楽って感じがします。

  • ●「わたし」吉田美奈子

    この曲を選んだのは、作詞作曲が大瀧詠一さんだから。細野さんと比べると大瀧さんのキャリアは『A LONG VACATION』(1981年)が出るまでは、ただただ自分が好きな音楽をやってた感じであんまり目立たないですが、僕は大瀧さんの音楽がすごく好きなんです。この曲は大瀧さんが好きだったアメリカン・ポップの影響がすごく出ていて、そこが好き。

    もちろん、吉田美奈子さんはアルファのアーティストとしてはすごく大きな存在です。海外ではもっとファンクっぽい音楽で知られてるけど、もう一曲大瀧さんが書いた「夢で逢えたら」とか、ポップな曲もいい。なので、吉田さんのあんまり知られてないサイドが出てるこの曲を選びました。

  • ●「老婆の影」村井邦彦

    村井さんはプロデューサーだったりビジネスサイドで知られているけど、作曲家としてもすごいし、サウンドトラックのコンポーザーとしても活躍してるから、そこもみんなに知ってもらいたいと思って選びました。

    あと、「金田一耕助シリーズ」みたいな70年代の日本のホラー映画のサウンドトラックは、すごくファンキーな曲が入っていたりして、結構こっちでも人気があるんです。この曲は、なんとなく『サスペリア』などイタリアのホラー映画のサウンドトラックで有名なゴブリンを思い出す感じもあります。村井さんがそこを意識してたのか、それとも村井さんはコードやメロディを提供してアレンジは他の人に任せていたのか、いつかご本人に聞いてみたいですね。

  • ●「SONG FOR NABI」深町純

    アルファレコードが始まった頃、村井さんはフュージョンっぽい音楽に興味持っていたみたいですよね。深町さんはシンセサイザー作品やアンビエントっぽい音楽もやっていたから、この曲はそういう要素とフュージョンの中間っぽい感じがあります。久石譲さんがやっていたムクワジュ・アンサンブルっぽい感じもあるし、そういうところが気に入って選びました。

  • ●「月の光」ラジ

    この79年くらいから、YMOのメンバーたちが他のアーティストたちとたくさんコラボレーションするようになっていくけど、そのなかの1曲ですね。テクノポップというジャンルが始まった頃の曲としてすごく好きです。

  • ●「Summer Blue」ブレッド&バター

    ブレッド&バターの「ピンク・シャドウ」は、プロト・シティポップみたいな存在ですごく好きです。スティーヴィー・ワンダーとスタジオで会ったのが縁で曲をもらったとか、そういうのも不思議な話で面白いですね。

    彼らは湘南のシーンのハブですよね。僕の日本の実家が湘南なので、そのつながりもあって彼らの音には親しみを感じてます。カリフォルニアのヨット・ロックにも通じるところがあると思います。

  • ●「MALE ATOLL」Joe Hisaishi
    作曲:久石譲

    これは今回、アルファの管理楽曲のリストを見て知った曲なんです。久石譲さんは全世界的に見ればジブリの音楽で有名だけど、それ以外の音楽が知られてないから選びました。『風の谷のナウシカ』と同じ頃かな。『ナウシカ』のサントラは、久石さんがその前にやっていたムクワジャ・アンサンブルでのミニマリズムっぽい、アンビエント的なスタイルがまだ残ってるからすごく好きなんです、この曲も、それに似た感じがある。

    このイメージ・アルバム(『Rakuen / Maldives』)は、もともとフォトグラファー三好和義さんのフォトブック『楽園』のイメージビデオ(1985年5月発売)の音楽として出たんですよね。当時はレコードになってない。日本は80年代にそういうイメージ・ビデオのサントラみたいな、レーザーディスクとかVHSでしか残ってない音源も多いので、もっとリイシューしてほしいです。

  • ●「Jamaica Ginger」細野晴臣

    これもすごくオブスキュアな曲だけど、管理楽曲のリストに入ってたから面白いと思って選びました。ラジオ番組(『日立ミュージック・イン・ハイフォニック』)の15周年記念アルバム(『Hi-phonics Hi-phonics』)に入ってるんですよね。

    音楽的にはスティールドラムを使っていて、カリビアンっぽいスタイルのムード・ミュージック。ヴァン・ダイク・パークスの影響がはっきり出てます。年代的には、YMOが成功する直前かな。だから、もしYMOが成功してなかったら、細野さんはもっとこういう感じの音楽を続けていたのかなと想像したりします。

  • ●「SILENT NIGHT」タイム・ファイブ

    この曲は『Pacific Breeze Vol.2』の候補でした。ライセンスが間に合わなくて入らなかったんです。選んだのは、アンディ(・ケイビック)で、彼が言うには「タイム・ファイヴは全然クールなグループじゃないんだけど、この曲はすごくいい」と。

    初めて聴いたとき、フランキー・ヴァリ&ザ・フォー・シーズンズが70年代にLAのモータウン(MO-WEST)で出した『Chameleon』(1972年)に入ってる曲に似た感じがしました。ボーカル・ハーモニーがしっかりあって、サウンドはちょっとファンキーで。

  • ●「GONNA GO TO I COLONY」坂本龍一&カクトウギセッション

    『サマー・ナーヴス』のアルバムで坂本さんはレゲエっぽい音楽をやってますよね。その頃、日本でもレゲエがすごく流行ってたのかな。ペッカーのアルバムに吉田美奈子さんが歌ってたりしてるし。

    これもYMOが成功する直前です。カクトウギセッションとかをやってた時期。YMOが成功しなかったら、坂本さんはどんなことしてたのかを想像します。

  • ●「夢飛行」山口美央子

    山口さんは最近になって海外でも知られるようになってきてます。

    僕は、もろに「テクノ歌謡」という意識で選びました。松武秀樹さんも関わっているし。山口さんは松武さん以外は他のミュージシャンはYMO人脈じゃない。ラジはYMOで違うシンガーが歌ったという感じだけど、山口さんは直接つながりがないミュージシャンがYMOっぽい音楽をやりだしたって感じ。イントロのオリエンタルっぽさとか、YMOの「Firecracker」とかを意識してたのかな。そういう現象が起きるのは、ムーヴメントの始まりだって感じがします。

  • ●「Insomnia」Yellow Magic Orchestra

    YMOの最初の2枚のアルバム(『YELLOW MAGIC ORCHESTRA』『SOLID STATE SURVIVOR』)は結構ポップで、あんまりシリアスな感じがないんですけど、『SOLID STATE SURVIVOR』のなかでもこの細野さんの曲は、のちの『BGM』や『テクノデリック』を先取りしてます。クラフトワークの「Radioactivity」みたいなムードもあるし、アンビエントっぽいようなところもあるし。

    結局、僕のリストでも細野さんは関わってる曲は半数以上。細野さんがどれほど日本のポップ・ミュージックの進化にとって重要な人物なのかわかります。そして細野さんにチャンスを与えた村井さんもすごく重要な人物なんです。

アルファ・オールタイム・ベスト 
#4―わたしのこの1曲―

馬飼野元宏
(音楽ライター/編集者)

月刊誌『映画秘宝』編集部に所属の傍ら、音楽ライターとしても活動。主な監修書に『昭和歌謡職業作曲家ガイド』『日本のフォーク完全読本』(シンコーミュージック)、構成担当に『ヒット曲の料理人 萩田光雄の世界』『同 船山基紀の世界』(リットーミュージック)など。聴き手と編集を担当した『大林宣彦、全自作を語る』(立東舎)が2020年10月22日に発売。

音楽を聴いて、不意に泣いてしまうという経験をしたことが、誰しもあるとは思う。哀しいとか、嬉しいとかそういった感情とはまた異なる、メロディーとサウンド、歌詞と歌唱が三位一体ならぬ四位一体となってもたらす高揚感のようなものか。生まれて初めてその経験をしたのが、僕にとっては「虹と雪のバラード」だった。サビのところに入ると、自分でもコントロールできない波がわーっと押し寄せてきて、感涙してしまう。最初に聴いたのはまだ小学校に上がったばかりの頃と記憶しているので、自分でも一体何が起きたのか、よくわからなかった。アルファの音楽は、それが初体験である。

幼少期から、童謡だのアニソンだのには目もくれず、歌謡曲ばかりを聴いていた。特撮モノもアニメも子供向け番組にも興味がなく、歌番組ばかり見ている子どもだった。当然、歌謡曲にだけは異常なほど詳しくなってしまったが、その中で「歌謡曲とは違う」音楽が存在することにも、かなり早い段階で気づいていたと思う。「虹と雪のバラード」がそうだし、「翼をください」もそうだった。「学生街の喫茶店」は父親が気に入って買ってきたレコードだったが、裏面をひっくり返して聴いた「美しすぎて」は、片面の曲のわかりの良さに比べ、ちょっとした差なのだが、「異世界」の雰囲気があった。

小学校高学年になり、父親がラジカセを買ってくれた。我が家のステレオについているチューナーはAMしかなかったので、この時、はじめてFM放送というものに触れた。NHK-FMかFM東京(当時)かは忘れたが、ダイヤルを合わせた時、流れてきたのが「あの日にかえりたい」だった。これには衝撃を受けた。「虹と雪のバラード」や「美しすぎて」に続く、異世界体験である。この頃、歌謡曲には相当詳しくなっていたが、テレビの歌番組で見聞きしている歌謡曲とは明らかに違う音楽が存在するのだ、と知った。前へ前へと出しゃばらないバックの音。独特の声を持った女性歌手の歌い方も、バックの音と溶け合っていて、サウンドとヴォーカルが一体になってこちらの耳に滑り込んでくる。

景色が浮かぶ音、というのが、僕の「アルファの音楽」の印象である。詞、曲、アレンジ、歌唱、どれか1つが突出しているのではなく、一体となって入り込んでくるのがアルファの音。それゆえに、どの曲もサウンド全体でイメージを喚起させてくれるので、結果としてその歌の風景が強く脳裏に浮かぶ。これは歌謡曲ではほぼなかった体験だった。

アルファの音楽には、そんな原初的な体験が投影されている。このことには感謝してもしきれない。それからずっと飽きることなく音楽を聴き続けていくきっかけを作ってくれたのだから。今回のプレイリストでは、あらためてその個人的な体験による謝意を込めて、村井邦彦と荒井由実の楽曲だけで組んでみることにした。『ひこうき雲』なんて、初めて手にしてから45年経った今でも聴き続けているのだから。

馬飼野元宏による
アルファ・オールタイム・ベスト( )内は発売年/月

  • 01.涙は花びら/ザ・フローラル
    作詞:宇野亞喜良 
    作曲:村井邦彦(1968年8月)
  • 02.愛の翼をひろげて/ルネ・シマール
    作詞:山上路夫 
    作曲:村井邦彦(1974年12月)
  • 03.いとしのサンタマリア/ザ・ビーバーズ
    作詞:なかにし礼 
    作曲:村井邦彦(1968年8月)
  • 04.時計をもどして/奥村チヨ
    作詞:山上路夫 
    作曲:村井邦彦(発売日不明)
  • 05.ざんげの値打ちもない/北原ミレイ
    作詞:阿久悠 
    作曲:村井邦彦(1970年10月)
  • 06.恋人時代/弘田三枝子
    作詞:山上路夫 
    作曲:村井邦彦(1971年11月)
  • 07.憶えているかい/GARO
    作詞:山上路夫 
    作曲:村井邦彦(1973年10月)
  • 08.大人と子供/長谷直美
    作詞:なかにし礼 
    作曲:村井邦彦(1974年8月)
  • 09.あかるい表通り/天地真理
    作詞:山上路夫 
    作曲:村井邦彦(1972年12月)
  • 10.虹と雪のバラード/トワ・エ・モワ
    作詞:河邨文一郎/
    作曲:村井邦彦(1971年8月)
  • 11.愛は突然に/加橋かつみ
    作詞:加橋かつみ 
    作曲:荒井由実(1971年5月)
  • 12.晩夏(ひとりの季節)/荒井由実
    作詞:荒井由実 
    作曲:荒井由実(1976年11月)
  • 13.恋人と来ないで/パイシス
    作詞:荒井由実 
    作曲:荒井由実(1976年4月)
  • 14.午后のイメージ/郷ひろみ
    作詞:荒井由実 
    作曲:筒美京平(1975年11月)
  • 15.霧の桟橋/石川セリ
    作詞:荒井由実 
    作曲:荒井由実(1976年1月)
  • 16.あの頃のまま/ブレッド&バター
    作詞:呉田軽穂 
    作曲:呉田軽穂(1979年7月)
  • 17.スカイレストラン/ハイ・ファイ・セット
    作詞:荒井由実 
    作曲:村井邦彦(1975年11月)
  • ●「涙は花びら」ザ・フローラル

    ブリティッシュ・フォークだけど、オーケストレーションを施して、クラシカルかつ洗練されたサウンドになっている。当然リアルタイムではなく、だいぶ後になって知った曲だが、これがGSバンドといわれてちょっと驚いた。

  • ●「愛の翼をひろげて」ルネ・シマール

    カナダの少年歌手ルネのシングル3作目。アルファが原盤製作を手掛けたのは、ルネがカナダ公用語のフランス語で「美しい星」を歌ったことがきっかけだという。ボーイソプラノで歌われるハピネスな世界。サビの展開が素晴らしい。

  • ●「いとしのサンタマリア」ザ・ビーバーズ

    個人的にGSで最も好きなヴォーカリストはビーバーズの成田賢。彼らの4作目で、もとは「哀愁のサンタマリア」というタイトルだったそう。GSバンドなのに歌謡曲化してしまったなどと言われるものの、むしろマイナーなのに哀愁味と高揚感が一体となっていて、官能的ですらある。ナリケンはその後ソロになってからもアルファが携わっていて、そちらの作品ではより濃厚なヴォーカルが堪能できる。

  • ●「時計をもどして」奥村チヨ

    これは、60年代後半から70年代前半にかけて、奥村チヨがアポロンに残した8トラカートリッジ及びカセットのみの音源。ウルトラ・ヴァイヴの高護が発掘して2014年にCDコンピとしてまとめられた。本作はそのうちの1つ『チヨのふり向いてもくれない』に収録。奥村チヨはお色気歌手のイメージが強いが、本来は洗練されたヨーロピアンタイプの楽曲も上手いことがよくわかる。

  • ●「ざんげの値打ちもない」北原ミレイ

    演歌だと思っている人も多いだろうが、もともと阿久悠の曲想はポルトガルのファドだった。北原ミレイももとは「銀巴里」で歌っていた人で、カンツォーネやジャズも上手い。試しにメロディーだけ聴けばわかるが、演歌にあるべき泥臭さがない。この曲はもともと5番まであって、その4番目の歌詞はオクラになってしまったのだが、それを近年復活させ北原ミレイが歌ったことがある。その際、4番だけバラードにして歌っているのだが、それを聴けば村井メロディーの洗練度がよくわかる。この時期、歌謡曲をデオドラントし続けたのが村井邦彦なのだ。

  • ●「恋人時代」弘田三枝子

    元はシルヴィ・バルタンに提供し、彼女がカタコトの日本語で歌ったソフト・ロックの秀作。弘田三枝子はややテンポを落とし、ちょっと艶っぽく表現している。「裏庭の出来事」のB面に収録。

  • ●「憶えているかい」GARO

    アルバム『GARO4』に収録。山上=村井コンビがGAROに提供した曲はどれも温かみがあって好きなのだが、これもF#m7とかsus4をさらっと入れてくるあたりがたまらない。

  • ●「大人と子供」長谷直美

    長谷直美のアイドル時代唯一のアルバム『直美の一日』に収録。ハスキーで低めの彼女の声質を活かし、クラビネットを使ったファンキー&メロウ歌謡。長谷直美はシングル2作目の「はじらい/誰にもないしょ」が村井作品だが、ご本人に聞いたところ、もともとアルファの所属で、74年6月にデビューしているが、そのデビュー曲は荒井由実の作品になる予定だったという。諸事情あって別の作家の作品になってしまったが、幻のデビュー曲になる予定だったのは「魔法の鏡」だったとか。

  • ●「あかるい表通り」天地真理

    アルバム『明日へのメロディー』に収録。天地真理の包み込むような歌唱法と山上=村井コンビのピースフルな世界観はよく合う。おまけにこのメロディーの洗練度合たるや! 馬飼野俊一のアレンジもごくシンプルに歌とメロディーを立たせている。シングル曲だけ聞いていると典型的な大衆歌謡の人に思われそうだが、実はこっちの線が本流だったのでは?と思わせるほどの出来。

  • ●「虹と雪のバラード」トワ・エ・モワ

    いつも「あの星たちのあいだに」から「北の空に」の個所で泣けてしまう。ここのメロディー・ラインの美しさには抗えない。作者・村井邦彦バージョンは外苑前のMANDARAで聴いたことがあるが、やっぱり泣いた。

  • ● 「愛は突然に」橋かつみ

    ユーミンの作家デビュー作として有名な曲だが、プロコルハルムの影響が濃厚なまでに出ていて、「ひこうき雲」や「翳りゆく部屋」と同じ時期に書いている作品だとわかる。曲全体の構成、サビの展開など、典型的ユーミン作品のパターンが既にある。

  • ●「晩夏(ひとりの季節)」荒井由実

    NHK銀河テレビ小説「幻のぶどう園」のテーマ曲として、当時毎日かかっていたので、この曲を聴くためだけに観ていた。荒井由実時代の、そしてアルファでの最後のアルバム『14番目の月』のラストに収録されていることもあり、ユーミンの置き土産的な印象も。「そのまま」「旅立つ秋」など、荒井由実のアルバムのラスト曲は、シンプルで心に沁みる。

  • ●「恋人と来ないで」パイシス

    のちにアルバム『サーフ&スノウ』でユーミン自身が岡田真澄とデュエットしたバージョンが有名だが、こちらが初出。パイシスは男女デュオで、男性は後期カーナビーツに参加したポール岡田、女性はジャズシンガーの寺門由紀子(水野ゆき)。ユーミン&岡田版は「海を見ていた午後」風のごくシンプルなバックだが、こちらはオールディーズ風の三連ロッカバラード。

  • ●「午后のイメージ」郷ひろみ

    全作荒井由実作詞、筒美京平作曲、シングル曲一切なしのアルバム『HIROMIC WORLD』の冒頭を飾る1曲。ユーミンがすべて男性人称で書いているアルバムという点でも貴重だが、この曲は特に70年代の原宿・渋谷ムードがあって、シティポップ感と歌謡曲調が上手くブレンドされた、ソフィストケートされたナンバー。同じアルバムでは「ライトグリーンの休日」もおすすめ。

  • ●「霧の桟橋」石川セリ

    グルーミーな曲調は、「雨のステイション」などに通じるもの。ちょっと大人っぽい作風は本人ではなくやや蓮っ葉で乾いた石川セリのヴォーカルでこそ立つのだろう。ユーミンのこの線はその後、小林麻美に継承されたと思しい。

  • ●「あの頃のまま」ブレッド&バター

    ブレッド&バターの休業期間からの復帰、アルファ移籍第1弾として、ユーミンが呉田軽穂名義で提供したナンバーだが、特に2番の「Simon&Garfunkel Ah~」の個所は言葉とメロディのはまり具合に何度聞いても驚かされる。「『いちご白書』をもう一度」と並ぶ青春回顧ものだが、ブレバタの少年の声質を考慮して、曲はもちろん詞まで構築したと思われる。のちにカヴァーした稲垣潤一もやはり同系統の声だから。メランコリックな曲調が決してドメスティックな歌謡曲にならないところは村井邦彦と同じく、ユーミンのセンスの良さ。

  • ●「スカイレストラン」ハイ・ファイ・セット

    そして、最後は村井&ユーミンのコラボ作。もとは「あの日にかえりたい」のメロに乗っていた詞だが、詞を書き換えたため宙に浮いてしまったところを村井邦彦が作曲し、ハイ・ファイ・セットのシングルとして世に出た。マイナーのボサノヴァ・タッチのメロディーは、最初からこの詞についていたのかと思わせるほどの完璧なマッチング。B面「土曜の夜は羽田に来るの」もやはり村井&荒井コンビの傑作。

アルファ・オールタイム・ベスト 
#5―わたしのこの1曲―

ゲイリー芦屋
(作曲家)

1966年東京生まれ。主に映画や舞台の音楽を作曲、黒沢清監督「CURE」「LOFT」他、現在までに50作を越えるドラマ・映画の劇伴を手がける。近作に、今泉力哉監督『愛がなんだ』(19)『Mellow』(20)、前川知大主宰「イキウメ」の舞台『散歩する侵略者』など。岸野雄一とのユニット「ヒゲの未亡人」のメンバーとして精力的に国内外でツアーを行っている。また音源発掘集団〈土龍団〉の構成員として和製ソフロトックのコンピレーションシリーズ「ソフトロック・ドライヴィン」の編纂に関わっていた事もある。

アルファミュージックの楽曲について語る時、誰しも己の音楽人生を幼少期まで遡って語り始めるのはなぜだろう。このアルファミュージック蒐集録に投稿されてるレビュアーの誰もが自分のリスニング人生を振り返るところから語り始めていらっしゃる。人の成長とともに音楽があるとするならば、ここまで一貫して誰かのリスニング人生に影響を残し続ける音楽を作り続ける会社がアルファミュージックの他にあっただろうか?

……と前置きした上で右に習えで私もアルファとともにあった自分の音楽人生を振り返ってみよう。グループサウンズの原体験も記憶も一切ない私にとって一番最初の出会いはやはり小学校時代の合唱で歌った「翼をください」だ。77年くらいだったろうか、ファーストインプレッションこそ朧げだが毎日終業のお別れの挨拶の前に色々な曲を日替わりで合唱させられていた中で「今日の曲は『翼をくださいだ!』」って嬉しくなるほどこの曲にときめいていたことははっきり覚えている。

その次が荒井由実。早逝した母が「あの日に帰りたい」や「ルージュの伝言」が大好きで車の中でいつも口ずさんでいるのを聴いてるうちに好きになった。そうだ、トワ・エ・モワや森山良子なんかも口ずさんでいたなぁ……。中学にあがるとYMO「ソリッド・ステイト・サバイバー」である。ただ、衝撃的…というよりはインストの曲がヒットチャートに入るのが珍しかったのとビジュアルイメージの新しさ、キッチュさに惹かれていた程度だったのだが、「BGM」を聴いてから人生設計を踏み誤るほどにのめり込んでしまった。14歳、中2の春のことである。さらに悪いことに同時期に聴いた坂本龍一の音楽番組NHK-FM『坂本教授の電気的音楽講座』が火に油を注ぐ。坂本氏の『フォトムジーク』がどのようにしてレコーディングされていくかをクリックを録音するところから全て聞かせる音楽ドキュメント番組だったのだが、箱庭的にスタジオで音がどんどん重ねられて多重録音で音楽が作り上げられていく様子に夢中になり、そして「自分も音楽を作りたい」と心の底から願うようになってしまった。そこからは坂本氏のラジオ番組『サウンドストリート』でかかるニューウェイヴやマニアックなロック、映画音楽を好んで聞くようになり歌謡曲は最も遠い存在になっていったのだが、そういった偏ったリスニングを続けているといつの間にか一周回って歌謡曲に戻ってくるもので、私にとってそのきっかけとなったのは「リメンバー」という歌謡曲同人誌との出会いだった。「リメンバー」でとにかく持ち上げられていたのが筒美京平氏の作品で、そういえばロックに目覚める前に好きだった歌謡曲のレコードはどれも筒美京平のクレジットが入ったものばかりだったな……などとぼんやり思いながら中古レコード屋で歌謡曲のレコードを買い漁るうちに、今度は「いいな」と思う歌謡曲やグループ・サウンズ、ニューミュージックのレコードにはみな作曲:村井邦彦とクレジットされてる事に気がついたのだ。「あっ!」と思ってYMOや荒井由実のレコードを引っ張り出してクレジットを確認してみるとその全てに村井邦彦という名前が!

「翼をください」から荒井由実、YMO、グループ・サウンズ、その全ての点が繋がった瞬間に、私は人生を踏み誤ったのではなく、ただ導かれていたのだという事にようやく気がついた。

私にとってアルファミュージックとはまさに感性の揺りかご、或いは道を示してくれる灯台のようなものだったのかもしれない。

というわけで私のアルファ・オールタイム・ベストだ。アルファ管理楽曲は必ずしもアルファレコードからリリースされたレコードというわけではない。好きなアルファミュージックのアーティストの曲を何でもリストアップできるわけではないという制限のもと、あまり気負わずにリストからパッと目についた「この曲については一言語りたい」と思うものを今の気分でカジュアルに並べてみた。
この中からあなたのリスニング人生を踏み誤らせる……もとい、導くような曲との出会いがあればとても嬉しい。

ゲイリー芦屋による
アルファ・オールタイムベスト( )内は発売・公開年/月

  • 01.栄光の朝/フィフィ・ザ・フリー
    作詞:山上路夫 
    作曲:村井邦彦(69年11月)
  • 02.青春は甘く悲しく/荻野達也とバニーズ
    作詞:山上路夫 
    作曲:村井邦彦(70年3月)
  • 03.若草の萌える頃/ザ・ワイルド・ワンズ
    作詞:山上路夫 
    作曲:村井邦彦(1970年4月)
  • 04.虹と雪のバラード/布施明
    作詞:河邨文一郎 
    作曲:村井邦彦
  • 05.めぐりくる季節/タイム・ファイブ
    作詞:竜真知子 
    作曲:吉村晴哉(1979年)
  • 06.チークダンス/ クレスト・フォー・シンガーズ
    作詞:山上路夫 
    作曲:小田裕一郎(1980年)
  • 07.桜の代紋 BGM/村井邦彦
    作曲:村井邦彦(1973年4月)
  • 08.野獣狩り BGM/村井邦彦
    作曲:村井邦彦(1973年11月)
  • 09.W.4th.St./かまやつひろし
    作詞:三浦徳子 
    作曲:深町純(1978年6月)
  • 10.Menu/野口五郎
    作詞:藤公之介 
    作曲:深町純(1978年8月)
  • 11.恋のハイウェイ/郷ひろみ
    作詞:荒井由実 
    作曲:筒美京平(1975年11月)
  • 12.「変奏曲」のテーマ/中丸信
    作詞:Jean Armand Marche 
    作曲:有馬すすむ(1976年2月)
  • 13.嫉妬/石坂浩二
    作詞:石坂浩二 
    作曲:大野雄二(1971年12月)
  • 14.私は泣かない/雪村いづみ
    作詞:千家和也 
    作曲:すぎやまこういち(1972年8月)
  • 15.わるいくせ/安井かずみ
    作詞:安井かずみ 
    作曲:村井邦彦(1970年9月)
  • 16.夢で逢えたら/林以樂
    作詞:大瀧詠一 
    作曲:大瀧詠一 
    中国語詞:林以樂(2020年5月)
  • ●「栄光の朝」フィフィ・ザ・フリー

    まずはアルファレーベルの第1弾アーティストであるフィフィ・ザ・フリーを外すわけにはいかない。この曲との出会いは85年のNHKFMの山下達郎『サウンドストリート』の「GS特集」だった。グループ・サウンズのパブリックイメージを覆す鮮やかなコーラスワークに魅了され、番組を録音したテープを繰り返し聴いていた。後にGS研究家の故・黒沢進氏の紹介で神戸にお住まいだったリーダーの故・曽根隆氏を訪ね当時のお話を詳しく聞かせて頂いたり、同じくメンバーで札幌で中古レコード店を経営されていた吉田一夫氏とコンタクトを取り楽しく音楽談義をする中で「ソフトロックが好きならこんなレコードを聴くといいよ」と膨大なリストをファックスで送って頂くなどバンドの音楽性に立体的に触れる事が出来た。その当時はソフトロックが苦手だった黒沢進さんに変わって私がお話を伺って語り部として後世に残していかなければ…という使命感に突き動かされていたのかもしれない。そんな大それた使命感を己に課すほどに「栄光の朝」は私の心を鷲掴みにしたのだ。

  • ●「青春は甘く悲しく」荻野達也とバニーズ

    『ソフトロック・ドライヴィン』というコンピレーションCD編纂のために片っ端から村井邦彦作曲のクレジットのあるレコードを国会図書館で聴きまくっている中で出会った1曲。「栄光の朝」の次に好きなグループ・サウンズの曲はこの曲以外に考えられない!…というほど大好き。タイトル通りの甘く切ないメロディー、サビで広がるハーモニーの主メロに対するカウンターのハモリラインの巧みさ……何度聴いても聞き飽きる事がない。濱田髙志氏主催の『エキスポ・ジェネレーション』というトークイベントで村井邦彦氏を迎えてお話を聞く機会があった時に、この曲の印象を尋ねたら「どんな曲だっけ」と忘れてらしたので、その場でお聞かせして直接自作への感想を伺えた時がまさに至福の瞬間であった。

  • ●「若草の萌える頃」ザ・ワイルド・ワンズ

    1970年4月に13枚目のシングルとして発売された。『ソフトロック・ドライヴィン』に収録しようという初期段階の候補としてこの曲を挙げていたくらい好きな曲。ジョアンナ・シムカスが美しかったロベール・アンリコの同名映画からのタイトルの引用なのだろうか? サイケなオルガンのグリッサンドに導かれるコーダでパパパコーラスがドラマティックに展開するこの曲はビー・ジーズ・ミーツ・アソシエイションといった趣き。フィフィ・ザ・フリーをはじめこのワイルド・ワンズ、バニーズ、リリーズなど村井氏が手がけたグループサウンズはいずれもコーラスを得意としたグループであった事は特筆すべきだろう。そしてこの流れは赤い鳥~ハイ・ファイ・セットと70~80年代のアルファミュージックの大きな流れを作っていく。

  • ●「虹と雪のバラード」布施明

    「翼をください」と並んで我が国のポピュラー音楽史に燦然と輝くスタンダードであるこの曲はこれまでに数多くのカバーが作られてきたわけだが、中でもこの布施明によるカバーはすごい。オリジナルの12/8のリズムを高速16ビートへ転換、エレベーター奏法のベースラインがドライブし、疾走するリズム隊に乗せてLove Live Life+1で聞かせた布施のパンキッシュなシャウトボーカルが炸裂し、この曲のメロディーに秘められた力に圧倒される。このカバー・バージョンは現在キングレコードのCD企画盤『昭和カヴァーズ・ヒッツ』でのみ聴くことができる。是非アナログ(願わくば7吋)で楽しみたいところだが、当時のキングのカタログをベスト盤、編集盤の類いまで全て調べてみたが収録された盤は見当たらなかった。8トラ用に録音されたものをCDベスト企画の際にお蔵出ししたのかもしれない。この曲のカバーではピクチャーソノシートのみでリリースされた福沢良版(編曲は穂口雄右)も同趣向の16ビートでのカバーに挑戦していてなかなかの疾走感でおすすめ。

  • ●「めぐりくる季節」タイム・ファイブ

    ジャズコーラスグループ、タイムファイブのクロスオーバー名盤『Gentle Breeze』(79年)からメンバーの吉村作曲のアーバン&メロウなこの曲を。アレンジ&プロデュースは大野雄二。もちろんこのアルバムのトリを飾る大野作の「Silent Night」が最高なのだが、すでに他の方のフェイバリットに挙げられていたのでこちらをチョイス。78年に発表された同グループの「翼をください」ではアレンジ&プロデュースにボブ・アルシバーを迎えてこちらでも洗練の極みのような極上のソフトサウンディングコーラスを聴かせている。ボブ・アルシバーはアソシエイション、5thディメンションのアレンジ、プロデュースワークでも知られる人物で、GS時代の村井氏の作家性とも繋がってくる。赤い鳥の「翼をください」の英語バージョン「I would give you anything」はボブ・アルシバーのアレンジだった。こういった人の繋がりや感性の連続性がアルファ・ミュージックの作品に通底する肝なのかもしれない。

  • ●「チークダンス」クレスト・フォー・シンガーズ

    タイムファイブ同様にジャズコーラスをベースとしたコーラスグループ、クレスト・フォー・シンガーズの80年発表のアルバム『スイング・エイジ』よりジャズ風味ポップチューン。完全なジャズに振り切ってしまわずポップのフィールドに軸足を残す絶妙なさじ加減のアレンジはさすがの前田憲男。サーカスを筆頭にジャズコーラスをベースにした洗練されたポップ・コーラス・グループがアルファミュージックに多いのは偶然ではなく、同時代的に世界を席巻していたマンハッタン・トランスファー等に歩調を合わせた流れとして考えるのが自然なのではないだろうか。

  • ●「桜の代紋 BGM」村井邦彦

    村井氏の音楽はポップスの世界だけに止まらず映画音楽でも大輪の花を咲かせていく。その水先案内人となったのが勝新太郎。ある日突然勝新太郎から映画音楽の打診を受けて最初に担当したのが勝監督第1作目の『顔役』(71年)の音楽だったそうだ。『顔役』の音楽も重金属のような重たく太いベースが印象的なファンク・チューンで最高にカッコよかった。村井氏が勝プロに残した映画音楽は当時ブラックスプロイテーション映画の音楽に影響を受けたファンキーでソリッドな映画音楽が多い。そういった方向性を示唆したのは勝新太郎だそうだが、村井氏のジャズ~クロスオーバー志向と見事に合致して時代劇、アクション映画に全く新しい風を吹き込んだと思う。この三隅研次監督作品『桜の代紋』(73年)も勝プロ製作によるもので、ここでも村井氏はダニー・ハサウエイかアイザック・ヘイズかと言わんばかりのファンクネスを感じさせる曲を書いている。

  • ●「野獣狩り BGM」村井邦彦

    須川栄三監督の作品『野獣狩り』(73年)でもブラックスプロイテーション経由のクロスオーバー、ファンク路線は健在。ジャズ~クロスオーバー劇伴のスタイルは同時代的に大野雄二、田辺信一、深町純といったアルファと所縁の深いジャズ系作曲家に共通するスタイルとなって当時の邦画、特に一連の角川金田一映画の劇伴世界に繋がっていったように思う。近年この手の劇伴はあまり聴かれなくなって久しいが、個人的には一番挑戦してみたい劇伴ジャンルではある。さて『野獣狩り』といえば、木村大作カメラマンによる一体どうやって撮ってるんだかわからない奇跡のワンカット(風?)長回しの追跡ショットにとにかく驚かされたものだ。劇伴のみならず映画自体も大好きな作品。

  • ●「W.4th.St.」かまやつひろし

    ムッシュの78年作アルバム『WALK AGAIN』収録の伸びやかなムッシュの歌声が楽しい爽やかなAOR。なんとなくルパート・ホルムズあたりを連想してしまう。チャック・レイニー、ラス・カンケルらを配したL.A.録音による本作はかまやつと共同プロデュースにあたった深町純のペンによる。この曲の独特の彼岸に誘うような世界観は爽やかで美しいメロディーに加えてソリーナやリードシンセの音色(Arpかな?)、ミックスによる部分も大きいと思う。

  • ●「Menu」野口五郎

    こちらも78年のL.A.録音アルバム『L.A.Express』に収録された深町純のペンによるシティ・ポップ佳曲。野口五郎は「グッドラック」「女になって出直せよ」など一部にフュージョン~AOR路線をストレートに追求した作品はあったもののシングルでは歌謡曲に徹し、一方でアルバムはシングル曲を含まないアーティスト性を全面に押し出した別物と切り離して東海林修、筒美京平、深町純をプロデュース&アレンジに迎えて海外レコーディングを重ねていた。本作はデビッド・サンボーン(Sax)、リー・リトナー(g)、デイヴィッド・T・ウォーカー(g)、リック・マロッタ(ds)らウエストコーストの一流セッションメンを配して一連の海外レコーディング作の中で最もファンク色の強い仕上がりになっている。

  • ●「恋のハイウェイ」郷ひろみ

    75年発売の『Hiromic World』収録曲。フィリー・ソウル歌謡屈指の名曲として知られるこの曲は冒頭から胸躍る洗練と高揚感に満ちたままラストまで一気に駆け抜ける疾走感が素晴らしく、もはやフィリー・ソウル「歌謡」などとエクスキューズを付ける事すら憚られるほど筒美京平のフィリー・ソウルへの深い理解を感じさせる。筒美作品でアルファ・ミュージック管理楽曲は珍しいのだが、恐らくこのアルバム全曲の作詞を荒井由実が担当していたという経緯からではないだろうか。僕は本当にこの曲が大好きで一時期、DJをやる度に必ず回していた。

  • ●「「変奏曲」のテーマ」中丸信

    大好きな中平康監督の遺作となった全篇欧州ロケの76年のATG映画『変奏曲』の挿入歌として劇伴担当の有馬すすむが書き下ろしたフレンチ・ジャズ・ファンク曲。仏語を得意とする中丸信(現・中丸新将)の洒脱な歌唱もよい雰囲気。確か車のラジオから流れてきた……という設定の曲だったかな。同映画の主題歌「愛の翳り」のシングルB面としてリリースされた。私は高校時代にテレビの深夜映画でこの映画を初めて見たのだが陰鬱な映画の物憂げな雰囲気にマッチしたこの曲の印象が強く残っていて、レコードが出ていたのかすら定かでないままNHKFM坂本龍一の『サウンドストリート』にリクエスト葉書を出してみたものの取り上げられる訳もなく……という切ない想い出。有馬すすむはジャズピアニスト出身のアレンジャー、コンポーザーで吉田美奈子やガロのアレンジなどでアルファとの繋がりも深かったのだろう。

  • ●「嫉妬」石坂浩二

    ロッド・マッケン=アニタ・カーの朗読シリーズの日本語版のヒットに続く大野雄二と石坂浩二のコラボレーションによる『音楽と幻想シリーズ第3集:夜』収録の1曲。昨今のクラブシーンからの邦ジャズ再評価の流れの一端としてのアルファの存在感を示す好例である。和物レアグルーヴとしても名高い大野雄二オーケストラのグルーヴィーなトラックに石坂浩二のポエトリー・リーディングがのる。藤田敏八の映画かなにかで見たような退廃的な若者の気怠い雰囲気がたまらない。

  • ●「私は泣かない」雪村いづみ

    1972年から始まった東京国際音楽祭の第1回グランプリ受賞曲。エンターテインメントの頂点に相応しい圧倒的な歌唱力と荘厳な盛り上がりを見せるめくるめくオーケストレイション、プログレッシブな楽曲構成……とにかくステージ上で絶唱する姿が目に浮かぶようなこういう調子の楽曲が私は死ぬほど好きなのだ。たとえば同じく雪村いずみの1970年の世界歌謡祭で歌唱グランプリを獲った中村八大作曲の「涙」なども私が思い描く理想的な国際音楽祭グランプリ曲の姿の典型。しかしTBS主催の東京国際音楽祭のエントリー曲がどういった経緯でアルファミュージックの管理曲になったのか、どういうバックストーリーがそこにあったのかいつの日か是非伺ってみたい。

  • ●「わるいくせ」安井かずみ

    これまでかなりの数の村井邦彦作品を聴いてきたとは思うのだが、まだまだコンプリートには程遠い。それでも現段階で結局一番好きな曲はなんなのかと考えた時にそっとターンテーブルに載せてしまうのは、このどこか寂しくて悲しいアンニュイなボサノバ曲だ。幸せなんか…とつぶやくようにくりかえす安井かずみの歌声は胸に刺さっていつまでも甘い香りを残し続ける、そんなシンプルで美しいメロディー。

  • ●「夢で逢えたら」林以樂

    最後は手前味噌ながら今年私が岸野雄一と制作した台湾のSSW、林以樂による吉田美奈子の「夢で逢えたら」の中国語カバーを挙げておきたい。「夢で逢えたら」はなにしろこの曲だけで4枚組のアルバム『EIICHI OHTAKI Song Book III 大瀧詠一作品集Vol.3 「夢で逢えたら」(1976~2018)』ができてしまう程カバーの数が多い。そしてこれから日本のみならず世界でも歌い継がれていくスタンダードとなり得る曲だろう。中国語でこの曲が歌い継がれるきっかけになれば……と思って、かねてから親交のあった林以樂に訳詞と歌唱を依頼した。改めてこうやってアルファ管理曲のリストの中から選曲してみて気づくのは、「夢で逢えたら」にしろ「翼をください」にしろいずれも世代を越えて愛される国民的なスタンダードとなっている曲の多さだ。音楽的な洗練と誰もが口ずさめる親しみやすさを兼ね備えた新しい時代のスタンダード……それこそが村井氏が、そしてアルファ・ミュージックが目指した到達点だったのではないだろうか。

アルファ・オールタイム・ベスト 
#6―わたしのこの1曲―

江草啓太
(ピアニスト/作・編曲家)

2008年にマキシシングル「KALAYCILAR」を植松伸夫設立のドッグイヤー・レコーズからリリース。朝崎郁恵、伊藤多喜雄、雪村いづみ、加藤登紀子、小西康陽、島田歌穂、Smooth Ace等のサポートを務め、えぐさゆうことのDUOでは屋久島、奄美大島等の古謡や作業唄を発掘し蘇演する試みを行う。
横浜・名古屋・大阪で行われた『LA LA LAND - IN CONCERT -』では、ソリストとして東京フィルハーモニー交響楽団と共演。
宇野誠一郎トリビュート・プロジェクトは、今年7枚目のアルバムをリリース。舞台作品への関わりも多く、『ETERNAL CHIKAMATSU』、『黒蜥蜴』、『音楽劇『道』』(いずれもデヴィッド・ルヴォー演出)で音楽を担当し、今冬から来春にかけては『オトコ・フタリ』、『いまを生きる(再演)』、ミュージカル『アリージャンス』の音楽/音楽監督が控えている。

1972年、後楽園球場で観たエマーソン・レイク・アンド・パーマーの来日公演に影響されてピアノを始めました。4歳の時です。スタジオミュージシャンの父に連れて行ってもらいました。以降、アニメ(って呼び名は確か当時はまだなくて「テレビまんが」ですね)の主題歌をカセットテープで録音して聴く幼少期。テレビのスピーカーにカセットレコーダーを近づけて録るスタイルです。

小学生3、4年の頃に観た『宇宙戦艦ヤマト』で宮川泰先生の音楽の虜になり、父に頼んでLPを買ってもらい、それでレコードの聴き方を覚えました。チャイコフスキーを聴き出したのもこの頃。そして、父に連れて行ってもらった前田憲男先生のコンサートでアレンジの楽しさを知りました。なので宮川先生と前田先生が小学校高学年当時の自分にとってのアイドル。父は同業者から色々な音源の情報を教えてもらうことがあり、恐らくそこで知ったであろうタモリのファーストアルバムはよく家族で聞いていました(いま思うと小学生が聴いて良いのかって内容もありますが)。

そんななかで出会ったYMO。中学時代はYMOとその周辺、すなわち必然的にアルファレコードがリリースしていたものを多く聴いていました。多感な頃にリアルタイムで刺激的な作品に多数触れられたのは自分にとっての財産です。ひとことで言えば「テクノ」なのですが、そのなかには、実は様々なジャンルが内包されていたと気づくのはもう少し時間が経ってからです。そして、並べてみると、やはりアルファレコードの作品は自分の音楽人生に密接に関わっていたんだなあと思います。

以下は、当時の思い出と、自分が音楽で仕事するようになってからの出来事とも繋げた極私的な選曲とコメントです。曲順は年代順ではなく、続けて聴いた時によい流れになるようにしました。

江草啓太による
アルファ・オールタイムベスト( )内は発売・公開年/月

  • 01.翼をください/赤い鳥
    作詞:山上路夫 
    作曲:村井邦彦(1971年2月)
  • 02.昔のあなた/雪村いづみ
    作詞:山上路夫 
    作曲:服部良一(1974年7月)
  • 03.今日、恋が/高橋幸宏
    作曲:高橋幸宏(1981年10月)
  • 04.スネークマン・ショー/
    スネークマン・ショー(1980年6月)
  • 05.CITIZENS OF SCIENCE/YMO
    作詞:クリス・モスデル 
    作曲:坂本龍一(1980年6月)
  • 06.COSMIC SURFIN/YMO
    作曲:細野晴臣(1996年5月)
  • 07.Guitar Genius/立花ハジメ
    作曲:立花ハジメ(1982年5月)
  • 08.老人よ 異常はないか/EXPO
    作曲:EXPO(1987年9月)
  • 09.安里屋ユンタ/ハリー細野とイエロー・マジック・バンド
    作詞・作曲:沖縄民謡(1978年4月)
  • 10.OPEN SESAMI/Sandii & The Sunsetz
    作詞:久保田麻琴 
    作曲:久保田麻琴・井ノ浦英雄(1982年9月)
  • 11.曙/ゲルニカ
    作詞:太田螢一 
    作曲:上野耕路(1982年6月)
  • 12.鏡の中の10月/小池玉緒
    作詞:売野雅勇 
    作曲:YMO(1983年9月)
  • 13.僕のマシュマロちゃん/MANNA
    作詞・作曲:MANNA(1991年9月)
  • 14.Galaga
    作曲:大野木宣幸(1984年4月)
  • 15.おいらを呼ぶドラマ/タモリ
    作詞:高平哲郎 
    作曲:鈴木宏昌(1981年9月)
  • 16.シムーン/江草啓太
    作詞:クリス・モスデル 
    作曲:細野晴臣(2008年8月)
  • ●「翼をください」赤い鳥

    小学生の時、教科書に載っていたのですが、他の曲とは雰囲気が違うと漠然と感じ取っていました。それもそのはず、子供のために作られた曲ではないんですもんね。歌っているとちょっとだけ背伸びできるような気がしました。
    いまアルバム・バージョンを改めて聞いてみると、keyがCでバロック的なコード進行。サビはカノン進行ですが「♪飛んで行きたいよ」の「よ」のところでBbのコードが出てきます。恐らくここが特に「背伸び感」だったんだと気づきました。それまで自分の身の回りになかったロック的な、ビートルズ的なコードの使い方が新鮮に響いたんだと思います。

  • ●「昔のあなた」雪村いづみ

    服部良一作品をティン・パン・アレー+服部克久のアレンジでカバーした名盤『スーパー・ジェネレーション』から。
    昔の恋人と再会した時間を描いたこの一曲を書き下ろしで入れるセンスがニクいです。
    まだ自分が20代半ばで駆け出しの頃から30代越えたくらいまで、いづみさんのサポートをしていた時期があります。最初はキーボード、しばらくしてピアノにコンバート。そして2000年頃のツアーで、このアルバムから数曲演奏することになりました。ある音源が必要だったのでスタッフがLA在住の村井邦彦さんとやり取りしていました。直接ではないにしろ思わぬところで村井さんと繫がりが持てただけで、当時は嬉しく感じていました。
    それから何年か経ち、フリーペーパー『月刊てりとりぃ』で父のことを連載していたところ、村井さんも同紙に参加されることになり、年に一度の関係者による懇親会を、村井さんのご厚意で、何度かLDKスタジオで開催させていただきました。細野さんがアルファ内でYENレーベルを立ち上げた時に拠点としていたスタジオです。ピアノがあったので、後述の「マッピー」などYENレーベルにゆかりのある作品を弾かせていただいたり、そしてある時は作曲家の桜井順さんと村井さんと僕の三人で連弾をさせていただいたこともありました。ちなみに今回の自分の写真は普段のプロフィール写真ではなく、その懇親会の際にスタッフにお願いしてスタジオのコントロールルームに入れていただいた時のものです。その後、LDKスタジオはビルの老朽化によって取り壊されてしまいましたが、これらは一生忘れられない思い出となりました。

  • ●「今日、恋が」高橋幸宏

    スネークマンショーのアルバムの中に突然現れるフランシス・レイ風な楽曲。
    YMOの3人が映画音楽を手掛けるのはもう少し後ですが、もしも80年前後にオファーがあったとしたらこの路線のものがもっと聴けたのかも……などと妄想します。

  • ●「スネークマンショー」スネークマンショー

    小学校6年のある日の夜。リビングにいると父が帰って来て「知り合いから面白いのもらったよ」と一本のテープを渡してくれました。発売されたばかりの初代ウォークマンに入れて再生すると、流れてきたのは麻薬現行犯を取り調べる警察としらばっくれる男のコント。こりゃ可笑しいなあと聞き入っていたら…(次の曲に続きます)。

  • ●「CITIZENS OF SCIENCE」YMO

    クロスフェードで流れてきた音楽に耳を奪われました。シンセサイザーにはそれ以前から興味を持っていましたが、この曲は今までにない未知なる音楽に思えました。
    YMOはテクノポリスやライディーンではなく、少し影のあるこの曲から聞き始めたので、その後の『BGM』、『テクノデリック』といった中期のアルバムも全く違和感なく入り込めました。

  • ●「COSMIC SURFIN」YMO

    1980年、ロンドンのハマースミス・オデオンでのライブ音源です。90年代になってCD『WORLD TOUR 1980』に収録されました。会場の観客の三割がミュージシャンだったらしいです。この日の演奏はBBCでも放送されたそうで、イギリスでの注目の高さが伺えます。日本でも当時NHK-FMでオンエアされ、自分はエアチェックしたのを愛聴していました。
    プログラム前半の「RYDEEN」、「MAPS」などではクールな中にも熱量が感じられますが、後半に向かうにつれ「NICE AGE」、「在広東少年」、「FIRECRACKER」あたりでどんどんヒートアップしていく、ライブならではのドラマティックな展開が感じ取れます。そしてアンコール一番最後のこの曲。教授のプレイがいつになくアグレッシヴです。

  • ●「Guitar Genius」立花ハジメ

    ニューウェーブって色々ありますが、シンセサイザー抜きの編成となると、自分がイメージするのはこの曲かも知れません。ハジメさんのギターが炸裂。サックスの格好良さはこのアルバムで知りました。

  • ●「老人よ 異常はないか」EXPO

    曲中、「ブラスバンドがTuttiで音階の練習中、クラリネットかサックスがリードミスをしてしまう」というのをシミュレートしています。「人間の間違いを打ち込みで再現する」って考え方は衝撃でした。メンバーの山口優さんとはパソコン通信の時代に繫がりました。
    「このアルバムのカセットを持ってます」と伝えると、「これは常盤響のデザインの最初の仕事。カセット版を持ってないので、手持ちのLPと交換して欲しい」と申し出がありました。
    自分もレコードで欲しかったので、高円寺にあった山口さんのお店で取り替えてもらいました。

  • ●「安里屋ユンタ」ハリー細野とイエロー・マジック・バンド

    貸しレコード屋が出現したばかりの頃、初めて借りたレコードの中の一枚です(ちなみに下北沢のレコファンでした)。0:45からのコード進行と弦のフレーズは今聴いてもゾクゾクします。
    民謡をアレンジするのが好きすぎて、いまは自分でも妻・えぐさゆうこと一緒に奄美や屋久島の古謡をやっております。細野さんは木津茂理さんのアルバムでも民謡を歌ってらっしゃいますが、もっともっと聴いてみたいです。

  • ●「OPEN SESAMI」Sandii & The Sunsetz

    沖縄音楽✕ニューウェーブ。イントロのドラムと808のハンドクラップ、そして三線を模したエレキギター。これだけでもご飯を何倍もおかわりできる勢い。
    久保田麻琴さんは、近年、宮古島などの古謡の発掘やリミックスをされていて、とても刺激を受けています。

  • ●「曙」ゲルニカ

    リリース直前に雑誌『サウンドール』で「戦前の歌謡曲と近代クラシックの融合」と紹介されていて興味を持ちました。音を聴かないでレコードを買ったのは初めての経験。
    戸川純の「女優が歌ってる」感もあって、この曲はまるでミュージカルか音楽劇の中の一曲のよう。ってそんなこといったらこのアルバム全曲そうですね。
    上野耕路さんが当時フェイバリットで上げていた中に近代フランスの作曲家であるプーランクが入っていたのですが、影響されて僕も大好きになりました。

  • ●「鏡の中の10月」小池玉緒

    散開間近のYMOの作曲と演奏。ミカドやクレプスキュールの流れを組む雰囲気ですが、この路線のYMOのアルバムも聞いてみたかった気がします。選曲してから気づいたのですが、Aメロのシーケンスのフレーズは、恐らくドビュッシーの「夢」の引用かも。

  • ●「僕のマシュマロちゃん」MANNA

    初期ピチカートⅤのメンバーだった鴨宮諒が、ボーカルで作詞の梶原もと子と組んだユニットの1stアルバムから。フレンチ・ポップ寄りのテクノなサウンドが心地よい。いま改めて聴くと歌詞が結構ドキッとしますね。

  • ●「Galaga」

    細野さん監修でアーケードゲームの音楽を集めたアルバムから。自分はゲーム音楽をピアノソロで聞かせる「ピアコンズ」というプロジェクトに参加していましたが、「マッピー」はこのアルバムを聞いて参考にしました。この「Galaga」の1:04以降のダビングによるアレンジは、YMOの1stを連想させます。テクノって当時は「冷たい」って言われることがありましたが、自分はそんなことは思わず、むしろそれまで聴いたことのない「ロマン」を感じる音楽でした。

  • ●「おいらを呼ぶドラマ」タモリ

    戦後歌謡史のパロディであるアルバムから。
    後にミュージカルレビュー『ダウンタウン・フォーリーズ』でご一緒する高平哲郎先生の構成・演出・作詞。「♪俺らはドラマー やくざなドラマー」が「♪テレビのドラマ やくざのドラマ」に。「この野郎、かかって来い!」のセリフは「最初は日テレだ ホレ、フジテレビ」と続きます。このアルバムをベースにした特番が当時フジテレビでありました。
    収録曲の大半がMV化されていて、そちらも最高でした。再放送とかはもうないと思いますが…。『ダウンタウン・フォーリーズ』ではミュージカルをはじめとした色々なパロディもよくやるのですが、高平先生の言葉を操るセンスに毎回脱帽しています。

  • ●「シムーン」江草啓太

    ゲイリー芦屋さんがご自分がカバーに関わった作品を挙げていたので、僕も真似させていただきます。ピアノソロのシングルを植松伸夫さんのレーベルから出すことになり、「YMOのカバーを一曲入れてほしい」とリクエストがあって選曲したのがこれです。手前味噌でスミマセン。リリース後、朝崎郁恵さんのコンサートで細野さんとお会いする機会があり、CDを手渡しさせていただきました。二言、三言交わしたのですが、発する言葉すら細野さんの音楽のようで感激しました。

アルファミュージック紳士録 ALFA Music Social Register

第1回有賀恒夫さん(前編)

村井邦彦は1970年に川添象郎やミッキー・カーチスらとともに立ち上げた「マッシュルーム・レコード」をより発展させた形で、1972年に原盤制作会社「アルファ&アソシエイツ」を立ち上げる。設立間もないアルファは、三田東急アパートの一室に事務所を設け、その後山手線の線路を挟んだ反対側の芝浦にスタジオを作った。
この時期のアルファにはまだ所属アーティストも少なく、原盤制作のディレクターもたった1人。その人物が今回ご登場いただく有賀恒夫である。
有賀恒夫は暁星中学~高校、そして慶応大学のライトミュージックソサエティに進むまで、一貫して村井邦彦と同じ道をたどっている。村井の直系の後輩として、アルファ&アソシエイツに入社したのが1973年のこと。アルファのカラーは大別すると有賀が手がけてきた自作自演系ヴォーカルやコーラスグループの作品と、YMOやカシオペアといったインストゥルメンタル系のグループに大別されるが、もともとコーラスやヴォーカルの音程に鋭い感性をもっていた有賀は、アルファの中でも主に「歌もの」を担当していくことになる。荒井由実、ハイ・ファイ・セット、サーカス、ブレッド&バターといったアーティストたちのディレクションを行い、幾多の名曲、名盤を世に送り出していった。そして常に村井邦彦の片腕としてアルファの音楽に大きな足跡を残してきた有賀の仕事を、今回から3回に渡ってご本人のインタビューという形で紹介していこう。
第1回は音楽の魅力に目覚め、村井邦彦と出会った中学時代から初期のアルファ作品でのディレクターとしての活躍について。赤い鳥のラスト・アルバム『書簡集』、そして今や日本のポップスのスタンダードとなった荒井由実の名盤『ひこうき雲』のレコーディングについて伺った。

子どもの頃は、どんな形で音楽と出会い、その魅力に触れていったのでしょうか。

「僕が小学校4年の時、母親がクラシック・ギターを習わせたんです。その後、暁星中学でブラスバンドに入った時、2年上の先輩が村井さんでした。ほかにもアルトサックス奏者になった大友義雄さんが先輩でした。高校に上がってからは、もちろんクラシックも聴いていたけれど、他にはカウント・ベイシーなどジャズ系も好んでいました」

そして慶応大学に進学されて、名門のライト・ミュージック・ソサエティに入部されるわけですが。

「ライトミュージックは、高校の頃に村井さんが僕を連れて行って練習風景を見せてくれていたので、このバンドに入りたい、という一心で慶応を受けたんです。当時の村井さんはオシャレでね、その頃、大学生でモーリスのミニクーパーを乗り回してました(笑)」

ライト・ミュージック・ソサエティでの活動はどのようなものでしたか。

「ビッグ・バンドですからパーティやコンサートへの出演が多く、夏は全国ツアーもやるんです。それで、岡山で必ず早稲田のハイソサエティ・オーケストラと一緒になるの。2つのバンドが同時に舞台に乗って、1曲ずつ交互に演奏したり、同じ曲を合同でやったり。お互い負けないぞって意識はもっているけど、仲は良かったですよ。その頃、僕はアルトサックス担当で、村井さんは最初クラリネットをやっていたけれど、途中からピアノに変わりました。なので、村井さんはたぶんクラシック・ピアノの教育は受けていないと思いますよ。独学で弾けるようになったんです。他にも先輩としてはテナーサックスの西条孝之介さんや、大野雄二さん、佐藤允彦さんがいらっしゃいました」

では、将来は音楽で身を立てようとその頃からお考えでしたか。

「いえ、毎日が音楽漬けで楽しくて、先のことなんか何も考えてなかった(笑)。まあ何とかなるだろう、ぐらいの考え方で、就職活動もしていなかったんです。実家が焼き鳥屋だったので、半年ぐらい板前修業をしたんです。将来は店を継げばいいか…ぐらいの考えで。その頃、僕の後輩が日音にいて、彼から『ビクターで人を探している』という話を聞いて、ビクターのMCAレーベルに、見習いというか小僧さんで入ったんです。当時ビクターの青山スタジオが出来たばかりで、そこにマスターテープを持って行ったり、まあ雑用係ですね。その頃、青山スタジオの1階にはずらっと編集室が並んでいたんです。ある時、届け物に行ったら編集室から音楽が聞こえてきて、入って聴いていたんですが、その時僕が『何か音程が悪いな』って言ったらしく、僕が帰った後、『あいつは誰なんだ』って大騒ぎになったらしい(笑)。まあそうやって小僧を1年ぐらいやってたんだけど。正社員にしてくれそうもないので辞めました」

もうその頃から、ヴォーカルの音程に言及するなど、耳が素晴らしく肥えていたと言うことがわかるエピソードですね。歌やコーラスに興味がわくようになったのはいつ頃からなのですか。

「自分ではよくわからないのですが、ビクターを辞めた後、半年ぐらいアメリカに渡り、ロサンゼルスで英語の学校に通っていたんです。72年頃でしたが、その頃グリークシアターにカーペンターズのコンサートを見に行って。ちょうど『ア・ソング・フォー・ユー』をリリースした時期で、アルバムを全曲演奏したんです。野外コンサートなので余計な反響もないし、1つ1つの音が凄くクリアに届いてきました。彼らのレコーディングは、多重録音で2人の声を重ねていくんですが、ステージではコーラスを入れている。でもレコードと全く同じ音を出すので、それは感動しましたね。コーラスの美しさから全体のバランスまで、何の文句のつけようもない出来。レコードと同じ状態で演奏できるって凄い、と感じて、またコーラスの魅力は大変なものだと思いました。その頃からコーラス好きになりましたね」

その後アルファに入ることになるわけですが、どういうきっかけだったのですか。

「村井さんから電話があって、アルファ&アソシエイツっていう原盤制作の会社を立ち上げるので、良かったら来てよ、と言われたんです。73年のことでした。入ったばかりの頃は、三田の東急アパートにオフィスがあって、でもまだ何の仕事もないから毎日何をするわけでもなく、芝浦にスタジオができるのをずっと見ていましたね」

初期の頃の有賀さんのお仕事ですと、まず赤い鳥のラスト・アルバム『書簡集』があります。

「赤い鳥はもうその頃、活動が二手に分かれていて、『書簡集』を最後のアルバムにしよう、というのは決まっていました。その後ハイ・ファイ・セットと紙ふうせんに分かれるのですが、僕は最初は両方担当していて、紙ふうせんのほうは、もう東京に居たくないというので、地元の関西に帰ってしまって、その後ハイ・ファイ・セットをそのまま僕が担当するようになった。というか、あの頃は制作が僕しかいなかったんですよ。ディレクター1人だけ(笑)。そのうちに後輩で宮住(俊介)が入ってきて、僕はコーラスとか歌もの、宮住はインストゥルメンタル関係、という風に自然と振り分けが決まっていきました。でも、吉田美奈子だけはなぜか最初は呼ばれませんでしたね。たぶん、僕と美奈子だと主張がぶつかってろくなことにならないだろうという配慮でしょう(笑)」

書簡集

そして、初期の有賀さんのお仕事で名高いのが、荒井由実の『ひこうき雲』ですが、ユーミンとの出会いはどういう形でしたか。

「ユーミンは村井さんが連れてきたんです。その頃、彼女はアルファに自分の作品を持ち込んできていて、72年にはムッシュかまやつさんのプロデュースで『返事はいらない』のシングルを出しています。その時は、僕は全く知らないのですが。出会ったときからユーミンは『自分は作家になりたい』としきりに言っていた。彼女が19歳、僕が27歳の時です。それで作品を聴かせてもらったら、これが素晴らしい、今までの日本にはないような音楽だった。でも、いくら作家でやっていくにしても、誰がこの作品を歌えるのか思いつかなかった」

従来の歌謡曲やフォークのような日本の音楽とは、明らかにかけ離れたものがあった。

「そうです。そうしたら村井さんが、雪村いづみさんに歌わせようって言い出して、僕は『ええっ!?』となったんだけど、村井さんの命令は絶対ですから(笑)。それで『ひこうき雲』をレコ―ディングしたんですが、上手いんだけど、どうもテイストが合わない。これはユーミン自身が歌うのがいいんじゃないか、と思って、『ひこうき雲』と『雨の街を』『紙ヒコーキ』の3曲を弾き語りで歌ってもらいました」

ユーミン自身も、『自分で歌う気はさらさらなかった』とよく発言されていますが、あの独特のヴォーカルはどのようにして生まれたのでしょうか。有賀さんが関わる前のシングル『返事はいらない』で聴く彼女のヴォーカルは、『ひこうき雲』以降のものと違って、まだビブラートが明確に残っていますね。

「彼女はずっとビブラートが問題だったんです。山本潤子さんみたいに、綺麗にビブラートがかからない、声が震えているかのような、ちりめんビブラートと呼ばれる歌い方だったんです。僕はそれを取り除こうと思って、彼女も一生懸命練習したんでしょうね。でもビブラートを取って歌うのは、難しいです。最初からその音に、正確な音程でヒットしないといけないわけだから。でもやらなければしょうがない。確かいちど、岡崎広志さんのところにヴォーカル・レッスンに行ったかもしれない…ちょっと記憶は曖昧ですが」

歌い方を変えることに、ユーミン自身は抵抗はなかったのですか。

「彼女は、少しぐらい音程が悪くても、雰囲気が大事だと言う考え方だった。僕はそれではダメで、歌う当人にはその雰囲気はわかるけれど、聴き手には関係ない。聴き手が勝手に感じ取るもののほうが大事なので、そこは僕は妥協しなかった。とにかく歌入れには時間がかかったので、最後はスタジオの隅で彼女が泣き出しちゃったんです」

録音はどういう形で行われたのでしょう。

「当時はマルチ録音で16チャンネルだから、その中でヴォーカルに3トラックを当てて、パンチ・イン(マルチチャンネル録音で、テープを走行させたまま再生状態から瞬時に録音状態に移行させること。演奏の一部を修正したい場合に有効な方法)しながら作っていくんです。2トラック目も3トラック目もそうやって作り、上手く歌えたところは、ここからここまで、とスイッチャーで切替えて、良く歌えているところを選ぶ作業をしました。
スイッチングで息継ぎが切れたり間違えたりしたら、最初からやり直す。
本当の真剣ライブミックスです。この方法にはユーミンが反対しました。『感情がつながらない』というのが彼女の理屈です。
僕はしかし、「レコードはずーっと残るものだから」と言って、聞き入れなかったのを覚えています。
そのうちにもう1トラック開けてもらってそこに歌のOKテークを作るようになると、作業はずっと楽になりました。
何しろテープを回して録音していたのですから、良くも悪くも全てがアナログの時代でした。」

レコーディングには1年かかったと聞いています。

「そのくらいかかったかもしれませんね。一番苦労したのは何の曲だったかな…『ひこうき雲』かもしれない。後半の高い部分(リフの「空をかけてゆく」の個所)がなかなか大変だった。バンド(キャラメル・ママ)のほうは2~3か月で終わったけれど。でもバンドも細野晴臣さんが中心でしたが、細野さんがコードネームをメモにしてメンバーに渡して、セッションで1曲録るなんてやり方だったから、当然譜面もない。最初はアルファのスタジオAでずっとやっていたけど、あまりに時間がかかり過ぎて、村井さんから『いい加減にしろ』って怒られて、新宿の安いスタジオを借りて練習して、出来上がった形でアルファのスタジオで録る、というやり方に改善されました(笑)」

ひこうき雲

アルバムの中で「空と海の輝きに向けて」という曲がありますが、あれはユーミン自身が高い部分と低い部分をダブルレコーディングしています。最初からああいう形でしたか。

「あれは、最初からあの形になっていました。自分で上と下の両方歌うというのも彼女が決めていました」

「きっと言える」という曲も、当時の日本のポップスとしては異例の作品でした。

「あれはよくできた曲ですね。どんどん転調していく、それも半分転調してまた戻る、という繰り返し、あれは凄いと本当に思いました。その時、間奏をどうしようかと思って、先ほどお話したライトミュージックの先輩の西条孝之介さんにサックスをお願いしたんです。西城さんは日本のスタン・ゲッツと呼ばれていて、ボサノバ関係のテナー・サックスの第一人者ですから。スタジオに来てもらったとき、『僕は演歌や歌謡曲はやらないよ』というので、まあとりあえずは聴いてください、と言って聴かせたら『これは僕にぴったりだ!』と言って、1テイクでOKでした」

第一級のジャズ・プレイヤーを興奮させる出来だったと。

「やはりあの転調にあるんです。ジャズで転調は日常茶飯事だし、『ツー・ファイブ・ワン』というコード進行を使えば、どこにでも転調できる。でもユーミンは『ツー・ファイブ・ワン』の技術はもっていないのに、感覚でそれを構築できる天性の才能があるんです。技術や学問で作ったわけじゃない、だけどジャズ的に考えると合点の行くコード進行になっているので、西条さんも一発で吹けたんです。感性だけでそういったことができるのが、彼女の天才たるゆえんでしょうね」

転調といえば、のちの「中央フリーウェイ」も凄い転調の繰り返しでした。

「あれも凄いよねえ。『中央フリーウェイ』の転調に関しては、彼女は徹底して感性を磨いて、あの曲を生んだのだと思う。そこが素晴らしいよね。彼女はもう本当に天才でした」

 荒井由実の『ひこうき雲』がいかに凄いアルバムであったかは、例えば『日本の名盤100選』といった企画で未だに必ず名前が挙がること、発売から40年の時を経て、宮崎駿のアニメ映画『風立ちぬ』の主題歌に起用されたことなど、幾多のエピソードでもお分かりの通り。2020年現在でリリースから47年を迎えるが、47年前に録音された音源が、今も普通に「現在の音」として通用する楽曲が、日本のポップ・ミュージックの中で一体どのくらい存在するだろうか。発表当時、その洗練された画期的な作風は一部の音楽ファンの間で話題となったが、一方でその古びない、耐久力の高さもまた驚異的である。
 そこには、有賀のヴォーカルへの徹底した拘りがあった。一過性のものでない作品づくり、あまりにも鋭すぎる感性に見合う、ハイクオリティなアルバム制作への執念があってこその名盤誕生なのである。
 次回はその後の荒井由実作品について、またユーミンとこの時期活動を共にしていたハイ・ファイ・セットの諸作について、貴重なエピソードを開陳していきたい。

Text:馬飼野元宏

第2回有賀恒夫さん(中編)

アルファミュージックの創設者・村井邦彦の片腕として、数多くの名曲・名盤のディレクションを手がけた有賀恒夫へのインタビュー、中編となる今回は、『COBALT HOUR』や大ヒット作「あの日にかえりたい」など、みごとブレイクを果たした荒井由実の後期作品について、ユーミン作品での豪華なコーラス陣にまつわるエピソード、そしてユーミンとともに70年代中期のアルファを支えた山本潤子、山本俊彦、大川茂のトリオによるコーラス・グループのハイ・ファイ・セットとの仕事について伺った。

荒井由実さんは75年4月に「ルージュの伝言」を発売しますが、この曲はそれまでの2枚のアルバムとはだいぶ趣を異にしているように思います。

「たしかに『ルージュの伝言』で、彼女の世界が大きく変わりました。それまでの彼女の音楽は、自分のインサイドで作っていた。だけど、この曲が収録されているアルバム『COBALT HOUR』を作った段階で、もっと大きなアーティストになったんです。インサイドを抜け出して、外界にまで手を伸ばしていったんですね」

「ルージュの伝言」は循環コードで作られたオールディーズ風のナンバーですし、アルバムもアメリカン・ポップスの匂いがありますね。

「そうですね、そこではっきりとそれまでとは作風が異なってきました。このアルバムの中では、タイトル曲の『COBALT HOUR』がコード的にも凄い楽曲だと思います」

この曲や、前作『MISSLIM』の「生まれた街で」などもそうですが、キャラメル・ママ~ティン・パン・アレーの演奏も間奏で凄いプレイを披露しています。

「いやあ、もう最高ですよ。すごくいいです」

このアルバムの中で、先行シングルで出た「ルージュの伝言/何もきかないで」の2曲だけが、ティン・パン・アレーではなくダディー・オー!の演奏になっています。

「これは、おそらくユーミンが言い張ったんだと思う。当時はずっとツアーをやっていて、バックは必ずダディー・オー!のメンバーでしたから」

そして、前作『MISSLIM』から吉田美奈子さんに加え、シュガーベイブの山下達郎さん、大貫妙子さんといったメンバーがコーラスに参加しています。特に『COBALT HOUR』以降はコーラスを重視するようになっていきますね。

「これはマンタ(松任谷正隆)が、達郎に頼んだんじゃないかな。コーラスに関しては達郎が全部仕切って決めていました。レコーディングの時に、コーラスは1本のマイクで録音するんです。そこで3人並んだら、美奈子の声が一番大きいわけです。だから『美奈子、下がって、下がって』と言っているうちに、どんどん後ろに行ってしまう(笑)。達郎も声が大きいからその真ん中にいて、ター坊(大貫)が一番手前で、遥か遠くに美奈子が立っている。でも、そうしないと上手く3人の声がブレンドしないんですよ(笑)。でも、達郎のコーラスに関してのサジェスチョンは、僕もとてもいいと思った。あまり注文を出した覚えがないです」

そして、75年10月5日にリリースされたシングル「あの日にかえりたい」でユーミンはチャートの1位を獲得し、大ブレイクします。この「あの日にかえりたい」ですが、元は別の詞が乗っていたそうですが。

「そうです。最初は『スカイレストラン』というタイトルで、まったく違う詞でした。歌い出しが♪町灯り~、となっていたんです。一度その歌詞でレコーディングして、ミックスまで終えていたんですが、この曲はTBSのドラマ『家庭の秘密』の主題歌になることが決まっていて。番組のプロデューサーからドラマと詞の内容が合わないので、歌詞を書き直してくれないかと注文が入り、そのことをユーミンに話したら『いいわよ』とすぐに直してくれて、今ある『あの日にかえりたい』の詞が完成したんです。もうミックスも終わっているので僕はあまり気が進まなかったけど、まあしょうがないですね」

その使われなかった歌詞に村井邦彦さんが新たな曲をつけて「スカイレストラン」として、ハイ・ファイ・セットのシングルになったと。

「まったくその通りです。でも『スカイレストラン』の歌詞は非常によくできていると思いました。サビの部分で『出がけには髪を洗った』というフレーズがありますが、ハイ・ファイ・セットのレコーディングの際に、主人公の女性はどうして髪を洗ったんだろう? という話になったんです。その時、僕は調整室にいたんですが、僕を含めハイ・ファイ・セットの男性2人(山本俊彦、大川茂)、エンジニア、アシスタントも全員男性で、唯一女性が潤ちゃん(山本潤子)だけだった。男たちはみんな「元彼に合うので、綺麗にしていきたかったんだろう」という意見だったのですが、潤ちゃんだけ意見が違ったんです。どう思うの? と聞いたところ、しぶしぶ言い出したのが『元彼と会ったら、その後ベッド・インするかもしれないから、髪を洗ったんじゃない?』と言うんです。男たちは、そんなことはないだろう、と言ってたんですが、潤ちゃんも譲らない。それで、仕方がないのでユーミンに電話して聞いてみたら『潤ちゃんが正しい』と(笑)」

それは、深いところまで歌詞の意味について意見を戦わせるんですね。

「それで、レコーディングを続けたんだけど、今度は潤ちゃんのヴォーカルが問題になった。彼女は堂々と歌うタイプの人で、赤い鳥時代の『竹田の子守唄』などもそうでしょう? そこは村井さんが気に入っているテイストなんです。だけど、『スカイレストラン』をその感じで歌うと、面白くないんですよ。だから僕は、もっと小声でナイーヴに歌って欲しいと言って、鼻歌みたいに歌ってもらってOKになった。聴いている人が詞の奥行きというか、この女性の内面を感じられるように聴こえないとダメだったんですね。歌い方を変えたら俄然良くなって、今の形になったんです」

いっぽう「あの日にかえりたい」では冒頭で山本潤子さんが印象的なスキャットを披露されています。

「あれもマンタの采配です。メロディーも歌い方もいいし、結果として凄く印象に残りましたね」

その後に出た「翳りゆく部屋」は、もともと作家デビュー当時に書いた「マホガニーの部屋」という曲が原曲で、やはり「ひこうき雲」や、加橋かつみさんに書いた作家デビュー作「愛は突然に」と同じく、プロコル・ハルムや教会音楽の影響を感じさせるスケールの大きい作品でした。

「教会で、パイプオルガンを使ってやった曲ですね。僕はそんなに前に書いた歌だと知らなくて、その時にできた曲だと思っていた」

「翳りゆく部屋」は、バックがティン・パン・アレーではないそうで、ギターは大村憲司さんだそうですが、演奏メンバーは覚えていますか?

「あの曲はドラムがちょっと大仰だよね? 林立夫のタッチではない。たしか村上ポンタが叩いたんだと思いますよ。何かの都合でティン・パン・アレーのスケジュールが合わなかったんじゃなかったかな? アレンジはもちろんマンタだから、彼がメンバーを決めたはずです」

その後、ユーミンは76年末の『14番目の月』を最後に、アルファを離れますが、有賀さんはその後もユーミン作品のコンピレーションやカヴァー集などを製作されています。

「コンピレーションはいろいろやりました。でも、僕がアルファでやっていた時は『ひこうき雲』だけは入れなかったんです。これはユーミンの友人のことを歌った、ある意味プライベートな曲でもあったから、彼女も『この曲だけは(コンピに)入れないでね』と言っていました。僕はその約束を守って、僕がアルファに在籍中は『ひこうき雲』だけはコンピに収録しませんでした。その後、僕は東芝で、小野リサが紹介してくれたタチアナというブラジル人女性シンガーで、ユーミンのボサノヴァ・カヴァーを4枚、40曲作りました。ニューヨークに住んでいた僕は、ブラジルへ行って、40曲キー合わせをして、当時17歳の彼女とお父さんをニューヨークに呼んで、SOHOの増尾好秋のスタジオで、録音しました。アレンジャーは、Gil Goldstein、ボサノバ・ギターはスタジオで超売れっ子、ホメロ・ルバンボ。楽しかった。
その中にも、『ひこうき雲』だけは入れませんでした。彼女との約束を守るという気持ちからです。『私のカヴァーはいろいろあるけれど、有賀さんがやった『タチアナ』が一番好きよ。』とユーミン本人が言ってくれました。」

ユーミンの作品のベースの1つにはラテン音楽やボサノヴァがあるので、凄くしっくりきますね。

「しかも、ポルトガル語で歌っているんだけど、彼女のメロディーに言葉が乗るんです。しかも全部ボサノヴァなので、歌い方が半拍食い気味になるんです。それが面白い。」

アルファの時代、ユーミンはハイ・ファイ・セットにかなりの数の楽曲提供をしており、一緒にコンサート・ツアーも回っていました。ああいった楽曲はハイ・ファイ・セットに歌わせる前提で依頼していたんですか?

「僕がユーミンに依頼しています。『卒業写真』などはハイ・ファイ・セットのほうが先に出ていますよね? そういう曲は彼女がハイ・ファイ・セットのために書いて、それをセルフ・カヴァーした、ということです。人に書くと世界が広がるんですよ。自分の中の世界だけでなく、他人が歌うことをイメージして書くわけだから。どちらのバージョンもいいですよね」

ユーミン作品を歌うハイ・ファイ・セットは、やはり山本潤子さんのヴォーカルの魅力に依るところが大きいように思います。

「そうですね。ユーミン作品のなかでも『朝陽の中で微笑んで』という曲は、潤ちゃんならではの世界観を持っていて、他の人ではあそこまでの世界は生まれないと思う。ユーミン自身のセルフ・カヴァーは別としても、潤ちゃんでなければ歌えない曲ですよ。彼女は声が高いでしょう? だからああいったスケールの大きな曲で、ハイトーンで歌うと素晴らしくなる。『海を見ていた午後』はカヴァーということになるのかな? あれもいいですよねえ。潤ちゃんに歌わせたいと思って入れたんです」

ハイ・ファイ・セットの世界観は、あの当時かなり洗練された都会的なポップスという印象がありました。ああいう形の音楽を作り出したのは、最初は村井さんのアイディアでしょうか。

「というより、赤い鳥でやっていた時の村井さんの作品、『翼をください』とか『忘れていた朝』など、洋楽寄りの発想から村井さんを通して出てきたような曲、潤ちゃんたちはそれが好きだったんだと思います。それに、あの頃四畳半フォークが全盛時代だったので、洋楽系のポップスは目新しかったわけです。僕らは四畳半フォークの経験はないし、洋楽的なポップスから出発しているわけだから、おしゃれにしようとしたわけではなく、これが普通だったんです」

モーリス・アルバートのカヴァー「フィーリング」は彼らの代表作になりましたが、あの曲はどうしてカヴァーすることになったんでしょうか。

「あれは、川添象郎さんが村井さんに持ち込んだ話かもしれない。元の曲がいいし、田辺信一さんのアレンジがしっとりとしていいですよね。実は、その前に三保敬太郎さんに頼んでアレンジしてもらい、レコーディングまでしたんです。ところが、ちょっとポップになり過ぎてしまって、もっとしっとりいきたい、という話になって、慶應のライトミュージックソサエティの先輩である田辺さんにお願いしたんです」

田辺さんは映画音楽などで素晴らしいアレンジをされる方ですから、エレガントな仕上がりになっていましたね。また、「メモランダム」という曲では、滝沢洋一さんを起用していますが。

「滝沢くんはどこで知り合ったのかは忘れたけれど、僕のところへデモテープを持ってやってきて、それが良かったのでハイ・ファイ・セットとサーカスで起用して、その後もずっと付き合いがありました。アルファで1枚アルバムを出しているけれど(『レオニズの彼方に』)、あれは僕のディレクションではないです。惜しくも、もう亡くなられてしまいましたが」

そのアルバムは、今やシティ・ポップの名盤の1つに数えられています。ところで、ハイ・ファイ・セットは女性1人に男性2人という組み合わせですが、ヴォーカルのバランスやハーモニーなどは有賀さんが決められていたのでしょうか。

「コーラスって、本当は4声じゃなきゃいけないんです。ハイ・ファイ・セットは3人だから1人足りないんですよ。レコーディングでは、潤ちゃんにセカンドを録音してもらって、4声でやったりもしています。『ファッショナブル・ラヴァ―』に入っている「フェアウェル・パーティー」などは4声ですね」

それは山本潤子さんが2パートを録音しているということですか。

「そうです。基本は何でも4声でやるので、彼らの曲をステージで聴くと、ハーモニー的には歯抜けになってしまう。それは嫌だな…とずっと思っていた。その点、サーカスは女性2人、男声2人の4声だから、スタジオでレコーディングしたものをそのままステージでも再現できる。そこは良かったですね」

ハイ・ファイ・セットはどの作品まで担当されていたんですか。

「最後はたしか『THE DIARY』というアルバムでした。オールディーズの「恋の日記」のカヴァーがリード・トラックでシングルにもなりましたが、ジャズっぽいアレンジにしています。アレンジャーは、Fifth Dimensionのヴォーカル・アレンジャー『Bob Alcivar』レコーディングは、LAのA&Mスタジオ、エンジニアはCarpentersの録音担当でした。コーラスのミックス法とかアドバイスくれました。」

彼らはその後、和製マンハッタン・トランスファー的な、4ビートジャズに傾倒していきますが、もともとジャズ・ヴォーカル的な方向に興味があったんでしょうか。

「興味は凄くあったみたいです。アルファで僕がやっていた頃は、そこまでジャズ的な作りは意識していなかったけど、僕が離れ、アルファからも離れていったとき、楽曲をジャズアレンジにしていましたね。でも、全部4ビートにして、ジャズのノリでやって面白ければいいんだけど、そうとも限らないじゃない?」

やはりポップスのフィールドでこそ輝くグループだったのかもしれませんね。ところで、先ほどお話に出たサーカスも、やはり有賀さんがご担当でした。ある時期はハイ・ファイ・セットと両方のコーラス・グループのディレクションをされていたことになりますが、この2グループの違いはどこにあるとお考えでしょうか。

「ハイ・ファイ・セットの良さというのは、結局のところ潤ちゃんの魅力に集約されるんです。サーカスの場合はメインが女性2人で、男性2人もサポートとしては申し分ない。その違いでしょうね」

 荒井由実がそれまでの内省的な作風から一転して、ジャパニーズ・ポップスの外海へ旅立って行った記念すべき1作『COBALT HOUR』もまた、現在ではシティ・ポップの文脈で高い評価を得ている名盤である。そして、ユーミン作品を中心に、洋楽的でハイセンスなポップスを立て続けに放ったハイ・ファイ・セットもまた、時代に大きく先行した、洗練度の高いグループであった。ハイ・ファイ・セットのアルファ時代の楽曲は、村井邦彦やユーミン、松任谷正隆をはじめ。頭抜けたポップ・センスをもつ作家陣によって築かれたが、これもまた有賀の洗練を見抜く感度の高さがあってこそ、成立した世界だということがお分かりいただけたと思う。70年代中期のアルファのカラーはこの2人(組)に集約されると言っても過言ではないだろう。ロング・インタビューの最後となる次回は、70年代後期の有賀ワークスの、もうひとつの代表的なコーラス・グループであるサーカス。そして79年にアルファに移籍してきた兄弟デュオ、ブレッド&バターの仕事について、貴重なエピソードを開陳していただく予定である。

Text:馬飼野元宏

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